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『シン・ゴジラ』が見せる特撮のこれまでとこれから PART1

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2016年7月29日に公開された『シン・ゴジラ』の勢いが止まらない。公開後17日間で観客動員230万人、興行収入33憶8200万円を突破し(oricon.co.jp 8月18日付)、40日後には観客動員420万人、興行収入61億円という数字を叩き出した(cinemacafe.net 9月7日付)。今回のゴジラの身長は118.5メートルで歴代最大だが、観客動員数および興行収入においてもシリーズ最大値を記録したわけだ。

作る側も予測できなかった女性からの支持

邦画史上最大級のヒットとなった『シン・ゴジラ』で特撮美術を担当された三池敏夫さんからお話を伺う機会を得た。きわめて大まかではあるが、まずは三池さんのキャリアを紹介しておく。

九州大学工学部を卒業後(株)特撮研究所に入社し、CMの現場を経て『超電子バイオマン劇場版』『宇宙刑事シャイダー劇場版』『上海バンスキング』で特殊美術助手を務め、その後『ガンヘッド』(1989)から『ゴジラVSモスラ』(1992)までの東宝特撮作品で美術助手兼操演助手を担当。

〝特撮デザイナー〟としての揺るぎない地位を築いたのは『ガメラ 大怪獣空中決戦』(1995)、『ガメラ2 レギオン襲来』(1996)、そして『ガメラ3 邪神(イリス)覚醒』(1999)の平成ガメラ3部作である。緻密に飾り込まれたミニチュア群は、今でも特撮映画ファンの語り草となっている。

『シン・ゴジラ』が歴代ゴジラ映画と決定的に違うのは、女性観客の動員数だ。筆者が観に行った時も、一人で観に来ている20代から30代の女性が目立っていた。公開直後から続くこうした傾向は、作る側の三池さんも予想できなかったようだ。

「台本読んで、女性客と子供客を呼ぶのは難しいだろうなと思いました。ところが女性客が多いと聞いてびっくりですよ。これは予測できませんでした。期待して来てくれて、しかも面白いと言ってくれます」

映画の公開に合わせて福岡市美術館で行われ、三池さんの講演活動の場ともなったゴジラ展も62000人もの入場者を集めた。

「『シン・ゴジラ』効果はやはり大きくて、映画を観たから行ってみようという人もたくさんいました。ファン層も広がり、展示を見に来てくれる人たちの中でも女性が多かったです。今までは握手といえば同世代男子だけだったんですが、若い女性から握手を求められることが増えて、特撮マンのモテ期が来ました(笑)。だけどなぜ女性に受け容れられたのか、わからないです」

いかにもベタなきっかけで申し訳なかったのだが、まず、手を見せていただいた。精巧なミニチュアを作る人の手はピアニストのように違いない。勝手にそう思い込んでいたからだ。でも、まったく違った。三池さんの手は、ピアニストというよりも刀鍛冶――とは言え、もちろん実際に見たことはないのだけれど――を想起させる。

「小中学生の頃は器用で、手も細くてプラモ作りも得意だったんですが、だんだんごっつくなっちゃって…。まあ、器用さは今でも自慢なんですが、指先では限界なんでピンセットとか使ってます」

特撮カルチャーの芽はプラモ少年たちが育む

特に昭和生まれなら、プラモデルを作ったことはないという男の子はいないはずだ。このあたりに、日本特有の特撮カルチャーの芽があるのかもしれない。三池さんも、「10人中8~9人がプラモデルを作れるというレベルでは、世界の中でも日本人は手
先が器用な民族かもしれない」と話している。

「最初はプラモで、あと自分オリジナルのジオラマなんかも作っていました。当時はカラー粘土も出てきていました。学童用の油粘土からスタートして、そのうちカラーのプラスチック粘土というのが出だして、混ぜるとどんな色になるのかな、なんて思いながらいじってました」

今の仕事と直接的な形でつながるものに出会ったのは、中学生時代だった。
「ハセガワというメーカーのプラモデルのジオラマでした。72分の1スケールのジオラマキットが売られていたんです。緑色のパウダーを木工用ボンドで貼り付けたりして。たしか建物自体もキットに入っていたような気がします。そんなところからセット作り的なことを始めました」

筆者の年齢は三池さんのひとつ下。物心ついた頃見ていた空想特撮映画や番組はかなり重なる。

「最初に観た特撮映画は『サンダ対ガイラ』です。5歳でした。あの作品はリバイバルがなかったから、間違いなくその時に観ています。それ以外の東宝怪獣映画は、『チャンピオンまつり』というイベント性の強い再上映でやることが多かったので、時期的にはリアルタイムではないかもしれないけれども、よく見た記憶はあります。『怪獣総進撃』は『ゴジラ電撃大作戦』という題名で観ています。あとは特撮ではないけれど、『東映まんがまつり』で東映のアニメーション作品もたくさん観ました」

タイトル名もイベント名も懐かしい。第一次怪獣ブームという言葉で表現される時代区分である。

「1966年だから、もう50年も前です。『ウルトラQ』がスタートして、同時期に『マグマ大使』が放送されて、東映も『悪魔くん』を始めて、翌年『キャプテンウルトラ』とか『ジャイアントロボ』が始まりました。それで『ガメラ』や『ガメラ対バルゴン』があって…。だけど『大魔神』は怖かったので、大学生になるまで観ませんでした」

