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“最強の格闘技”グレイシー柔術を作った日本人

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1997年10月、僕は東京ドームにいた。プロレス界のエース・高田延彦と、“世界最強の格闘技”と謳うグレイシー柔術のヒクソン’グレイシーの対戦を見るためだ。

試合の詳細は省略するが、結果は1ラウンド4分47秒、ヒクソン・グレイシーが腕ひしぎ十字固めで高田を下した。

一部の格闘技ファンの間ではグレイシー柔術について知っている人もいたが、当時は総合格闘技という概念がまだ世間に浸透しておらず、グレイシー柔術そのものがいったいどんなものなのか、未知の部分が多かった。

その上、ヒクソン・グレイシーは「400戦無敗」と言われており、昔の外人プロレスラーのキャッチフレーズとして使われていた「まだ見ぬ強豪」がまさに当てはまる格闘家であった。

実際その戦いぶりを目にすると、「強い」の一言。180cmに満たない格闘家としては小柄なヒクソン・グレイシーが、終始高田を圧倒。ほとんど何もさせず完勝という形だ。

この戦い以降、グレイシー柔術は世界にその名を轟かせることになる。ヒクソンだけでなくその兄弟も総じて強く、日本やアメリカ、その他世界各国で開催される総合格闘技の大会で勝ち進んでいく。「グレイシー柔術こそ最強の格闘技」。そうささやかれ始め、キックボクシングやレスリングといった異種格闘技において、グレイシー柔術のテクニックを駆使することが半ば定番となっていった。

グレイシーに柔術を伝授した男「コンデ・コマ」は日本初のプロレスラー

さて、このグレイシー柔術。名前の通り、日本の柔道(それ以前は柔術と呼ばれていた)がベースとなっており、試合時には柔道着で戦うことが多い。

グレイシー柔術の創始者は、ブラジルのエリオ・グレイシー。ヒクソンの父親だ。なぜ、ブラジル人が日本の柔道をベースとした格闘技を始めたのだろうか。

そこに登場するのが、一人の日本人。彼の名は前田光世。またの名をコンデ・コマ。前田がいたからこそ、グレイシー柔術が生まれ、現在の総合格闘技につながっているのだ。

前田光世は明治11年に青森県で生まれる。その後柔道の父、嘉納治五郎が設立する講道館に入門。身長こそ164cmほどと大きくはないが、講道館の中でもかなりの猛者とされ、名をしらしめることとなる。

前田は、その後日本の柔道を世界に広めるため、先輩の柔道家とともに明治37年にアメリカ・ワシントンに渡る。そこで柔道の普及のために模範組手を行ったり、実際に現地の軍人などに柔道の手ほどきをしていたが、興行主から依頼されて力自慢のプロレスラーなどと戦うこともあった。

いわば、前田光世は日本人初のプロ柔道家、またはプロレスラーとも言える存在なのだ。

アメリカだけではなく、ロンドン、ベルギー、キューバ、メキシコ、ブラジルなどで試合を行い、「生涯2000試合」を行ったと言われている。数戦の負けはあるものの、ほとんどの試合で勝利をしていることから、その名は各地に知れ渡ることとなる。

そのとき、リングネームとしていたのが「コンデ・コマ」。そして世界では、前田光世よりもコンデ・コマの名前が有名となる。

アマゾン開拓に生涯を捧げた男が柔術をブラジルに伝えた

では、なぜブラジルにグレイシー柔術が生まれたのだろうか。前田は日本からの移民の受け入れ先として、ブラジルのアマゾンに目をつけ、ブラジル・パラー州ベレンに移住。ブラジル政府と日本政府の橋渡し的な存在となり、以後はその仕事にすべてを捧げることとなる。

ブラジルにたどり着いた直後、道場を開き柔道を指導。そのときの門下生に、グレイシー柔術の創始者、エリオ・グレイシーがいたのだ。

エリオ・グレイシーは前田から授けられた柔術のテクニックを、自分の兄弟とともに独自の技術体系として築く。これがグレイシー柔術の始まりなのだ。そしてその息子、ヒクソン・グレイシーが世界にその強さを知らしめることとなる。

前田がアマゾン開拓に興味を示さなければ、グレイシー柔術は生まれていなかったのだ。仮にグレイシー柔術が生まれたとしても、現在のものとは大きく変わっていたことだろう。

なお、前田光世はアマゾンでの日本人移民のために尽力をし、生涯をブラジル・ベレンで終えることとなる。日本を26歳で離れ、一度も日本に帰ることはなかった。柔道の強さを示し日本の世界的地位を向上させるため、そして晩年はブラジルに日本人移民を根付かせるため、帰ることを自分に許さなかったのだ。

グレイシー柔術は「日本生まれブラジル育ち」

前田光世=コンデ・コマは、日本を飛び出し、柔道の普及に努めた。そして、その実践的なスタイルは、ブラジル人のエリオ・グレイシーが総合格闘技として確立し、巡り巡って日本の格闘技界に衝撃を与えることとなる。

日本を飛び出した一人の日本人が教えた柔術が、ブラジル人に受け継がれ、日本に強いインパクトを与えたということは、とても興味深い。

もし、高田対ヒクソンを前田光世が見ていたらどう思っただろうか。自分が世界に普及した柔術の強さを喜ぶだろうか。または、日本人が負けてしまったことを悲しむだろうか。

いずれにしても、弟子のグレイシー一家が自分の生まれ故郷である日本で試合をしたということは、喜んでいることだろう。

(文:三浦一紀 )

ライオンの夢 コンデ・コマ=前田光世伝

著者:神山典士
出版社:アドレナライズ
遠く明治時代、アメリカを振り出しにヨーロッパ、中南米と、世界各地を放浪しながら異種格闘技戦を繰り返し、二千試合無敗の戦績を残した柔術家がいた。  コンデ・コマ=前田光世。グレイシー柔術の祖となった日本人の青春を描く。小学館ノンフィクション大賞優秀賞作品。

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