昼間から飲む酒は格別にうまい。
『孤独のグルメ』原作者・久住昌之さんも、まだ日が高いうちから飲む酒は「からだが夜よりも元気」だから「身も心も、酒を飲んでやろうという、いわば勝ちにいくような酒だ」と述べている。
おっしゃるとおり! よくぞ言ってくれたと全面的に同意したい。日が高いうちから飲む酒のうまさについては、私にもおぼえがある。
夜勤明けのテンションに身をまかせて、朝から「宅飲み」するのが大好きだった。
夜は働いて朝に飲む
かつて私は、コンビニで夜の10時から翌朝7時まで働いていたことがある。9時間にわたって、ひとりで店内業務をおこなっていた。ヒマそうに見える真夜中のコンビニだが、やるべきことが意外にたくさんある。
コンビニエンスストアの深夜勤はお客が少ない。しかし、清掃や仕込みをはじめ、入荷したパンやおにぎりや弁当などの検品と陳列に追われてあっという間に9時間がすぎてしまう。とっても疲れる。だが、朝の7時まで働きぬけばお楽しみが待っている。同僚にバトンタッチして、私は店をあとにする。
朝の通勤ラッシュと入れちがうようにして、私は自宅へと向かう。この瞬間だけは勝ち組になれる。そうですか皆さんいまから働きに出かけるのですか。私はいまから酒を飲みに帰ります。ルンルン。
夜勤者は飲む場所にこまる
仕事が終わるのは朝7時すぎ。酒を飲ませてくれるような店が閉まっている時間帯だ。
牛丼屋やファミレスに行けば朝っぱらから酒が飲めないこともないけれど、いちおう体裁というものがある。恥じる心を忘れてしまえば獣(ケダモノ)と同じだ。夜にかんしてはケダモノと呼ばれて久しい私だが、おひさまが出ている時間帯くらいは品行方正でありたいと思っている。
ゆえに、朝酒を楽しみたければ世間様の目がおよばない「宅飲み」にかぎる。
コンビニと宅飲み
肴(さかな)は、ざっかけないものでOKだ。台所でイチから作る気にもなれないので、コンビニで買い求めることが多い。
夜勤明けの腹具合というのは特別なものだ。眠気と疲労と空腹がまざりあっているせいか、理性をつかさどる脳の部位がバカになっている。食べたあとは明日の深夜勤にそなえてすぐ寝なきゃいけないのに、つい脂っぽいものを買ってしまう。以下、すこし貧乏くさい話がつづく。よろしければおつきあい下さい。
アメリカンドッグ。棒に刺したソーセージをドーナツ生地で包んで揚げたものだ。こいつでもって、アルコールを迎え入れるための「腹をつくる」。ビールにもよくあう。おまけで付けてくれるケチャップとマスタードをたっぷりとかけて。
諸君、私は揚げたチキンが好きだ。ファミチキ・からあげくん・Lチキ・揚げ鶏など、各社のラインナップをその日の気分によって選ぶ。五個入りのからあげパックもいい感じだ。
私は、朝におでんは食べない。「なにかちがう」と思うからだ。朝から飲酒するよりも、朝からおでんを食べることのほうが人の道をはずしている気がする。朝おでんの背徳感ったら、もう……。あくまでも個人的な印象にすぎないが。
ふつうのビール缶を3分の2ほど飲んだあたりで、わたしの顔はレッドに染まる。弱いのだ。ほろ酔い気分が好きなだけで、あまり酒が飲めるほうでない。
さて、〆(シメ)の食いものを何にしようか? 世間の定番はめん類やお茶漬けだが、私はサンドイッチを好む。セブンイレブンの『ハムサラダサンド』がいい。あれが一番うまい。ハムの質と量は他チェーン店の200円前後のハムサンドを圧倒している。しっとりしたパンと不満を感じさせない量のハムを味わいながら、残りのビールで流しこむ。
風呂は酒の最良の友
汗水たらして働いたあとに飲む酒は、うまいにきまっている。おなじくらい、風呂あがりに飲む酒だってうまい。それが「銭湯」を満喫したあとならば、なおさらだ。
『昼のセント酒』は、明るいうちから銭湯でひとっ風呂浴びたあとそのまま居酒屋へ直行するという、庶民が考えるうる最高のぜいたくを題材にしたエッセイ集だ。これを読んだせいで下戸のくせにつたない酒トークをしてしまった。
著者は『かっこいいスキヤキ』や『食の軍師』でおなじみ、久住昌之&和泉晴紀のコンビ。あいかわらず冒頭から飛ばしている。
夜の酒は、言い訳が多い。
疲れたから。嫌なことがあったから。退屈だから。飲まされたから。あるいは、嬉しいから。記念日だから。そこに酒があるから。
(中略)
夜の酒は、どうしたって、昼の酒の健康で正直で明るいウマさには、かなわない。(『昼のセント酒』から引用)
なんという「こじつけ」の妙。とにかく明るいうちから飲むことを正当化するための完璧な理論武装をして、著者の久住さんはおもに東京の銭湯と居酒屋をハシゴしている。
たとえば、寿司や天ぷらの名店がつどう中央区銀座の『金春湯』をたずねて「板前っぽい人が多い。ここには現役感がある」と発見したり、やたら張り紙(注意書き)の多い風呂屋を「注文の多い料理店ならぬ、ここはお願いの多い銭湯だ」と看破する。
本書の著者は、銭湯と居酒屋という組み合わせに浅からぬ縁がある。久住さんがまだ駆け出しだったころ、デビュー誌である『月刊漫画ガロ』の名物編集長・長井勝一さんに銭湯へ誘われたときのエピソードには、おもわず胸がアツくなった。
神保町にある『梅の湯』は、皇居ランナーたちのステーションになっているらしい。ランニング関連のフリーペーパーがいくつも置いてあったりと、汗を流したあと素通りするだけでなく、銭湯はコミュニティの形成にもひと役買っている。
本書を読めば、いまでは縁遠くなりがちな「昔ながらの銭湯」へ足を運びたくなることうけあいだ。