『シン・ゴジラ』で特撮班美術を担当した美術デザイナー、三池敏夫さん。前半では三池さんのプロフィール、特撮技術の基本的テクニックや特撮マンの資質についてお話しいただいた。後半では、テクニック面についてさらに掘り下げていきたい。
CGの進化とミニチュア特撮
特撮技術や撮影技術について何も知らない人間の立場から質問させていただくことにした。CGと特撮の境界線や組み合わせは、当然のことながら見ただけではわからない。『シン・ゴジラ』におけるCGと特撮の関係性はどのようなものだったのか。
「第二形態で川を遡って、係留してあるボートがひっくり返るシーンはほとんどCGです。車が押されるシーンもCGです」
CGとミニチュアの関連性について伺おうと思った理由は、今の若い世代の人たちが、「昔の『ゴーストバスターズ』のCGはショボい」というような感覚を持っているらしいことを知っていたからだ。
「あの頃は、まだCGはありませんね。今はCGが進歩したから、ミニチュアとか造形物で撮りきるよりも、狙ったニュアンスを後からいろいろ付けられるし、表現力はものすごくあります。10年以上前は、CGにも弱点がありました。たとえば『ジュラシック・パーク』ではなまめかしい恐竜が初めて表現できたけれども、流体とか煙、爆発や破壊といった物理現象に関しては、当時のCG技術ではまだまだでした。ディテールを省略した感じで嘘っぽく見えました。だけど、今は何でもできてしまいます。破壊シーンだって海の表現だって、僕らが見ても実写としか思えないレベルの仕上がりになります」
特撮のプロの目からみても、である。
「今ではまず見破れませんね。昔はどこか嘘っぽかったんです。『パーフェクト・ストーム』や『ディープ・インパクト』の時代までは、いかにもCGの海だなという感じがありましたが、2年前のアメリカ・ゴジラ(『GODZILLA ゴジラ』 2014年公開)くらいから見破れません。実物を撮っているような仕上がりです。今ではCGでできないことはないんですが、一方でCGにも弱点というか作り手にとって怖いところもあります」
怖いというのは、もっと詳しく言うとどんなことか。
「出来上がりの理想の画は見えていても、与えられた条件の中でそこに行きつく保証は何もないわけです。ミニチュアだったら、その場にある画はできているわけですから、最低限の保証があります。ミニチュアを超えるCGができればどんどん入れ替えるかもしれませんが、タイトなスケジュールで何百カットも仕上げる保険としては、最低限現場で撮った画があれば成立します。全部CGだったら、スタート時点では白紙からのスタートになるから、いいものになると保証できる人は誰もいません」
もちろん、CG慣れしているはずの今の若い人たちも、クオリティの高いCGと特撮との見きわめは難しいはずだ。ミニチュア特撮の見せ方について、現場でさまざまなアイデアが戦わされていることは想像に難くない。
「ミニチュア担当の理想としては、とにかく大きく作りたいという気持ちがあります。小さな物は、被写界深度やフォーカスの問題もあるし、作り込める限界もあります。なるべく大きく作りたいんですが、反面大きすぎると扱いにくいという問題が生まれてしまいます。制御できない部分が生まれて、芝居をさせられなくなってしまうんです」
より具体的に言えば、こういうことだ。
「たとえば、本物のゴジラの2分1スケールの模型を作ったとしても、動かせません。じゃあ3分の1や4分の1でどうかという話になるでしょうが、それでも大きすぎて技術的に無理なんです。戦車とか飛行機とかも2分の1スケールで作ればいいと思っても、それを走らせたり飛ばしたりという操作部分がついていかなくなります。スタジオの大きさの制約もあります。狙いの画に応じた適切なスケールというのがあって、大きくは作りたいけれども、ただ大きければいいというものではありません」
『シン・ゴジラ』では、まずゴジラが立っている姿を撮って、カメラを逆方向に振るとそこに自衛隊のヘリがホバリングしているシーンがある。このシーンに限っての話、CGと特撮の割合が気になった。
「全部CGです。昔は、俳優さんが怪獣の中に入るスタイルで撮っていて、怪獣に関する画は特撮班だけで作っていました。そうなると、ビルだったり山だったり、怪獣の大きさに合ったスケールのミニチュアセットが必要だったわけです。CGゴジラは実景の中に入れればいいので、ミニチュアを飾る必要はありません。それに、昔は実景の中にゴジラというパターンのマッチングがものすごく難しかったんです」
特撮映画のひとつひとつのシーンは、一般人の想像をはるかに超えるデリカシーの上に成り立っている。
「移動ショットで、たとえば動くものが奥にある時に、画面手前の電柱の細い線などを違和感なく合成するというのは基本無理でした。でも今はデジタルなので、できるようになりました。実物の電柱、電線の奥に合成というのができちゃうわけです。昔はそういうことができなかったから、ミニチュアで電線も張って同時に撮らないとだめでした」
ミニチュア特撮の必要性
今でも、どうしてもミニチュアが必要な場面はあるはずだ。ミニチュア技術の見せどころ。そんな言い方もできるだろう。
