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親の離婚・再婚経験がある人は夫婦別姓に賛同しやすい

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「夫婦別姓訴訟」は、夫婦同姓の原則に異議をとなえたものだ。2015年12月、最高裁の判決が下された。

結論は「夫婦同姓は合憲」。夫婦同姓を国が強制するのは憲法違反ではないという意味だ。最高裁は、民法750条「夫婦は、婚姻の際に定めるところに従い、夫又は妻の氏を称する。」という規定は憲法に違反しない、つまり「夫婦別姓を認めない」という判断を下した。

最高裁判所における審理では「多数意見」を判決とする。15人中10人の男性裁判官によって「同姓を強制するのは家族集団として識別するため」であり「旧姓を通称として使えば女性の不利益は少ない」という理由が述べられた。

一方の「少数意見」は5人の裁判官によるもので、そのうち3人の女性裁判官が「時代の変化を踏まえておらず合理性を欠いている」という意見に加えて「女性のアイデンティティの喪失」による不利益を指摘している。

アイデンティティとは自己同一性のことだ。名字(みょうじ)を変えるくらいで何を大げさな……と思うかもしれない。しかし、姓の変更にはひどい喪失感がある。わたしにはよく理解できる。

なぜなら、わたしの親に離婚歴があるからだ。離婚と再婚と望まぬ養子縁組によって、わたしは3つの姓に振りまわされてきた。姓の変更によるアイデンティティ喪失の苦しみは、わたしには痛いほどよくわかる。

夫の姓は「私の名前じゃない」

夫に死んでほしい妻たち』(小林美希・著/朝日新聞出版・刊)という過激なタイトルの本がある。姓の変更によってアイデンティティを傷つけられた女性は、いつしか夫の死を願うようになる。

本来なら、幸せの絶頂を感じながらサインする婚姻届だが、その時まるで北極圏のような寒さのなかに2人はいた。

「ねぇ、なんで私が姓を変えるの? 嫌だから、あなたが変えてよ」と、美幸さんが素朴な疑問を投げかけると、夫はこう答えた。
「は? 女が変えるのが当たり前だろ。俺に婿養子になれっていうの? 俺の親になんて言えばいいんだよ」

その言葉に美幸さんは唖然としてしまった。

(『夫に死んでほしい妻たち』から引用)

恋愛結婚だったはずなのに、このやりとりで一気に冷めてしまったという。職場では「通称(旧姓)」で仕事をすることを許されたが、給与口座は「戸籍名に変更しなければ振り込めない」と言われてしまう。最高裁の男性裁判官たちが合憲理由とした「女性の不利益は少ない」は現実に即していない。

たとえば、健康保険証だ。美幸さんは待望の赤ちゃんを授かったが、健康保険証は戸籍名であるため、妊婦健診で夫の名字を呼ばれるたびに「私の名前じゃない」と感じて暗い気持ちになったという。

保育園に預けている子どもが熱を出したときなど、必ずといって美幸さんのほうに電話がかかってくる。共働きなのに、なぜ父親に電話しないのか。そのくせ「役所の保育課からの書類はすべて父親の名前で来る」という。

そうした不満がつのり続けた結果、マンション購入のときに夫が加入した「団体信用生命保険」だけが美幸さんの心のよりどころになった。夫が死亡した時点で住宅ローンの返済がなくなるからだ。夫の死を願わずにはいられない。

親が離婚や再婚したときの改姓

わたしは男性で結婚歴もないが、姓の変更によってアイデンティティを傷つけられた美幸さんの気持ちがよくわかる。

母が離婚したのは、わたしが3歳のときだった。離婚後まもなくして別の男と再婚した。「まもなく」というより「時を置かずして」と言ったほうが正しいのだが、くわしくは述べない。わたしの姓は、血を分けた父親のものから「そうでない男」のものへと強制的に変更されてしまった。

実父とは生き別れたままだ。母によって写真はすべて処分されてしまったので、わたしは血を分けた父の顔を知らない。「そうでない男」は悪い人物ではなかった。なにせ3才のときに再婚したので、あどけないわたしは「そうでない男」のことを「パパ」と呼んで慕っていたことさえあった。いまでも悔やんでいる。

つぎにわたしの姓が変わるのは小学3年生のときだ。連れ子であるわたしが原因で、わたしの母と「そうでない男の母」の仲が険悪になっていた。「そうでない男」も再婚であり、2人の連れ子がいた。しかも、わたしの母とのあいだに新たに子をもうけていた。わたしにとっては腹ちがいの妹にあたる。「そうでない男」の一族とは血のつながりのないわたしは邪魔者でしかなかったようだ。

やがて「そうでない男の母」の意向によって、わたしだけが母の実家へ預けられることになった。さらに、わたしは「そうでない男」の戸籍からはずされて、わたしの母の両親、つまり母方の祖父母の養子として迎えられることになった。わたしが母に捨てられた瞬間である。

姓を変えられるのは想像する以上につらい

こうして、わたしは母の旧姓を名乗ることになった。2度目の改姓であり、いま名乗っている本名だ。母のことを恨んだり憎んだりしたこともあったが、そんな彼女もあと数年で還暦をむかえる。ばあさんをネチネチと言葉責めする趣味はない。

過去をほとんど水に流したとはいえ、母の離婚や再婚や許しがたい仕打ちによって、わたしはアイデンティティがいまいち定まらないまま今日まで生きてきた。小学生のときにいきなり姓が変われば、教室内ではいたたまれない気持ちになる。それに転校や転居や養子縁組が加われば、もはや自分がどこの誰なのかを見失っても仕方がないと思う。

わたしの身の上話が長くなってしまった。結婚によって改姓を強制することが「人間のアイデンティティを喪失させる」のは事実だということを、わたしの実体験をもとに説明したかった。先に紹介した美幸さんによる「夫の姓は私の名前じゃない」という悲痛な声は、けっして大げさな訴えではないのだ。

(文:忌川タツヤ)

夫に死んでほしい妻たち

著者:小林美希
出版社:朝日新聞出版
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