不倫がバレたら死刑! 江戸時代の浮気妻は命がけだった

なぜ有名人は、バレるまで不倫をやめないのでしょうか?ほかの有名人のスキャンダルに学んで、悔い改めて、バレないうちに不倫関係を精算すればいいと思うのですが……。 ところで、日本人は「浮気妻」や「浮気相手の女性」に厳しいです。不倫は両成敗のはずなのに、女性ばかりが非難されます。悪しき伝統なのかもしれません。 江戸時代の不倫事件では、女性に対する仕打ちはひどいものでした。当時の法律では、妻が浮気したとき、怒った夫が妻のことを殺しても「殺人罪に問われなかった」からです。 「不倫・即・斬!」が認められていた江戸時代 『江戸の密通』(永井義男・著/学研プラス・刊)という本があります。日本における「不倫の歴史」について好奇心を満たせる1冊です。 江戸時代、正式な婚姻以外の男女の性交渉はすべて密通だった。男と女の性に関する罪、性をめぐる全般といってもよい。現在の意味での性犯罪も含んでいる。 (『江戸の密通』から引用) 男女がひそかに通じる──密通することは、江戸時代では重犯罪でした。不倫をした女性は、もしも捕縛(逮捕)されてしまうと「死罪」に処されました。当時の常識だったようです。 怒った夫が、浮気妻を殺害したときには「無罪」と見なされました。仇討ちと同じく、国家が「密通にまつわる私的制裁」を認めていたからです。 ただし、浮気した配偶者への私的制裁が許されていたのは、男性限定でした。夫である男性が、浮気妻を殺害しても「無罪」。復讐のために、妻の浮気相手を殺害しても「無罪」。やりたい放題です。 人形浄瑠璃の元ネタになった『白子屋事件』 江戸時代における「密通」や「刑罰基準」を理解するために、わかりやすいエピソードがあります。テレビ時代劇でおなじみの町奉行・大岡越前が担当した『白子屋事件』という騒動です。 八代将軍・徳川吉宗の治世に、白子屋という材木問屋がありました。ひとり娘のお熊は、従業員の忠八と深い仲になっていました。あるとき、白子屋の経営難を救うために、五百両という持参金付きを条件にして、婿養子を迎えることになったのです。 仲人が口をきき、大伝馬町一丁目の資産家から五百両の持参金つきで又四郎を迎えることになった。 これを知りお熊と忠八は駆落ちも考えたが、白子屋の難儀を救うためには又四郎と結婚せざるを得なかった。 お熊は又四郎と夫婦になったあとも、相変わらず忠八との関係は続いていた。母親のお常は娘の密通にうすうす気づいていたが、父親の庄三郎はまったく知らなかった。 (『江戸の密通』から引用) 忠八との不倫関係を続けていたお熊は、又四郎を追い出そうと考えます。お熊は、母親・忠八・女性従業員2名と結託して、又四郎を罠(わな)にかけようとしますが──失敗しました。 五百両を持参した又四郎にとっては、結婚詐欺に遭ったようなものです。訴訟に発展します。 大岡越前は不倫に厳しかった!? 判決を言い渡したのは、名奉行として知られる大岡越前守である。 婿養子の又四郎は剃刀で軽い傷を負わされただけで、死んだわけではない。つまり、この事件で殺された人間はひとりもいない。にもかかわらず、ふたりが獄門、ふたりが死罪となった。 (『江戸の密通』から引用) 公正で人情味のある「大岡裁き」で有名な人物ですが──浮気妻を含めた4名に死刑判決を言い渡しました。特別に厳しいわけではなく、当時の判例に基づいたものです。 町人の「死罪」とは、斬首刑のことです。首から下の遺体は、刀の試し斬りに使われます。「獄門」も「死罪」と同じですが、斬った生首を「獄門台」に載せて、江戸市中のさらし者にする刑罰です。 【死罪になった理由】お熊………忠八と密通した罪従業員A…主人(又四郎)を傷つけた罪従業員B…従業員Aと同罪+密通の手引きをした罪忠八………主人の妻(お熊)と密通した罪 2名の女性従業員は、勤め先の主人を裏切りました。江戸時代では大罪です。殺害や傷害はもちろんのこと、店の売上を盗んだ場合でも、それが10両以上ならば「死罪」に処されました。 ちなみに、従業員の忠八は、男性にもかかわらず密通をとがめられて死罪になっています。密通相手であるお熊が、勤め先の大旦那の娘であり、旦那(又四郎)の妻だったからです。身分制度が厳しかった江戸時代の法律では、死罪に相当します。 表沙汰にしない「示談」が多かった 事件のあと、材木問屋・白子屋はつぶれました。もしも、持参金の五百両を返却することができたら、又四郎は奉行所に訴えることもなく、白子屋は存続していたかもしれません。なぜなら、密通事件は「示談」で解決することが多かったからです。 不倫にかぎらず、多くの江戸の男と女はおおらかに性を謳歌し、奔放に享楽していた。「密通」は横行していたと言っても過言ではない。(中略)厳格な刑罰が適用されたのは密通が表沙汰になり、裁判になったときである。現実には密通は多くの場合、内済(示談)となった。関係者がなあなあですませ、揉み消してしまうことも多い。つまり、表沙汰や裁判沙汰にしなかったのである。 (『江戸の密通』から引用) たしかに、浮気妻を斬って捨てることは許されていました。しかし、武士がそんなことをすれば面目丸つぶれです。事件化するのは、よほど腹にすえかねた時だけでしょう。 商人であれば、色恋沙汰で店をつぶすよりも、黙認するか示談金を支払うことで「無かったこと」にしたほうが、ソロバンが合います。 町人の生活においても、密通トラブルは話し合いで済ませることが多かったようです。江戸時代は、刑罰に「連座制」が適用されました。町人は長屋(共同住宅)に住んでおり、入居者のひとりが罪を犯すと、お隣さんや大家さんや町役人にまで懲罰が及びました。だから、臭いものにはフタをするようにして、不祥事はなるべく表沙汰にせずに解決していたようです。 徳川の世が終わってから、約150年が経ちました。「不倫・即・斬!」の悪法は絶えましたが、不倫をおこなう者は絶えることがありません。ネットメディアや芸能マスコミによる不倫報道は、江戸時代における「獄門台のさらし首」によく似ていると思いました。

