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天下一番は真田信繁。じゃあ、二番は誰?

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「優勝以外は準優勝でも1回戦負けでも、負けは負けなんだよ!」
スポーツ漫画などで、よく聞く台詞ですね。
優勝、金メダル、1位の人のことは覚えていても、2位以下の人のことはあまり記憶にない。人間ってそんなものです。

話題の大河ドラマ『真田丸』の主人公・真田信繁(幸村)は、大坂の陣の戦いで、徳川家康の首にあと一歩のところまで迫るも、あえなく討死。その活躍は「日ノ本一の兵(つわもの)」と評され、その首級は「天下一番首」となりました。

さて、当然「一番」があるのですから「二番」もあるはず。
大坂の陣の「天下二番首」って誰だかご存じですか?

真田信繁より有名だった?

大坂の陣の戦いが始まる前、豊臣秀頼は大坂城に浪人たちを集めました。その浪人の名簿を見た徳川家康は、
「大坂城中に御宿勘兵衛、後藤又兵衛ならでは別に人これなし」
(大坂城内には、御宿勘兵衛、後藤又兵衛以外、たいした人物はいない)
と、語ったといわれています。

……真田信繁がいませんね。
後藤又兵衛は、黒田官兵衛・長政に仕えた猛将として知られています。
いっぽうの御宿勘兵衛(みしゅく かんべえ)はというと、相当な歴史好きでないと知らないくらい歴史に埋もれてしまった武将といえます。
しかし、この御宿勘兵衛こそ、「天下二番首」であり、当時の知名度は真田信繁よりも上だった人物なのです。

御宿勘兵衛って何者?

御宿勘兵衛は、父の代からの武田家家臣であり、武田滅亡後は北条家を頼り、北条滅亡後は徳川に仕えます。家康の次男・結城秀康の重臣となり1万石の禄をもらいますが、秀康の死後、息子である福井藩主・松平忠直と不和となり出奔。豊臣秀頼の呼びかけに応じて大坂城に入り、大坂夏の陣で討死。享年49といわれています。

信繁と勘兵衛の共通点

御宿勘兵衛の半生を見ると、思いのほか真田信繁との共通点が見つかります。もとは同じ武田家の家臣であること。北条、徳川との関係、そして大坂の陣、また二人は同い年でもあります。
生前と死後の知名度が真逆の二人。信繁と勘兵衛の二人を分けたものとはいったいなんだったのでしょうか?

その答えが描かれているのが『くせものの譜』(簑輪諒・著/学研プラス・刊)です。御宿勘兵衛を主人公に据え、依田信藩、佐々成政、本多富正といった歴史好きをニヤリとさせる武将たちの、【時代に抗い、己の覚悟を貫く】生き方を描いた連作短編集で、もちろん真田昌幸・信繁親子も物語のキーパーソンとして登場します。
『真田丸』では描かれない、歴史の中に埋もれてしまった「くせもの」達の物語。

歴史小説としても、また、『真田丸』の副読本としてもオススメです。

(フムフム編集部)

くせものの譜

著者:簔輪諒
出版社:学研プラス
主家が次々滅亡する縁起の悪さから「厄神」と嫌われた男・御宿勘兵衛。結城秀康という理想の主の下、野本右近、久世但馬、本多富正、塙団右衛門ら、癖も実力もある朋輩たちと、理想の家造りを目指すが……。天正壬午の乱から大坂の陣まで、戦国を駆け抜けた「戦人」たちの物語。

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