ハウツーが満載のコラム
文字サイズを変更する

フランス人に最も愛された日本人画家・藤田嗣治

  • このエントリーをはてなブックマークに追加
  • LINEで送る

1920年代、パリで活躍した外国人画家たちのグループ〝エコール・ド・パリ〟には、モディリアーニが、シャガールが、そして日本人画家の藤田嗣治が代表格としていた。

藤田が描いた裸婦画の乳白色の肌は「透き通った肌の質感は美術史において、初めて肌の描写を芸術にした」とフランスで熱狂的に支持され、藤田にはレジオンドヌール勲章が授与された。

藤田は63歳でフランス国籍を取得し、レオナール・フジタとなった後は二度と日本の地を踏むことなく、196881歳で生涯を閉じた。

昨年の秋には小栗康平監督、オダギリジョー主演の映画『FOUJITA』でもその半生が描かれた。

子供画のモデルに出会う

パリ郊外のジフ市に暮らしていた時のある朝、犬の散歩中にひとりの見知らぬムッシュから声をかけられた。

「日本人かい? 僕はフジタの隣人なんだよ。マダムはもうフジタの家には行ったかい?」。唐突にそう聞かれ、私には藤田さんという友人も知人もいなかったので「私は日本人ですけど藤田さんという知り合いはいませんが」と答えた。すると、ムッシュは目を丸くし「フジタだよ、あの偉大なフジタさ。僕は子供の頃にフジタに絵を描いてもらったんだよ。彼はそれはそれは、やさしいおじいちゃんだったよ」と自慢げに語った。そう、フジタとはあの巨匠の藤田のことだったのだ。

藤田は晩年に子供の絵を多く描いたが、私は偶然にもその時代のモデルの一人に出合ったというわけだ。

「今度、犬の散歩で僕たちの町まで歩いてきてほしい。フジタの家には今も入れるから、ぜひ訪ねてやってくれ」。ムッシュは、藤田のことを、まるで自分の祖父のように慕っていたようだ。藤田には子供はいなかったが、ムッシュのように彼をを祖父のように愛したフランスの少年少女は、きっと大勢いたに違いない。

ラ・メゾン・アトリエ・フジタ

藤田が晩年に暮らした家はパリの南西30キロのヴィリエ・ル・バークルにある。藤田の五番目の妻、君江夫人が日本へ帰国する際にエソンヌ県に寄贈し、現在は美術館、ラ・メゾン・アトリエ・フジタとして一般公開されている。県営なので入場は無料だ。

私が住んでいたジフとは隣町なのだが、郵便番号が同じで、しかも公立の中学高校の学区も同じだった。車で行けば10分だが、徒歩だと丘を越え野を抜けて行くので1時間以上の道のりだったが、ムッシュに教えられた道順で私たち家族は犬を連れ長い散歩に出た。

ラ・メゾン・アトリエ・フジタは、フランスらしく犬連れOKだったので我が愛犬も一緒に巨匠の家におじゃました。日本語のオーディオガイドを借りると藤田の声を聞くことも出来る。「私も80歳になりましたので、自分の声を残しておこうと思います」と語りかけてくる声はニッポンのやさしいおじいちゃんそのものだった。

台所には日本語のメモがあり、居間には美空ひばりのレコードがあり、国籍を変えても藤田の心はいつも日本人だったのが伝わってくる。またアトリエは、ついさっきまで藤田がそこで作業をしていたまま残されたという感じで、美術にはたいして詳しくない私でも随所に目を奪われ、とても感動した。

「嗣治の女」ロンシャン競馬場

さて、独特で洗練された文体で今もファンが多い虫明亜呂無が人物スケッチ集『仮面の女と愛の輪廻』(虫明亜呂無・著清流出版・刊)で、藤田作品を取り上げている。

それは1980年に『競馬ニホン』に掲載されたエッセイで、筆者が藤田嗣治展を観に出かけ、一枚の絵に釘付けになった話だ。

展示作品のなかに、「ロンシャン競馬場」という作品があった。これは、エッチングを思わすように、黒い線だけで描かれた競馬場の風景だった。正確に言えば、競馬場のスタンドで、競馬を見ている女性だけが描かれていた。彼女は、ひとりでスタンドに立ち、彼女以外には、わずかに、コースの一部がそれとわかる程度の淡さで画き添えられていた。が、それだけで、僕には、たちまちロンシャン競馬場の雰囲気が伝わってきた。(中略)ひとりの女性の立ち姿をめぐって、あの豪華というか、はなやかさの極みとでもいうべきロンシャンの偉容は申し分ないほど充実して、全貌をあきらかにしてきていた。(中略)風景は競馬場だし、雰囲気は泡立つように浮き浮きとした、驕りの春のひとときの幻影にも似た光景なのに、藤田嗣治は、彼が生涯追及してやまなかった「女」だけを、ひたすら、描いていた。

(『仮面の女と愛の輪廻』から引用)

珠玉のエッセイ集

本書の人物スケッチでは豪華なメンバーがずらりと並んでいる。

なぜ、ジムに行くか――三島由紀夫の肖像

深夜のボーリング場から――厳格主義者・伊丹十三

朽ちぬ冠――長距離走者・円谷幸吉の短い生涯

「良い女」の輝き――岩下志麻

吉永小百合の反庶民性

神宮の森にシビレた――三宅一生ファッション・ショー

クリスビンとチャップリン

などなど。

そして本のタイトルとなっている、仮面の女は水森亜土について、愛の輪廻は紫式部と清少納言とジョイス・キャロル・オーツについて書かれたものだ。

また、カバー写真には映画『秋のソナタ』のイングリット・バーグマンとリヴ・ウルマンがピアノでショパンを弾くワンシーンが使われている。

偉大な人々の軌跡をたどるのは面白く、また、多くのことを教えてもらえる。

(沼口祐子)

仮面の女と愛の輪廻

著者:虫明亜呂無
出版社:清流出版
甘美で悲痛な自伝的回想、三島由紀夫、伊丹十三、三宅一生、藤田嗣治らを論じた卓抜な人物スケッチ、悲劇のマラソンランナー円谷幸吉を描いた幻の傑作長篇評論「朽ちぬ冠」も収録。

  • このエントリーをはてなブックマークに追加
  • LINEで送る

関連記事