『君の名は。』の新海監督のデビュー作は5分間のアニメで、ネットで公開されている。

新海誠監督の作品にしばしば出てくるテーマがある。それは「どこか遠く」に思いを馳せるというところだ。例えば『君の名は。』の、自分と入れ替わっている異性への呼びかけであったり、『ほしのこえ』の何光年も離れた場所にいる人へのメールだったり、『言の葉の庭』のどこに住んでいるかわからない相手を待つことだったりなどである。では、デビュー作として作られた『彼女と彼女の猫』にはどのような思いが描かれているのだろうか。   自主制作版(1999年) 『彼女と彼女の猫』は、新海監督が自主制作した短編アニメーションだ。物語には都内でひとり暮らしをしている女性と、彼女に拾われた雄猫が出てくる。毎朝起きて、猫にエサを与え、電車に乗って出勤し、夜になると帰宅して、食事を済ませて寝る。そしてまた新しい朝が来る。単調な毎日をひそやかに生きる彼女を見て猫は「彼女はいつでも誰よりも優しくて、誰よりもきれいで、誰よりも懸命に生きている」と思う。 ある日、彼女は長い電話の後で、ひとり、部屋の中で涙を流す。そして「誰か助けて」とつぶやく。デビュー作でもやはり、「どこか遠く」へ思いを馳せるという設定がなされていたのだ。つぶやいたところで、猫以外は誰も聞いていないし、実際に誰かが助けに来てくれるわけでもないのだけれど。 ノベライズ版(2013年) たった5分の作品とは思えない、非常に情緒的なこの『彼女と彼女の猫』は、発表から14年も経った2013年にノベライズ化(カンゼン・刊)された。作者は新海監督ではなく、永川成基さんである。ここでは何人もの猫を飼う女性たちが現れ、物語は一気に膨らんでいく。アニメ版の彼女と彼女の猫のストーリーも含まれ、そこにはアニメでは描かれなかった涙の理由も出てくる。 小説の中にも「彼女はいつでも誰よりも優しくて、誰よりもきれいで、誰よりも懸命に生きている」「誰か助けて」というセリフが書かれている。そして繰り返しこのセリフを聞いてやっと、呼びかけが2方向にあることに気づいた。助けを求める彼女と、彼女を助けたい猫である。思えば他の作品も男性側からと女性側からの呼びかけが、それぞれなされている。猫は彼女に言葉が通じない。だけど彼女にずっと声にならない声で語りかけ続けている。相手の心への届くかわからない呼びかけ、それもまたひとつの「どこか遠く」へ思いを馳せる行為なのだ。 テレビアニメ版(2016年) 2016年、今度は『彼女と彼女の猫 Everything Flows』というテレビアニメ版が放映された。脚本は小説と同じく永川成基さんである。今度は母子家庭で育った女の子が、女友達と東京でルームシェアを始める物語だ。彼女は幼い頃から飼っていた猫を新居に一緒に連れて行く。母親との間にはどうやら心理的軋轢があるようだ。 そしてまたしても彼女が「助けて」とつぶやくシーンが現れる。その時、このSOSは、もしかしたら母親に向かっているのではないかとこちらは気づかされる。ひとり苦しむ彼女のそばには雄猫がいる。雄猫は自主制作版や小説版で、他の雌猫に「僕には、大人の恋人がいる」と言い放っている。猫は人間の彼女を愛しているのだ。けれど彼女は猫が近づいても泣き続ける。猫がなんと言いたいか、こちらに伝わってくる。猫は「ここにいるよ」と告げたいのではないだろうか。そしてこれは、他の新海映画でも出てくるフレーズである。 新海さんのこの映画を観るたびに、私は「彼女」に同化し、彼女と一緒になって「誰か助けて」と心の中でつぶやいてしまう。映画の中で彼女を救ってくれる誰かが現れたのかどうかは、映画を観てからのお楽しみであるけれど、観客の多くは、登場人物と一緒になって「どこか遠く」に想いを馳せる一瞬があるのではないだろうか。そしてこのような「どこか遠く」へのコンタクトこそが、新海誠作品の醍醐味なのだと思う。