映画を仕事として意識したのは、高校3年生の頃だったという。

「その時期、進路指導をやるでしょう? 正直に考えたら、自分は映画の仕事をやりたいと思ったんです。でも、特撮というジャンルに絞り込んでいたわけではありません。映画全般、そしてアニメーションもいいなと感じていました。当時は『宇宙戦艦ヤマト』以降のアニメブーム、そして『スター・ウォーズ』以降の洋画特撮ブームでもありました。実は、日本の特撮映画はこの時代、僕らが就職したいと思っていた頃は停滞期を迎えていたんです。同じ頃宮崎駿さんの『未来少年コナン』をNHKでやっていて、ものすごい刺激を受けました。アニメか特撮、どっちかという感じでした」

特撮か。アニメか。決め手となったのは、制作過程に感じる魅力、ひとことで言えば〝楽しさ〟だった。

「〝ひどい特撮〟には愛着が持てるけれども、〝ひどいアニメ〟は嫌だなと思いました。それが最低限の基準です。特撮だったら、お金なさそうな作品でも楽しくやれるかなと思えました」

特撮マンとしてのキャリアは、次のように始まった。

「僕は東映に押しかけて、こういう仕事をやりたいって言って入りました。当時は、そういうやり方しかなかったんです。募集も採用試験もないわけですよ。東宝は本社採用をしていましたが、社員になったからといって、撮影現場に行けるとは限らなかったんです。それよりはストレートに現場に働きかけて、もぐり込むのが一番でした」

ミニチュア特撮の現場から

『シン・ゴジラ』を軸に話を進めながら、撮影現場のミニチュアセットの写真を見せていただいた。精緻なんていうレベルの言葉では形容できないリアリティだ。

「『シン・ゴジラ』で、建物全体が斜めになってオフィス家具が流れていくシーンで使ったミニチュアは4分の1スケールです。オフィスを作って、これをシーソーみたいに斜めにして撮りました。これは今回のミニチュアの中でお金と時間が一番かかりましたね。団地の一室の家具も全部ミニチュアです。これも4分の1スケールです。ソファも、壁に並行じゃなくて、テレビの画面がまっすぐ見られる角度に置いてあります。このスケールでこういうことをやるというのは、ミニチュア特撮ではとても贅沢なんです」

リアリティとは、どんな細部であっても気も手も抜かないという意味である。

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「今回大変だったのは、ものがどうひっくり返るのかわからないので、どの方向から見ても完全な外見にしなければならなかったことです。通常は、カメラから見えない側は作りません。今回は全部転がるから、細部まで作り込んでおく必要がありました。例えばコピー機がひっくり返って裏側が見えた時に、ミニチュアとばれてしまうような作りではいけないわけです。キャスター椅子もどう転がるかわからないし、小物関係も一方向ではない動きを想定しました。棚もどう崩れるかわからないから、中に入っている箱とかファイルとか全部ひとつずつ作ってあります」

たとえば、手前に街燈とか街路樹があって、その奥に家とか雑居ビルが広がり一番奥にゴジラが立っている画を想像してください。すべてをひとつの画面に収めたい時はどうするか。

「それぞれの大きさを変えます。怪獣映画の基本は25分の1ですが、画面手前の街燈なんかは10分の1とか15分の1で大きく作ります。小さいものをカメラに近づけようとするとぼやけてしまうので、カメラからの距離は、被写界深度(ピントが合っているように見える被写体側の距離の範囲)を考えると、なるべく離します。カメラからは離れているけれども画面では大きく見せる必要があります。ライトをいっぱい当てて絞り込むというのが特撮の基本です」

遠近が自然に見える画面を完成させるには、どのくらいの数の要素を計算に入れなければならないのか?

「最終的には、美術をやってきた長年の勘が頼りになります。たとえば怪獣の足元に巨大な電柱は置けません。それでは画が成立しなくなってしまうので、せいぜい10分の1程度ということになります。こういう考え方は、僕らの先輩方が、昭和の特撮をやり始めた時からあるもので、最初のゴジラ、1954年製作の『ゴジラ』でも街灯の大きさで遠近をつけるという方法はもうやっています」

今の若い世代には、昔ながらの特撮を志す人たちはたくさんいるのだろうか? 具体的な指標として、『シン・ゴジラ』のクルーの平均年齢はどのくらいだったのか?

「今回はかなり若返らせました。アルバイトで来ていた学生も含めると、28~29歳ですね。12年前の『ゴジラ FINAL WARS』までは、無難にやるために少数精鋭でベテランを揃えましたが、同じ年代の人間がいつまでも同じポジションにいたら、下の人間が経験を積めなくなってしまいます。だから5年ぐらい前から意図的に若手を使うようにしました。その分、上の人間の負担が大きくなってしまいましたが、僕らの後継者が少しでも経験できるようにと思いました」

特撮を志す人の適正をあえて挙げるなら、忍耐力だという。

「取り組み方で言うと、作業に延々と時間をかけることに対しての忍耐力があるとかの適正はあります。忍耐力は大事です。特撮は準備に3時間とか4時間かけて、本番は10秒で終わるなんていうことばかりです」
ただ、今の時代の映画にCGが多用されていることは一般常識化している。『シン・ゴジラ』においての特撮、もっと詳しく言うならミニチュア特撮とCGはどんな関係性にあったのか。この原稿の後半で、さらに掘り下げて話していただくことにする。(PART2に続く)

(文:宇佐和通)

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