ハウツーが満載のコラム
文字サイズを変更する

人生に疲れ切っても、あなたにはあなたの戸越銀座商店街がある

  • このエントリーをはてなブックマークに追加
  • LINEで送る

私は今年で結婚して36年になる。
結婚してから10年間は専業主婦をしていた。
結婚するとき、夫に「専業主婦でいて欲しい」と、言われ、「いいわよ」と、安請け合いしたのだ。
念願だった息子にも恵まれ、とくに何の不満もなかったけれど、心のどこかで「これでいいのかな」と、思っていた。
とりわけ、書類に職業を書くとき、私はいつもうつむき、「うっ」と、なった。
主婦という項目がない場合も多かったので、「職業・なし」と書きながら、「私は、なしなのか?」と、自分で自分に聞いたりしていた。

自由業の欄に○をつけながら

息子が8才になった頃から、私は原稿を書くようになった。
応募したエッセイが運良く本になり、原稿料を受け取るようになったからだ。
以来、26年、細々とではあるが、書き続けてきた。
好きなことを仕事にしたのだから、幸運だと思ってはいるが、書類を前に「うっ」となるのは相変わらずだ。
なんと書いたらいいのかわからないのだ。
エッセイストと書くべきなのかもしれないが、そんな項目はなく、いつもうろたえながら「自由業」の欄に○をする。

職業を選んだわけではない

戸越銀座でつかまえて』(朝日新聞出版・刊)の著者・星野博美は、『コンニャク屋漂流記』など数々の優れた作品で知られる作家だ。
『転がる香港に苔は生えない』で、2001年の大宅壮一ノンフィクション賞も受賞している。
それだけではない。
写真家としても知られ、『華南体感』『ホンコンフラワー』など作品集も出版するなど、多方面で活躍している。
まさに、クリエーターになるべくしてなった方だと言いたくなる。しかし、彼女はうめくように書いている。

私にはいまでも、この職業を選んだという自覚があまりない。あるのは、割と自由な生き方を選んだかもしれない、という自覚だけだ。

(『戸越銀座でつかまえて』より引用)

目指すは戸越銀座商店街

『戸越銀座でつかまえて』は、ライターとして、カメラマンとして活躍していた著者が、40歳になった頃、実家に戻った経緯を書いたものだ。
心身のバランスを崩し、一人暮らしが困難になり、どこかに逃げようと思った彼女の頭に浮かんだのは、かつて暮らした香港でも、人里離れた一軒家でもなかった。
目指すべき場所はただひとつ。
戸越銀座。
東京の品川にあり、かつては「日本一長い商店街」として知られた戸越銀座商店街があるところだ。
長いといっても、歴史が古い、という意味ではない。距離が長いのだ。全長が約1.3キロというのだから、これは確かに長い。
著者は就職してからずっと中央線近辺に住み続け、時には海外で暮らしてきた。そんな彼女にとって、戸越銀座は18年半の間、意識的に離れていた故郷だった。

愛猫「しろ」の死

「ふるさとは遠きにありて思うもの」と、室生犀星はうたったけれど、星野博美にとって、故郷である戸越銀座は、近くにあっても、意識的に行かない場所となっていた。
彼女がそんな故郷に帰ったのは、「一人暮らしに敗北した」からだという。敗北の理由はいくつかあるが、一番、大きなきっかけとなったのは、飼っていた猫「しろ」が死んだことだ。
ふらりと勝手にアパートに住むようになった野良猫「しろ」。
気づかぬうちに自分を支えていてくれた「しろ」。
その喪失はあまりに大きく、著者は、鬱状態に陥り、朝、起きられなくなり、食べるものもさえ決められなくなる。

涙の赤飯

ドン底状態で帰った娘を母は赤飯を炊いて迎えた。
雪の降る寒い日だったという。
母はわかっていたのだ。
娘がどれほどまいっているか。
だからとにかく、生きるために食べなさいと言いたかったのだ。
私は読みながら涙が出た。
自由な生き方を求め、必死にあがいた著者が、どれほど孤独だったかわかるからだ。
たとえ結婚していても、子供がいても、幸福ですと言ってはみても、そして、実際に幸福であっても、フリーランスで生きてしまった人は、自分の中のアンバランスな何かをもてあます。
著者は言う。

自由という名の暴君が、人生を食いつぶし始めたのである

(『戸越銀座でつかまえて』より引用)

私がなりたいもの、それは戸越銀座商店街

職業に関係なく、人は皆フリーランスだと、私は思う。
専業主婦であったときも、エッセイストという肩書きを得ても、私はいつもどこかでうなだれ、「うっ」となっていた。
ひたすらに人生がおそろしく、とてつもなく心細い。
戸越銀座商店街で近所の噂話をしているお年寄りも、人にものを教える先生も、大会社を経営する実業家も、人はみなその人生において、フリーランスだ。
強がってはいても、これからどうなるのだろうという不安に向き合いながら、もがき苦しみ、しかし、時に微笑んで生きている。
自由を求め、自由に犯され、こわくなって自由を手放そうとしながら、また欲しくなって手を伸ばす。
私もあがきながらでも、生きていくしかない。
実家の両親は既に亡くなり、私には帰るところもないけれど、心底、まいったときは戸越銀座商店街に行ってみたいと思う。
そして、息子夫婦がまいったときは、この私が戸越銀座商店街となり、赤飯を炊いて待っていてやりたい。
なるぞ、戸越銀座商店街に!

(文・三浦暁子)

戸越銀座でつかまえて

著者:星野博美
出版社:朝日新聞出版
40代、未婚、子なしの著者が、「一人暮らし」に疲れ、実家の戸越銀座に出戻ることを決めてからの日々を綴った身辺雑記。自らの来し方を振り返る正直な筆致は、女性の圧倒的な共感を呼ぶこと必至。

  • このエントリーをはてなブックマークに追加
  • LINEで送る

関連記事