一周まわって「まなめはうす」にたどりついた私のネット遍歴

告白する。私が、合法ドラッグ「インターネット」を乱用するようになったのは、2005年ごろからだ。いまも毎日やってる。どーしてもやめられない。かれこれ10年以上も常用しているから脳みそ溶けちゃってるかも…アヒャヒャ…キエェェーッ! ISDN回線すら乏しい山奥に住んでいた私は、2005年に田舎から離れる機会を得て、転居した先でようやく世間並みのインターネット環境(ADSL回線)を手に入れることができた。 それ以前の私にとって、インターネット環境といえば地元の公民館にあるパソコン(Windows98SE)だけだった。まともなネット回線が使えるかわりに「村民1名につき、ネット利用は1日30分のみ」というルールがあった。 山奥でブログ更新 そんな極限状況にもかかわらず、身のほど知らずな私はブログを運営していた。北国にある奥ぶかい山の中心でセカイに向けて愛を叫ぶためだ。ヤッホォォォォー! しかし、1日30分という制限時間内にブログ記事を書き終えることは難しかった。あらかじめ自宅のパソコン(Window95)で書いたテキストデータをフロッピーディスクに保存しておき、それを持参して公民館のパソコンに読みこませてブログ更新をおこなっていた。人間やればできる。余った10分くらいの時間は、ヤフージャパンにアクセスしてニュースをむさぼり読んでいた。 本心では『ネットランナー』や『Windows100%』に載っているような不謹慎なウェブサイトにもアクセスしたかったけれど、公民館では職員がそこはかとなく見張っていたので無理だった。 そんな私にとって、世間並みの高速ネット回線が得られたことはまさに悲願だった。特に、2005年から2006年にかけてのインターネットは毎日がお祭り騒ぎだったから、いまでも忘れられない原体験になっている。 ホリエモン祭りのころ 当時、日本のインターネットは「ライブドア祭り」だった。2005年2月にニッポン放送株35%を電撃取得したかと思えば、およそ1年後の2006年1月に六本木ヒルズのライブドア本社が強制捜査されたからだ。 フジテレビ買収騒動。ライブドア事件。いずれにせよ新聞やテレビだけの情報では物足りなかった。そもそも既存マスコミは批判一辺倒であったから、今も昔もホリエモンびいきな私は、インターネットの言論空間に情報を求めていった。(ちなみに朝日グループは、朝日新聞記者・大鹿靖明氏の存在や、田原総一朗氏が全力で逆張りするなど、他社の報道に比べて中立だった……ような気がしなくもない) 私が頼りにしたのは『はてなブックマーク』だった。2005年ごろにサービスを開始したソーシャルブックマークサービスであり、そこには毎日のようにライブドア事件に関するさまざまな考察や意見が集まっていた。もちろん取捨選択は必要だったが、新聞やテレビでは決して得られないような公正で専門的な見解を得ることができた。 ――と、ここまでが前置き。ライブドア事件をきっかけにして、10年間ほぼ毎日欠かさずに『はてなブックマーク(通称・はてブ)』に入り浸ってきた私だが……。 最近、ちょっと疲れてきた。 まなめはうす再評価 いままでは『はてブ』の新着トップページに1日何度もアクセスして面白いニュースを見つけては奇声をあげるという生活を送っていた。しかし最近では、とりあえず『まなめはうす』という個人ニュースサイトにアクセスするだけで満足できるようになってしまった。 『まなめはうす』1日分で得られる情報は『はてブ』の数百分の一だ。だが、いまの私には、それくらいの量がちょうど良い。腹八分目のような感じだ。 ところで。まなめさん(まなめはうす管理人)には謝罪しなければいけない。かつて私が、はてブ中毒だった頃。きまぐれに『まなめはうす』を訪問しては「ふーん。はてブ読んでれば知ってる記事ばっかりじゃん。m9(^Д^)プギャー」などと優越感にひたっていたことがある。おろかだった。つつしんでおわび申しあげます。 と、このように最近「まなめ」づいている私にうってつけの本を見つけた。その名は『カリスマニュースサイト管理人が15年続けたシンプルな情報収集術』。著者は、まなめはうす管理人ことまなめさんだ。 まなめ可愛いよまなめ たしか…仕事はIT関連で、ちゃんと会社員として働いており、Twitterとコカコーラが好き。あと、KOTOKOが大好き(私も好きです! しかもSociometryが超好きって変ですか?)――それくらいの知識しかなかった私にとって、本書『カリスマニュースサイト管理人が15年続けたシンプルな情報収集術』は、たいへん興味ぶかいものだった。 数学科出身(なんかカッコイイ!)であることをはじめ、日ごろから社畜を自称するほど激務とおぼしきまなめさんが、どうやって毎日更新を維持しているのか? おもしろい情報を効率よく見つける方法など、テクニックやノウハウを惜しげもなく公開している。まなめファンでなくとも必読の内容だ。

疲労回復、夏バテに効く! 野菜の食べ方教えます

いよいよ夏本番! 夏は野菜がおいしい季節ですね。みずみずしいサラダなんか、最高です! 野菜はヘルシー生活に欠かせない食材です。もちろんそのまま食べるだけでも十分、健康に良いのですが、その食べ方をひと工夫するだけで、より身体にイイってご存じでしたか?   トマトを生で食べるか、それとも熱するか 『野菜の新常識 体にいい食べ方はどっち!?』(中沢るみ・著/扶桑社・刊)には、健康志向のあなたにぴったりな、野菜の食べ方がまとめられています。いくつか抜粋して紹介しましょう。 疲労回復に役立つとされる、夏の野菜の代表格であるトマト。では、どちらの食べ方が良いのでしょうか? (1)トマトサラダ (2)トマトスープ 正解はトマトスープ。栄養価を重視したいのであれば、トマトは生のまま食べるよりも過熱した方がいいのだそうです。普通は「野菜って、生のまま食べるのがいいんじゃないの?」と、思うはず。実は、トマトに多く含まれる“リコピン”という栄養成分は、加熱した方が2~3倍、身体に吸収されやすくなるのだそうです。 リコピンは疲労回復のほかにも、動脈硬化や生活習慣病の予防にも最適な栄養素。さらには日焼けによって発生するシミの予防にもなるのだとか。まさに、夏に味わうにふさわしい野菜ですね! ピーマンは色で効能が変わる 子どもの頃は苦手な人が多かったピーマン。それが不思議と、大人になるとおいしく感じるようになるものです。あの独特の風味がたまりませんよね。 さて、ピーマンといえば緑色のイメージですが、赤や黄色など、様々な色があります。そのなかでも、夏風邪予防にぴったりなのは“赤”ピーマンなのです! なんと、緑のピーマンよりも、ビタミンCを2倍も多く含んでいます。免疫力がアップするので、風邪を引いたときに食べるのも最適。さらに苦味も少ないので、ピーマンはちょっと…という人でも食べやすいのがメリットです。 ちなみに、ビタミンCは熱に弱いので、炒め物にすると多くが失われてしまうので、赤ピーマンは生で食べるのがオススメ。サラダに加えるだけで彩りも豊かになりますし、おいしく食べて風邪を撃退したいですね! ちなみにポピュラーな緑ピーマンは、血液サラサラ効果があるのだそうです。 野菜を取り入れた食生活で健康になろう いかがでしたでしょうか。本書には、他にも「ゴーヤは生で食べると夏バテ予防になる」「ニンニクの抗がん作用を活かすには細かく刻んで炒めるのがいい」など、すぐに試せる野菜の食べ方が満載です。 筆者によると、野菜は身体と心に影響を与えやすい食品の一つだそうです。その理由は、加工品やサプリメントにはない生きた栄養素がたっぷりと詰まっているからなのだとか。いいことずくめですね。 これからどんどん気温が上がると、部屋でクーラーをガンガン効かせて生活したりと、何かと不健康な生活を送りがち。ぜひ野菜を上手に食生活に取り入れて、食事を楽しみながら健康な暮らしを送りましょう。

