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豊臣秀吉はこうして人心を掌握したのか?希代の営業マン、秀吉の素顔に迫る!

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NHKの大河ドラマ『真田丸』が高視聴率を記録しているという。
毎週、毎週、「えっ!マジ?」とびっくりする事件が次々と起こるから、人気を集めるのも当然だと思う。
私は元々、大河ドラマが好きだし、三谷幸喜の芝居や映画のファンなので、楽しみに見ているが、主人公の真田信繁もさることながら、豊臣秀吉の描き方が面白くてたまらない。
「愛想のいい庶民的な太閤さま」と「震え上がるような冷酷な為政者」、その二つの顔が瞬時にして入れ替わる様は、ちょっとしたオカルトだ。

秀吉は「人たらし」の才能を持っていた

豊臣秀吉は「人たらし」だったと言われる。
「人たらし」というと、「女たらし」の言葉を連想し、悪い意味にとらえがちだ。
人をだますという意味もあるから、当然と言えば当然だ。
しかし、秀吉の場合は、人の心をつかんで自分の味方に引き入れてしまう能力としての「人たらし」の才能があったようなのだ。
敵方の武将までもが、秀吉の笑顔に触れると、なぜか身を投げ出して協力を申し出るようになる。
百姓の出身で、強い後ろ盾も持たなかった秀吉が、関白までのし上がることができたのは、この「人たらし」の才能を駆使したからに違いない。

毛利輝元をこの手につかむために

これと決めた人を味方に引き入れるためなら、秀吉は努力を惜しまなかった。
なりふりかまわぬ前進ぶりに振り回され、周りの人はたまったものではなかったろう。
たとえば、妹の朝日姫を徳川家康に正妻として差し出しているが、すでに別の人と結婚している朝日姫を無理矢理、離縁させて嫁がせるのだから、すごい。
人間とは思えない。
さらに、長年にわたって争ってきた毛利氏を自分の配下として取り込むために、秀吉は必死になった。
どちらが主君かわからぬほど気を遣い、家中総出で接待に努める。
「いよっ、この人たらし!」と、かけ声をかけたくなるほどだ。

秀吉の「お・も・て・な・し」

天正16年(1588年)のこと。
中国地方の覇者、毛利輝元が上洛した。毛利元就の孫にあたり、秀吉にとって、天下統一に向けてどうしても味方につけておくべき有力大名である。
当初は徹底抗戦の姿勢を見せていた毛利輝元だが、秀吉の隆盛には勝てず、関白秀吉に臣下として礼をとるため、上洛することになったのだ。
輝元は7月7日、安芸の吉田郡山城を出発した。
無事に上洛を果たし、京都と大阪に約1ヶ月滞在した後、9月19日に自分の城に帰っている。
その間、2ヶ月の滞在の様子は、家臣の平佐就言によって細かく記され、日記としてまとめられているが、秀吉の気の遣いようといったら・・・。「そこまでやるの?」と、聞きたくなるほどだ。
その猛烈な「お・も・て・な・し」は、東京オリンピックだって、誘致できそうだ。

毛利輝元の心の動きが手に取るようにわかる

秀吉の接待 毛利輝元上洛日記を読み解く』(学研プラス・刊)は、『中世武家儀礼の研究』や『武家儀礼格式の研究』で名高い二木謙一が、輝元の上洛日記に着目し、私たちにも理解できるように解説した優れた本だ。
著者はNHK大河ドラマ『毛利元就』や『風林火山』などの風俗考証も担当した経験があるというが、歴史上の人物と現在とを結ぶ力を持っている方なのだろう。
『秀吉の接待 毛利輝元上洛日記を読み解く』で示される旅日記は、たった2ヶ月の滞在を記したものなのに、毛利輝元の心がどのように変わっていったかが、手に取るようにわかる。

上洛を前にしていた時の輝元の胸中は、おそらく不安と恐怖に包まれていたであろう。それが聚楽第で初めて関白に拝謁し、それから約二ヶ月にわたって京都・大阪に滞在している間に、当初の重苦しい思いはすっかり消え失せ、関白秀吉に対する忠誠心へと変わっていった。

(『秀吉の接待 毛利輝元上洛日記を読み解く』より引用)

そう、輝元は秀吉の術にはまったのだ。

秀吉は稀代の営業マンだったのか!

秀吉は警戒心をむき出しにする人々を自分の虜にするために、一体、何をしたのか?
秀吉が人たらしと呼ばれるようになったのはなぜか?
秀吉の行った独特のおもてなしに隠された巧みな人心掌握術とは?
『秀吉の接待 毛利輝元上洛日記を読み解く』を読むと、その秘密がわかる。
私はこの日記を今から400年以上も前に行われた「おもてなし」の秘密を明かした本だと考えている。
秀吉の人心掌握術は、現代の営業マンや旅行業者にとっても、参考になる点が多い。
営業のバイブルとなり得るとさえ思う。
百姓から関白にまでのし上がった豊臣秀吉には、ベンチャー企業の社長さながらの頭脳と工夫があった。
自ら進んで聚楽第を案内して歩き、大阪城では自ら茶を点てる。どれもこれも、計算されたパフォーマンスである。
これを学ばぬ手はない。
私たちも秀吉の「おもてなし」を学び、吸収し、希代の「人たらし」になるべく努力して、ビジネスチャンスをつかみたいものだ。

(文・三浦暁子)

秀吉の接待 ―毛利輝元上洛日記を読み解く

著者:二木謙一
出版社:学研プラス
時は天正16年(1588)、舞台は豊臣秀吉の人誑(たら)しの凄さと、絢爛たる桃山文化が開花し、秀吉の手により改造された京都。西国の雄・毛利輝元は秀吉に初めて対面するため、緊張と不安が入り混じる上洛の旅に出る。そこに待ち受ける秀吉の接待とは?

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