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ゲジゲジは害虫ではない! 誤解される生きものたち

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誰もが嫌う虫や動物の代表格と言えば、ゴキブリ、ゲジゲジ、いも虫、ネズミ、カエル……いつも不動のラインナップだ。とっても極端な例えだが、殺人犯が愛玩動物を殺す習癖を持っていた事実はおぞましく伝えられるけれど、田舎のおばあちゃんが素手でゴキブリを叩き潰していた事実は笑い話になる。こうして、人間が定めたヒエラルキーによって、生きものへの好感と悪感が定まっている。

ハトは「平和の象徴」ではなく「戦いの神」?

映画監督・ノンフィクション作家の森達也が首都圏じゅうの生きものを探った異色作『首都圏生きもの記』(学研新書)は、1億円以上ものお金をつぎ込んで(1羽あたり1万円の経費を使った計算)カラスを駆除した行政を突つくなど、実に著者らしい視点で社会と生きものを繋ぎ合わせていく一冊だ。

例えばハト。愛と平和のシンボルとして定着しているが、ルーツを探ると、この日本でハトは「戦いの神」とされてきた。ハトは日本各地にある八幡神社のお使いで、「この八幡神社に祀られる八幡大神(八幡大菩薩)は、そもそもが武士階級の守護神」だったという。闇雲に謳われる〝平和の象徴〟とは、さすがに距離を感じるルーツだ。

新聞記者がハトの脚に記事をくくりつけた時代があった

帰巣本能の高いハトは、かつて伝書鳩としても使われていた。著者が旧知の新聞記者に聞くところによれば、1960年代半ばまで、一部の記事の送付をハトに頼んでいたという。電話やFAXが満足に使えない時代、九州や北海道から記事を送るにはハトが最も有効な手段だった。

「かつて社会部の記者たちは社からは離れた現場に行くとき、ハトを入れたかごを持ってゆくことが当たり前だったという。取材して記事を書いてから、その紙片をハトの脚にくくりつけた容器に入れて、空に放つのだ」。ニュースの速報性を作り上げる最たる存在がハトだったとは、今、植え付けられているハトのイメージとの乖離があり、興味深い。

ゲジゲジは、ゴキブリなどの小さな昆虫を補食する益虫である

「害虫」という言葉は、この上なく直接的に揶揄する言葉だが、たとえばゲジゲジなどはこの代表格としてエントリーしてくるだろう。著者は就寝前の寝室の壁に貼り付いたゲジゲジに後ずさりすると、思わずゲジゲジについて調べ始める。ゲジゲジは通称で、正式和名は「ゲジ」。漢字では蚰蜒と書く。字を見ればそれぞれに虫編がついているが、節足動物唇脚綱のゲジ目に属しており、なんとゲジゲジは昆虫ではなかったと知る。

「害虫」を辞書で調べれば「人畜に危害を与え、または作物などを害することによって人間生活に害や不快感を与える小動物の総称」と出てくるが、ゲジゲジは「人家近くに生息してチャバネゴキブリなどの小さな昆虫を補食する」生きものであり、害虫ではなくむしろ益虫だ。ゲジゲジ自体に人に危害を与える可能性もない。触ってもかぶれないし、噛まれることもない。

でも、人は漏れなくゲジゲジを「害虫」だと規定する。全ては見た目の問題。人家近くに生息するため、思わぬところで登場してしまうから人間へのインパクトが強い。害がないくせに、人間をビビらせる=迷惑という理由で「害虫」と認知される。むしろ、「ゲジゲジの天敵は、強いていえば彼らを嫌う人間だ。見つかった場合には問答無用で殺される場合が多いのだから」とゲジゲジの視点を借りる著者に思わず共振する。

「都会は人間だけのものじゃない」という主張

食文化は、その土地に根付く大切なカルチャーである。バラエティー番組の罰ゲームなどで〝ゲテモノ食い〟はテッパン企画だが、それらを〝ゲテモノ〟と規定するのは、その土地の習慣からしてイレギュラーだから、に過ぎない。日頃、目にしている生きものがなぜそこにいるのか、どういった特性を持っているのかを知らず、印象だけで害虫化している事例が多々ある。「都会は人間だけのものじゃない」という、言われてみれば当たり前の主張がずっしり刺さる。反復するけれど、ゲジゲジは誰にも害を与えないのである。

(文:武田砂鉄)

首都圏生きもの記

著者:森達也
出版社:学研パブリッシング
自然が乏しいと思われている都会にも、ペットの犬や猫のほか公園に棲息する鳥や虫、捨てられた外国産の高級動物など意外に多くの生き物たちが生息している。都会で人間と共生する多くの生き物たちの実態を、著者自身が撮影した写真とともに独特の視点で綴る。

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