わたしは「リリカルなのは」を崇拝している

がんばるとき。つらいとき。運を天に任せるしかないとき。わたしは胸中で「神さま、仏さま、魔法少女リリカルなのは様」というフレーズを唱える。勇気がわいてくるのだ。これまでもたくさんの試練を乗り越えてきた。 わたしが無病息災や五体満足でいられるのは、すべて『魔法少女リリカルなのは』のおかげだ。末永く加護を受けられるよう、かならず食事の前には「りりかる…まじかる…なんまんだぶ…なんまんだぶ」という祈りをささげている。 カルト思想や新興宗教の類ではない。『魔法少女リリカルなのは』とは、2004年に放映されたテレビアニメだ。全13話。記念すべきシリーズ第1作。至高の聖典。奇跡のはじまり。人類のあらたなる夜明け。 豊穣のなかで生まれた女神 2016年現在からさかのぼること12年前に、神アニメ『魔法少女リリカルなのは』が放映された。2004年。何もかも懐かしい。同年に放映されていたアニメ作品をピックアップしてみよう。 1月には『マリア様がみてる』の放映が始まった。原作は少女小説であり、キリスト教系の私立リリアン女学園にかよう身も心も清らかな乙女たちの日々を描いている。 2月には『ふたりはプリキュア』の放映が始まった。プリキュアシリーズの第1作目だ。くしくも「変身ヒロインもの」であり「魔法少女もの」だが、わたしが信仰するまでには至らなかった。2016年現在でも続編が放映されており、わが国では最大級の勢力をほこる。 ちなみに同年10月、2004年の秋ごろから放映されていたアニメ作品を挙げる。『機動戦士ガンダムSEED DESTINY』『舞-HiME』『ローゼンメイデン』『神無月の巫女』など、まさに傑作ぞろいのアニメ大豊作の年だったことがわかる。 熱心なアニメファンによる偶像崇拝の信仰心が高まりに高まっていた2004年だからこそ、我らの唯一神『魔法少女リリカルなのは』が降誕するに至ったのかもしれない。もはや定説。むしろ必然。まさに奇跡だ。 なのは教における正典と外典 言うまでもなく、テレビアニメ『魔法少女リリカルなのは』は奇跡の産物であり、そんなミラクルの一部始終を光ディスクに記録したDVD版ならびにBlu-ray版『魔法少女リリカルなのは』は、なのは教における聖典だ。 2016年現在、テレビアニメ『魔法少女リリカルなのは』は第4シリーズまで存在している。 魔法少女リリカルなのは魔法少女リリカルなのはA’s魔法少女リリカルなのはStrikerS魔法少女リリカルなのはViVid わたしたち信仰者のあいだでは、2004年に成立した聖典を「無印」と称する。続いて「A’s(エース)」「StrikerS(ストライカーズ)」「ViVid(ヴィヴィッド)」と読む。 光ディスク収録の『魔法少女リリカルなのは(無印)』は旧約聖書であり、同じく『魔法少女リリカルなのはA’s』は新約聖書にたとえることができるかもしれない。 正典とは、信仰者がしたがうべき基準を記述したものをいう。旧約聖書(Old Testament)ならびに新約聖書(New Testament)は、キリスト教における正典(Canon)だ。 キリスト教には、正典には収録されなかった「外典(Apocrypha)」というものがある。われらが『魔法少女リリカルなのは』においても、いくつかのアポクリファが存在する。(代表的なものとして「ベルカ式作画」がある) リリカル・マジカル・全力全開! 代表的な外典のひとつである『魔法少女リリカルなのはA’s THE COMICS』(都築真紀・原作 長谷川光司・漫画/学研プラス・刊)は、その名のとおり、正典『A’s(エース)』の内容をコミカライズしたものだ。 単純なコミカライズ(漫画化)ではなく、正典では明らかにされていなかったエピソードをおもに収録している。外典とはいえ、信仰者ならば必読すべき1冊だ。 たとえば、唯一神「高町なのは」が「光あれ(スターライトブレイカー)」の声と共にくりだすミッドチルダ式の魔法体系は、われわれの世界における物理や数学の法則とほとんど変わらないことが明らかにされている。現実世界において小学3年生である「なのは神」は、AAA級の魔道士であることを活かして、算数や理科のテスト結果はクラス上位をキープしているようだ。 正典『A’s(エース)』の大部分を占める「闇の書事件」の当事者たちについても詳しい。後年、なのは神による教化を受けることになる「ヴォルケンリッターの守護騎士たち」の知られざる一面が興味ぶかい。鉄槌のちびっこ騎士であるヴィータが老人会のゲートボールに参加していたり、紫電一閃の女騎士シグナムは近所の剣道場にて非常勤講師を務めていたらしい。 外典をひもとくことによって『魔法少女リリカルなのは』への理解が深まった。これからも信仰に励んでいきたい。りりかる…まじかる…なんまんだぶ…なんまんだぶ……

