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社畜という生き方

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絶望的でグロテスク。エロティックでスキャンダラス。なのに最上級のエンターテインメント。今の世の中で言うポリティカリー・コレクトネスを全否定する『家畜人ヤプー』という小説が話題になり、そして大問題になったのは、今から60年前のことだ。

エロくてグロいディストピア小説

この小説は沼正三という人物の作品で、当時、『奇譚クラブ』という雑誌に連載されており、三島由紀夫氏や寺山修司氏から高い評価を受けていた。ストーリーをざっと紹介しておく。体としてはSF小説で、日本人男性(瀬部麟一郎)とドイツ人女性(クララ・フォン・コトヴィッツ)のカップルが円盤墜落事故を通じて未来世界を訪れることから始まる。
その未来世界では、日本人が家畜化されて〝ヤプー〟と呼ばれている。ヤプーは、自分たちが神格視する支配階級に服従することに喜びを見出しながら生きている。知性を有する動物として支配階級に飼われながら、〝生体家具〟や食用目的、さらには愛玩動物という役割を担っている。
主人公のカップルが未来世界を訪れた時間旅行テクノロジーを通じて真の日本史が明らかにされ、二人の関係にも絶望的結末が待っている。
作者の沼正三氏について言えば、この人物が誰であるかはいまだにはっきりしていない。いわゆる覆面作家で、正体に関しては諸説あり、三島由紀夫氏も可能性がある一人として挙げられている。

全人格労働

イメージがまったく同じとは言わない。でも、〝ブラック企業〟というキーワードから派生した〝社畜〟や〝全人格労働〟など、ヤプー的な毒々しい響きを孕む言葉をさまざまな媒体で見聞きするようになった。全人格労働という言葉は、産業医の阿部眞雄さんが生み出したものだ。阿部さん自身の定義によれば、「労働者の全人生や全人格を業務に投入する働き方」ということになる。
2016年1月12日の朝、JR常磐線の綾瀬駅ホームで電車を待っていた人がめまいを起こして線路上に転落し、向かっていた上り電車が駅の手前300メートルほどで急停車した。安全確認が行われる中で、この電車に乗っていた40代の男性が窓を開けて線路に降り、綾瀬駅まで歩き始めた。男性の行動により、常磐線と東京メトロ千代田線が1時間完全に止まり、約10万4000人に影響が出る結果となった。
この男性は駅員に保護され、後に警視庁の取り調べを受けたが、その際こう語ったという。「会社で大事な会議があり、遅れられなかった」

高めざるを得ないモチベーション

理由はどうあれ、線路内なんか歩いたらただでは済まないことはわかっていたはずだ。でも、いつもの朝にない〝大事な会議〟という要因によってスイッチが入ってしまったのだろう。そして彼は、会議に出られないという致命的なリスクより、線路の上を歩いて身柄を拘束される可能性というリスクを選んだ。確かに、社畜度が振りきれた状態にある人間の行動かもしれない。
この事件の6日後、首都圏に大雪が降った。私鉄各社の運行に1~2時間の遅れが出て、中でもひどい状態だったのが、筆者も日頃使っている京王線だ。新宿から9駅はなれた千歳烏山駅では、間引き運転によって電車が少なくなったために入場規制が実施され、駅前に500メートルほどの列ができた。中には朝7時から4~5時間待って会社までたどり着いた人もいたようだ。田園都市線の三軒茶屋駅でも同じような光景が繰り広げられていた。
いくら大事な会議だとはいえ、線路に降りて歩くほどの価値があるのか。そこまでドラスティックな行動ではなくても、大雪が降る中4時間以上かけて会社にたどり着かなければならないのか。この光景を見ながら、モーレツ社員という言葉が脳裏をよぎった。

モーレツ社員から牛若丸三郎太へ

1970年代、まだ高度成長期の中にあった日本の企業戦士たちはモーレツ社員と呼ばれ、自分の健康も家庭も顧みず働きに働いていた。会社の方針や上司の命令に従い、ただひたすら働いていた。社畜度から考えれば、当時のサラリーマンの方が高かったのではないか。実態に関するおどろおどろしい表現がなかっただけの話だ。
その後、海外で日本企業のプレゼンスが高まると、某製薬会社の栄養ドリンクのCMキャラクターとしてジャパニーズ・ビジネスマン代表の〝牛若丸三郎太〟が登場した。牛若丸三郎太にプライベートな時間はほとんどなかったはずだ。会社を背負って会社のために24時間働き続け、闘う男だったからだ。

そして現れたニュー社畜キャラ、薮隣一郎

『社畜人ヤブー』(那智泉見・著/PHP研究所・刊)の主人公は、薮隣一郎という。もちろん、家畜人ヤプーの主人公瀬部麟一郎に寄せたものだろう。でも、藪麟一郎には悲惨さも絶望もない。社畜であることに生きる意味を見出しているからだ。「自己表現はバカ言葉」とか、「『自分らしい』のアホさ」とかしれっと言い切り、どんな理不尽な状況もBL(ビジネス・ラブ)というコンセプトに落とし込み、完全に消化してしまう。
しゅっとした外見と会社にへりくだりすぎる態度の圧倒的なギャップを通じて語られるのは、仕事との距離感とか、働くことの意味とかの極論だ。ものごとの本質は、シュールな見せ方を通じてこそ浮き彫りにされるのかもしれない。そう、60年前『家畜人ヤプー』が多くの人々に密かに受け容れられ、陰で大絶賛されたのと同じように。

(文:宇佐和通)

社畜人 ヤブー

著者:那智泉見
出版社:PHP研究所
社畜上等。さあ、骨になるまで働きましょう! 残業は「会社へのおもてなし」、クレームは「お客様からのラブコール」、低賃金は「控えめな自分へのじらしプレイ」。スタイリッシュでクールな社畜・薮隣一朗降臨! PHPCOMIX、BL(ビジネスラブ)始めました! 不況下、就職難の時代、正社員として企業に勤めるという「フツウ」のことがファンタジーになってしまった現代。地味でも過酷でも低賃金でも懸命に働くすべてのワーカーに向けて、「社畜ライフ」も悪くない、自分を成長させる準備期間と前向きになれるコミック!!! ブラック企業もドレイ労働も低賃金もすべて前向きにとらえ、個を失わない「社畜人 ヤブー」の生き方を描く!!!

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