「ありますね。今回は絞り込んだ画しかやってないですけど、ゴジラの第二形態が突き破る建物は、10分の1スケールのミニチュアです。あと、民家の瓦は本物と同じように一枚一枚作りました。この映画は、そういうレベルのミニチュアにしないと許されませんでした。崩れ方がリアルにならないんです。昔は、25分の1スケールのミニチュアだったらつながった一枚の板で抜いて、上からぐしゃっと潰すという方法もありましたが、10分の1では、つながった瓦なんかありえません。壊れ方を見て
いただくと、よく分かっていただけると思います」
このあたりの話は、PART1で紹介したオフィスとか団地の一室のミニチュアが使われたシーンにつながる。ただ、気持ちを込めて作ったセットが使われないまま終わってしまうことも少なくなかったようだ。
「今回は多かったですよ。そういう意味での敗北感はかなりありますね。ミニチュアじゃないとできないよね、ということはないんです。さっきの4分の1スケールのセットも、CGでできないことはありません。ただ、CGだけで作るとなるとものすごい労力だと思います」
現場で映像に関わる人たちの間では、CG班対ミニチュア特撮班みたいな対決基軸があるのだろうか。
「みんなどっちがいいかみたいなことを言うけれど、今はそれぞれの長短を活かした共同作業なので、敵味方みたいな感覚はあまりないですね。それぞれの得意分野があって、これはこっちがやった方がよりうまくいくだろうというような考え方で取捨選択を行っています」
ちょっと大きな話になるが、これから先の特撮についてもうかがっておきたい。
「僕はCGも含めて特撮だと思っているので、そういう意味では、今後もSF映画や特撮映画はどんどん作られるだろうし、いい映画もできると思います。ただ、ミニチュア特撮ということになると、衰退していくと思います。プロデューサーがお金をかけてもミニチュアでやろうとか、監督がミニチュアで撮影することを主張しない限りは、消滅していくしかないですね。安く良くできるとなれば、選択肢としてはCGに流れるでしょう」
映画作りの現場では、今の時代は効率化のためにここはCG、ここはミニチュア特撮という形のようだ。ただ、将来は技術的な進歩で何の問題もなくCGでということになるらしい。
「技術的には、日本でもできます。『シン・ゴジラ』のヤシオリ作戦の高層ビルの倒壊は全部CGです。合成素材は現場でも撮っていますが、ビルの破片が飛ぶとか、煙もほぼCGです。CGで全部やるのは可能ではあるけれど、日本映画の制約の中でCG班が全部やるのは大変なことです」
言うまでもないだろうが、CGで作るシーンには、ものがぶつかり合う際の複雑な動きを指定する繊細なプログラミングが必要となる。
「そこでミニチュアで手助けするということです。役割として少しでも貢献できればという思いなんです。プロデューサーが今回は全部CGでということになれば、ミニチュアは切り捨てられる部分です。それくらいの力関係になっています。結論として、ミニチュアは今後もずっとやれますよとは言えないくらいのところに来ています」
情報発信機能を併せ持つアーカイブセンター
でも、これまで培われてきた技術やノウハウは、何らかの形で残されなければならないはずだ。特撮アーカイブセンターという施設ができるという話がある。この施設についてもお話しいただいた。
「まだ公式ではないので私の願望を言いますと、まずはものを残したいということです。そして図面やデザイン、写真関係や造形物とミニチュアだけではなく、技術を残していきたいんです。技術を文字情報だけで残すことは不可能です。実践を続けなければならなくて、そうなると小規模でもいいからミニチュア特撮を作る現場を維持したいというのが願いです。アーカイブセンターは、保存場所を確保するところから始まるんですが、将来的には短編でもいいから新作を作りたいですね。『巨神兵東京に現わる』がいいサンプルですね」
〝これまで〟を見せながら、〝これから〟を発信していくことになるのだろう。
「ああいう形で、少しでも新しい技術を取り込んだ短編を定期的に製作できればいいなというのが、理想的な思いです。ジブリ美術館も、昔のものも展示するけれども、新しいものも作って、あそこでしか見られない作品を公開しています。もし特撮博物館ができれば、そういう形で、アーカイブセンターであり、かつ新作発信の拠点になればいいなあと思っています。まだ〝いいなあ〟なんです。最終的にはそういうことを目指したいということです。古いものを展示するだけだったら、一度見れば終わりです。だから新しいものをどんどんリニューアルしていって、リピーターを増やす施設にしなければいけないと思います」
最後に、印象的なひと言をいただいた。
「僕らの世代は大体の人間が好きでこの世界に入っています。現場では危険がつきまといますが、でも、それが楽しいわけですよ。すべてを含めて楽しいんです」
特撮現場のベースにあるのは、楽しさなのだ。三池さんも、いかにも楽しそうに話してくれた。そして現場の楽しさは、スクリーンを見て「すごいな」とか「よくできてるな」とか、「えっ!? 本物じゃないの?」と思う人々を通じて広がっていくのだろう。楽しげな特撮マンのモテ期、確かに来ている感じです。