モンスターペアレントが世界を救う

2016年2月5日、馳文部科学相は、多発する組み体操事故についての国会質問に「私もビデオを見て率直に危ないと思った」「重大な関心を持って文科省としても取り組まないといけない」と答えた。それは2014年5月にツイッターで起きた小さな流れが大きな世論となってトップへと届いた瞬間だった。その影には子どもの安全のために駆け回った内田良さん(名古屋大学准教授)と、保護者らの学校への訴えがあった。   危険すぎる組み体操 2014年5月、内田さんによって組み体操の動画 が知らされた。大阪の中学校の体育祭でのものだが、その高さはなんと9段。てっぺんの生徒は一瞬後ろにグラリとして落ちそうになっている。日本一の高さを競って各校でどんどん高さを上げる動きが起き、その一方で事故が年間8000件と多発し、その1%が後遺症を心配するほどのものであった。組み体操の事故は他の球技などと比べ、圧倒的に頭部のケガが多い。ヘルメットもせず、不安定な場所から落下することもあり、頭蓋骨骨折や脊髄損傷などの大事故も起きていた。 これらのことがツイッターで話題になった時、すぐに反応したのは過去に組み体操事故に遭った当事者や、子どもがケガをした母親たちだった。それと同時にそうした動きを疎んじる声も相次いだ。「今度は組み体操も禁止か」「なんでも禁止すればいいってもんじゃない」「じゃあ運動会で何をしろというんだ」というような、今まで当たり前のように行われていた行事が失われるということについての嫌悪感があらわになっていた。子どものケガを心配する母親たちに「過保護なモンペ(モンスターペアレント)」というような言葉を投げる人もいた。 組み体操中止への流れ しかし果たして、組み体操を心配した親は、モンスターペアレントだったのだろうか。本当に危ないのだから、本気で心配していたのではないだろうか。一歩間違えば大事故の可能性があり、子どもの体が傷つくおそれがあるものを心配しないほうが変ではないだろうか。何年か前ではあるが私も学校に「危ないのではないか」と質問したひとりである。学校側の回答は「教師が下でちゃんと受け止めますから安心してください」だった。しかし内田先生の調査で、受け止めるどころか落ちてくる生徒と衝突して教師までもが負傷する事故が毎年起きていることがわかった。教師に任せられない状況であり、親の心配は決して杞憂ではなかったことがはっきりしたのである。 ツイッターでの動きを目ざとく見つけたのはテレビや新聞などの報道機関だった。ニュースとして流れるとさらに組み体操を問題視する動きは大きくなった。組み体操は文科省の学習指導要綱にすら入っていない。運動会の出し物のひとつという立ち位置だったこともわかった。「段数を低くすればいいのでは」という声も出たが、3段5段などの低さでも大ケガをする可能性があり、世論も中止の声が大きくなり、学校に組み体操について申し入れする保護者も増えていった。2016年に入ると、千葉県のいくつかの市町村では組み体操を体育祭で中止することと決めた。内田さんが集めて広められたデータと親たちの子を案ずる気持ちが、教育行政を動かしたのだ。 クレームと意見の違い 保護者が学校に物言いすることを嫌う学校は少なくない。モンスターペアレント扱いされ、子どもにも迷惑が及ぶのではないかと親のほうも躊躇する。それでも言わずにはいられなかったのは、子どもが出場する体育祭の時期が迫っていたからだろう。急いで中止にしなければ、自分の子どもが危ない。それも組み体操反対の動きがすぐ広がった理由のひとつだろう。ネットから始まった一連の動きがなければ、今でも組み体操は高層化し続けていたかもしれないのだから、保護者らの物言いはむしろ素晴らしいことではなかったかと思えるのだ。 『親たちの暴走』(多賀幹子・著/朝日新聞出版・刊)は日米英のモンスターペアレントについて書かれている。アメリカには子どもの就職活動先に直訴するような親が、イギリスには教師に暴力をふるうような親が多いという。どの国にも困った保護者はいるのだろう。けれど中には建設的な意見だってある。本にも「親がモンスターペアレント呼ばわりされることを避けて、言いたいことも言えないのでは、教育をめぐる状況はさらに悪化するだろう」とある。組み体操問題で、学校や行政が保護者の話を突っぱねられなかったのは、データが豊富にあったからだろう。クレームと真摯な提言とを一緒くたにされないため、感情論ではないことを示すためにも、資料を用意し、論破する必要がありそうだ。

【祝】鬼畜マンガ『四丁目の夕日』が無修正で電子書籍になった!

いまでこそ、自作のイラストや漫画をインターネット上で労力もなく発表できる時代だ。だが、わずか15年ほど前の20世紀末までは、漫画誌を発行している商業出版社に持ちこんで、実力を認めてもらわなければ自作のオリジナル漫画を多くの人にを読んでもらうことはできなかった。 たとえ画力やストーリーが水準を超えていても、一般的な読者に受け入れられないと判断されてしまうような「異端」「規格外」の作風の持ち主は、商業漫画誌から疎外されがちでデビューが難しかった。 ガロ系漫画の浸透と拡散 かつて「月刊漫画ガロ」という漫画誌があった。元はといえば白土三平の『カムイ伝』を掲載するための媒体だった。発行元の青林堂が「面白ければ何でもOK」という編集方針を掲げたことにより、実売が数千部の雑誌でありながら、これまで数えきれないほど多くのすぐれた漫画家たちを輩出してきた。 白土三平や水木しげるは別格としても、わたしたちがよく知っている漫画やイラストには、ガロ系といわれている作者が少なくない。 たとえば、ロッテのキャンディー『小梅』における「小梅ちゃん」イラストをデザインしたのは林静一であり、ガロ誌上で漫画家デビューした人物だ。何度もドラマ化された『南くんの恋人』(内田春菊・著)は、ガロ誌上で連載されていた漫画だ。 原作コミックの発行部数が100万部を超えている『孤独のグルメ』の原作者である久住昌之も、じつはガロ誌上で見出された漫画家だ。 そして、かつて「月刊漫画ガロ」や後継誌『アックス』誌上に掲載されていた名作が、大手出版社から再販(復刻)されているのをご存じだろうか。 林静一『赤色エレジー』 (小学館) つげ義春『ねじ式』(小学館・筑摩書房) 花輪和一『刑務所の中』(講談社) 福満しげゆき『生活』(講談社) 内田春菊『南くんの恋人』(文藝春秋) 久住昌之『かっこいいスキヤキ(「夜行」所収)』(扶桑社) 山野一『四丁目の夕日』(扶桑社)……etc いずれも絶版になっておらず、2016年現在においても町の書店でも購入することができる。かつては異端として扱われていたが、じつは時代の流行にとらわれない普遍性をそなえた作品であったことを証明している。特に異彩を放っているのは、山野一という「鬼畜系特殊漫画家」だ。 山野一という特異な存在 『四丁目の夕日』(山野一・著/扶桑社・刊)は、タイトルが危なっかしい。その「おふざけ感」だけを理由にして絶版になってもおかしくないマンガだ。 ネタ元である『三丁目の夕日』は、昭和30~40年代における社会全体の貧しさや庶民の悲喜こもごもを肯定的に描いたマンガであり、わたしたち読者はノスタルジーを堪能できる。しかし、たった一丁目ちがうだけで、貧しい人々を不幸の連鎖によって絶望のドン底へと叩き落とすストーリーに変わってしまう。 『四丁目の夕日』というマンガは、残酷で醜悪なシーンが多くて見苦しく、例外なく登場人物たちは救われない末路をたどる。本家『三丁目』とは似ても似つかない、本当にろくでもない内容のマンガだ。(ほめ言葉) 作者である山野一の作風は、けっして一般受けするものではない。デビューしてから「山野一」名義で出版された7タイトルのうち『四丁目の夕日』以外の6冊は、町の新刊書店で購入することができない。ほとんどが絶版(品切れ重版未定)になっているからだ。 文庫版『四丁目の夕日』の発行元である扶桑社は、フジテレビでおなじみフジサンケイグループの一角を占める有名出版社だ。商業出版社が絶版にしないということは、残酷で醜悪なシーン満載であるにもかかわらず、いまでも売れ続けているということだ。時代や流行にかかわりなく、どこからか評判を聞きつけてきた新たな読者があとを絶たないことを意味する。 なぜ『四丁目の夕日』のようなキワドイ内容のマンガが、1986年に出版されてから30年以上の長きにわたって新しい読者に恵まれ続けているのだろうか? 山野一という漫画家のことを知りたくても、ほとんどの単行本が絶版であるため、いざ入手しようとしても手間がかかる。このたび、思いきって古書店やネットオークションなどを利用して、山野一の絶版になっている単行本を取り寄せた。かんたんに紹介したい。 ※以下、見出しのカッコ内は単行本の発行年。 夢の島で逢いましょう(1985) 初単行本。第一短編集。発行は青林堂。絶版。収録作は「月刊漫画ガロ」に掲載されたものであり、デビュー当初の山野一は、狂気にとらわれた人物が登場するSFやバイオスリラーを描いていた。 しかし、デビューからまもなくして発表された『蓄膿三代』では、われわれ読者と地続きである「現実」や「社会」における目をそむけたくなるような事象を描くようになっていく。作りものであるからこそ安心して眺められる「映画(フィクション)」ではなく、あたかも「実録(ドキュメンタリー)」のような作風へと変わっていった。 四丁目の夕日(1986) 記念すべき長編第一作。発行は青林堂(のちに扶桑社文庫で再版)。発売中。月刊漫画ガロで1985年7月号から1年間にわたって連載していた。著者によれば、このときのガロは経営状態が思わしくなかったようで、1円たりとも原稿料がもらえなかったという。それでも漫画を描いているときは幸せだったというのだから、世間からは異端と見なされながらも、ガロに投稿していた漫画家たちのモチベーションの高さが並大抵のものではないことがわかる。 山野一は1961年(昭和36年)に生まれた。まさに『三丁目の夕日』の時代に育った人であるから、そのパロディである『四丁目の夕日』を描く資質を十分にそなえている。 『四丁目の夕日』のあらすじ。時代は昭和中期。高度経済成長期の日本。下町で生まれた貧しいけれど努力家の高校生である「別所たけし」の転落人生を描いた長編マンガだ。 ひとり息子である「たけし」を大学進学させるために、昼も夜もなく働いていた印刷工の父親が不注意によって輪転機にまきこまれて事故死する。「たけし」は大学進学を断念して、父が経営していた印刷所を継ぐのだが、結局うまくいかず路頭に迷うことになる。「たけし」と弟妹たちは、現実に起こりうるさまざまな不運のスパイラルに巻きこまれたのち、きわめて悲惨な結末むかえることになる。 貧困魔境伝ヒヤパカ(1989) 第二短編集。発行は青林堂。絶版。前作『四丁目の夕日』には多くの反響があったようで、山野一は「鬼畜系特殊漫画家」としての地位を確立する。 『ヒヤパカ』に収録されている作品の多くは、「漫画スカット」(みのり書房・刊)という漫画誌に掲載されていたものだ。精神障害者や知的障害者などを扱っている作品が目立つ。 ほかにも、悪意ある肉体労働者によって「知識労働者」たちが監禁状態にされていじめぬかれるパターンが見られる。山野一作品において顕著である「社会的地位や評価の高い職業人、あるいは、恵まれた家庭で育った子女などを徹底的におとしめる手法」は、のちに発表する『どぶさらい劇場』にも応用されている。 ねこぢる誕生 「女性漫画家ねこぢる」との共作名義の第一作品集『ねこぢるうどん』(絶版)は、1992年に青林堂から発行された。1990年、月刊漫画ガロに初掲載。「原作&原案:女性漫画家ねこぢる」+「作画:山野一」=共同ペンネーム「ねこぢる」というわけだ。ふたりは、実生活において婚姻関係にあった。 山野一が作画を担当したものの、『ねこぢるうどん』で描かれたのはあくまでも「女性漫画家ねこぢる」が指定したファンシーな絵柄だった。(世界観や作風は、山野一の作品と近接しており、いわば「二丁目の夕日」あるいは「五丁目の夕日」と言ってもよい) まもなくして、世間では「ねこぢるブーム」が到来。原稿依頼が殺到して、続編やたくさんの関連グッズが製作販売されることになる。グロテスクで物騒なストーリーとは裏腹に、主人公である「にゃーこ」と「にゃっ太」のキャラクターデザインは愛らしいものだった。共作ではあったが、(限られた一部分とはいえ)鬼畜系特殊漫画家が書いたものが小さな子供や若い女性たちにも受け入れられたのだから感慨ぶかい。 混沌大陸パンゲア(1993) 第三短編集。発行は青林堂。絶版。秋田書店の「グランドチャンピオン」という雑誌に掲載さたマンガを収録している。ついに四大漫画誌ブランドへの足がかりを得た山野一は、誌上でオムニバス短編『断末魔境伝カリユガ』を発表する。その内容は……あいかわらず低所得者や底辺労働者が努力もむなしく不幸のドン底に突き落とされるものや、生命の尊さに鈍感な産廃業者がシャブ漬けになったことで天使に導かれてダムに化学廃液を垂れ流しにする話などだ。救いようがない。 『パンゲア』には、ビデオ出版発行のアダルト雑誌「月刊HEN」「月刊FRANK」掲載の読み切りマンガも多数収録している。『脳梅三代』では、梅毒に感染した祖父とその娘と孫娘による罪ぶかい行為が描かれている。『工員』では、工場につとめる低学歴の男性従業員が、同僚である聴覚障がい者の若い女性の自宅に押し入って、これまた地獄絵図を繰り広げるという鬼畜マンガだ。 ほかにも、生まれつきの結合双生児である美女が、交際相手に恵まれずに性的欲求不満を抱えたまま悶々とする様子を描いた『むしゃむしゃむソーセージ』は、くしくも、山野一の後半生への伏線となる。のちほど言及したい。 ウオの目くん(1994) 長編第二作。発行はリイド社。発売中。山野一にしてはめずらしく、エログロ要素が(比較的には)すくないサラリーマン漫画だ。周囲の人々とは異なった独特の美意識をそなえたグータラな男性会社員が主人公であり、なぜか後輩の女性社員に慕われている。ほかにも社長令嬢がしつこく言い寄ってきたり。 食べものにまつわるエピソードが多いことから、『美味しんぼ』(雁屋哲・原作/花咲アキラ・作画)を連想させなくもない。主人公である「魚の目鯖男」の風貌は、なんとなく山岡士郎に似ていなくもない。読み進めるうちに、おもなヒロインたちが栗田ゆう子や二木まり子に見えて仕方がなかった。なにせ『四丁目の夕日』などというタイトルの作品を上梓している漫画家なのだから、もしかすると……。 ちなみに、この『ウオの目君』は、「山野一」名義の既刊ではめずらしく現在でも入手可能なタイトルだ。ただし、電子書籍ストア専売であり、すべての単行本収録作品が電子化されているわけではないようだ。 ねこぢる逝去 1998年、「女性漫画家ねこぢる」が自宅で首を吊っているのを発見される。 翌年の1999年には、元は青林堂から発行されていた『四丁目の夕日』が文庫化したのち、扶桑社から発売されることになった。いまだに版を重ね続けており、電子書籍ストアでも入手可能だ。電子化にあたっても、過激な描写にはいっさいの修正はおこなわれていない。 どぶさらい劇場(1999) 長編第三作。発行はスコラ社(のちに青林堂で再版)。絶版。「コミックスコラ」誌上での連載開始は1994年。名作『四丁目の夕日』の路線を引き継いだ、山野ワールド全開の一冊だ。 […]

かわいくておもしろい女の子をお探しですか? それなら「女性声優」がオススメです!!

ほんの2年くらい前、僕は突然女性声優にハマった。アニメをそれほど見ていたわけではなく、テレビで流れていたら見るくらいで、特に声優を意識したことはなかった。 しかし、仕事の関係でちょこっと見たアニメにどハマリしてしまった。そのアニメ自体もおもしろかったのだが、登場する女性声優にも興味が出て、そこからハマりだした。   声優はマルチタレント化している 現在、新作アニメの放送が開始すると、ただテレビで作品を放映するだけではない。放映前にはニコニコ生放送で先行上映会や声優陣によるトーク番組が行われる。番組によっては、アニメ本編終了まで定期的に放送をする場合もある。 また、同時にWebラジオを放送。声優陣によるトークがおもしろく、アニメ本編よりもラジオのほうが人気となり、アニメが最終回となった後も続くというケースもある。 そして、声優が主題歌を歌ったり、各キャラごとのイメージソング(キャラソン)を歌ったりもする。 それだけではない。イベントも開催され、ファンとの交流も多い。CDやBDのお渡し会なども実施される。アーティストデビューをしている声優もいる。 今や声優は、アニメや映画のキャラクターを演じるだけでなく、テレビやラジオ、歌など多方面で活躍する職業なのだ。 女性声優はアイドル並みにかわいい 声優は、声の仕事がメイン。とはいえ、テレビや雑誌などに登場することも多い。『声優アニメディア』(声優アニメディア編集部・編/学研プラス・刊)などの雑誌を見ていただければおわかりかと思うが、女性声優の容姿はアイドル並みだ。 写真集を出版する女性声優もいれば、週刊誌で巻頭グラビアになる女性声優もいる。もはや、「声優」という職業は「マルチタレント」と言い換えてもいいのではとすら思える活躍ぶりだ。 女性声優は人材の宝庫。だから目が離せない! 僕が女性声優にハマったのは、そういうマルチな活躍ぶりがすごいなと思うところもあるが、一番は「個性が強烈な人が多い」というところだ。 僕が気に入っている女性声優のほとんどは20代前半から後半という年齢層だが、個性が強烈。下ネタ連発だったり、ぼっち属性が高く心に闇を抱えていたり、ベストフンドシストに選ばれたり、無償の愛を探していたり、夜中にブランコを立ちこぎしていたり、仕事より麻雀を優先したりと、枚挙に暇がない。 でも、声優の仕事となると別人のようになる。 なぜ、こういう人材が声優界には多いのか。これは僕の想像でしかないが、声優を目指そうという人は、おそらくアニメやゲームが普通の人より大好きなのだと思う。大好きというレベルではなく、真剣にアニメやゲームのキャラに恋をしたり、ポエムを書いてしまうような、現在進行形で中二病という声優もいる。 そんな人たちが集まっているのだから、声優界は個性的な人が多いのではないだろうか。 見た目はアイドルのようで、演技がうまく、歌もうまい。しかし、ラジオで話しているとポンコツ。そのギャップがおもしろい。そして、有望な新人が次々と現れてくるものだから、まったく飽きることがない。 もしかしたら、僕はとんでもない大きくて深い沼に足を踏み入れてしまったのかもしれない。でも、抜け出せなくてもいいかな。ずっと楽しめそうだから。

路上生活で出会い結婚したホームレス夫婦のはなし

ホームレス。定まった住居を持たない路上生活者のことだ。世間には誤ったイメージが広まっている。 第一に、ホームレスは怠け者ではない。働いている人が多いからだ。大半の人が廃品回収やアルミ缶集めなどで現金収入を得ている。 毎日の食事は働いたおカネで買っている。ごみ袋をあさるホームレスはきわめて少ない。服は日替わりというわけにはいかないが、清潔をたもつために銭湯へ行けるくらいの稼ぎはある。 路上生活には悲しいこともあるけれど、楽しいことだってある。結婚だ。ホームレスだってマリアージュできる。東京上野公園のホームレス夫婦を紹介したい。 ホームレスの恋愛事情 意外に思われるかもしれませんが、ある程度の規模を持つテント村を訪れてみると、夫婦で暮らすホームレスは決して珍しい存在ではありません。たとえば、多摩川沿いに数軒、上野恩賜公園にも数軒……といった具合です。 (『ホームレスが流した涙』から引用) ただし、多くのホームレス夫婦は、住まいを失うまえから婚姻関係にあったケースがほとんどだ。 『ホームレスが流した涙 心に余裕がなく、着飾ることも難しいため恋愛が成就しにくい。お互いが路上生活者として出会った男女の結婚は、奇跡にひとしいと言える。 大西由紀さん(仮名)と岩田治朗さん(仮名)は路上生活中に出会い、路上で結婚式を挙げた。出会いは、先輩ホームレスだった由紀さんがホームレス1年生の治朗さんを怒鳴りつけたことから始まった。 ある路上生活者たちの経歴 ホームレス夫の岩田治朗さんは30代後半の男性だ。20代のときはアルバイトや日雇いの肉体労働をして暮らしていた。 仕事が長続きせず30代で住む場所を失ってしまう。上野公園のテント村にたどりついたが右も左もわからない。人づきあいが苦手なので先住の路上生活者ともうまくいかなかった。 そんな礼儀知らずの治朗さんを見かねたのが、由紀さんだった。たよりない治朗さんに、スパルタ式でホームレスとしての仁義を叩きこんだという。 ホームレス妻の大西由紀さんは50代前後の女性だ。むかしは路上雑誌売りをして生計を立てていた。使用許可のないゲリラ的な商売のため、厳しくなった警察の取り締まりによって廃業した。 福祉施設には長くいられず、由紀さんも上野公園へ流れついた。 世界でいちばん小さな結婚式 由紀さんのガミガミ説教からはじまった2人の出会い。治朗さんは腹を立てるどころか、それをきっかけに心を入れ替えた。 由紀さんは足が不自由だった。それなのに世話を焼いてくれたことを治朗さんは感謝した。路上生活のなかで、ふたりはお互いを気にかけて支え合うようになっていく。 プロポーズの言葉は「結婚しようか?」だった。30代男性と50代女性の歳の差があるので、はじめ由紀さんは断ったという。治朗さんは引き下がらなかった。心が通じあい、ふたりは家族になった。 こうしてめでたく婚約にこぎつけた2人は、周りに住むホームレスのテントを一軒ずつ訪ね、挨拶に回ったそうです。するとみんな自分のことのように喜んでくれて、公園のなかでささやかな結婚式をすることになりました。 (『ホームレスが流した涙』から引用) 酒とツマミを持ち寄り、路上生活者たちはふたりの新たな門出を祝った。ご祝儀にはタバコや支援ボランティアからもらったTシャツなどが寄せられたという。 ホームレス夫婦の後日談 世界一小さな結婚式から数カ月後のこと。治朗さんと由紀さんの姿が上野公園から消えていた。 じつは、ふたりはアパートに引っ越していたのだ。必要なお金は、治朗さんが日雇い現場に通って貯めていたようだ。治朗さんは大手居酒屋チェーンの契約社員として働きはじめていた。 路上で出会った夫婦は、ついにホームレス生活から脱することに成功した。あの日、生きる希望を失っていた治朗さんを由紀さんが怒鳴りつけていなかったら……。支えてくれる相手を得られず、ふたりとも路上生活者のままだったかもしれない。

溶けても生き返る謎な生物、ナマコ

僕は、ちょっと不思議な生き物に興味をそそられる。その代表格が「ナマケモノ」だ。ほとんど動かず、木にぶら下がって一生のほとんどを過ごす哺乳類だ。名前の由来も、全然動かない怠け者のようだから「ナマケモノ」。安直だがこれほどわかりやすいネーミングはない。   ナマケモノが生き残ってきた理由 普通、動かない生き物は捕食されやすいため、絶滅してしまう可能性が高い。しかしナマケモノは現在でも野生で生息している。 ナマケモノが生き残っている理由にはいくつかある。主食としている「セクロビア」という植物は毒性が強く、ナマケモノしか食べられない。そのため食事に困らない。 また、哺乳類としては珍しい変温動物。そのため、体力の消耗を最小限に抑えることができる。 そして、木の上で一生のほとんどを過ごすため、地上で生活する動物に比べると敵が少なく安全。 以上が、ナマケモノがこれまで生き残ってきた主な理由と言われている。「戦わずして生き残る」。それがナマケモノなのだ。 海の不思議生物、ナマコ 地上に比べ、海の生き物はさらにわけがわからない。深海魚などは独自進化を遂げたものが多く、非常に興味がそそられる。 しかし、結構身近な海の生き物で、僕の理解を遥かに超えたものがいる。それが「ナマコ」だ。 そもそもナマコは、目、鼻、耳、舌といった感覚器官を持たない。故に、それらから入ってきた情報を処理するための脳も持っていない。 あるのは口と肛門。そして肛門から砂を食べて生きている。すでにもう、生き物としての存在意義がちょっとわからなくなりかけている。 『世界平和はナマコとともに』(本川達雄・著/CCCメディアハウス・刊)は、ナマコ研究家の著者が記した作品だ。 そもそもナマコは、目もなく、耳も鼻も舌もない、心臓もない、脳もない。脳死が死だと言うのなら、ナマコは生きていないことになる。 (『世界平和はナマコとともに』より引用) もう、ナマコって何のために生きているのか、どうやって生きているのかよくわからない。 ナマコの武勇伝 ナマコは、見た目や生き様が変なだけではない。生態もかなり変だ。 ナマコは、外敵から身を守るために、外から刺激を与えると皮膚が固くなる。そして、さらに刺激を加え続けると、今度は液状化するのだ。 それだけではない。そのまま海水の中にいると、二週間ほどして元通りの姿に戻るというのだ! アンビリーバボー!! また、これはよく知られていることだが、ナマコは見の危険を感じると、肛門から腸を吐き出す。敵がこの腸(このわた)を食べている間にナマコは逃げる。吐き出した内臓は自然と元通りになる。 その上、身体を半分に切っても、それぞれが再生するというのだから、不死身じゃないのだろうか。 こういうことを知ると、ナマコに俄然興味が湧いてくる。ナマコすげえ。 お正月はナマコを買って 以前、ナマコに興味をもってから、食べてみたことがある。魚介類は大好きなので、ナマコもいけると思ったのだが、思ったほどではなかった。味というより、食感がダメなようだ。 でも、『世界平和はナマコとともに』を読んでいると、もう一度ナマコにチャレンジしてみようかと思う。まったく食べられないというわけではないので、とびきり美味しいナマコを食べたら、好きになるのではないだろうか。 正月、実家に帰るときにナマコでも買っていこうか。そういえば、親父がナマコが好きなはず。一緒に日本酒でも飲みながら、食べようかと思う。