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新薬の開発には医療モニターが欠かせない

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1日2万円~3万円、3週間で50万円というように高額謝礼がもらえるアルバイトがあるのをご存じだろうか? 医療モニターがそれだ。どんな新薬も認可を受けるためには安全性が確認されなければならない。長年に渡って研究開発された薬は、まずは健康な人が服用してデータをとる、次に患者に投与してデータをとり、安全性を確認するというステップを踏まなければならない。これらをクリアして、やっと許可が下りて発売ができるというわけだ。

つまり医療モニターとは、健康な人がリスク覚悟で自らすすんで実験に臨むことなのだ。

在外邦人向け新聞では募集広告が目立つ

フランスで暮らしていたときは、医療モニター募集の広告をよく目にした。在仏邦人向けのフリーペーパーには毎週のように募集広告が大きな囲みで出ていたのだ。

20歳から60歳までの健康な日本人の男女の方、医療モニターにご協力ください。清潔で快適な施設にて日本語が話せるスタッフがお世話をいたします。○月○日~○月○日。当方までの交通費は負担します。また、高額謝礼をお約束します。まずはお電話を」

というような感じで、募集の年齢と性別はその都度変わっていた。場所はフランス国内もあったが、ドイツ、イギリスが多かったと記憶している。

私のまわりでは経験者はいなかったが、労働許可証を持たない在留邦人の中には、お金のために医療モ二ターになる人がいるようだ。何事もなければ短期間で高収入を得られラッキーとなるだろうが、思わぬ副作用で苦しむこともないとはいえない。

おそらく医療モニターに登録すると、訴えたりしないという誓約書に先に署名を書かされるだろうし、私としてはリスクを背負ってまで応募する気はない。しかし、お金のためとはいえ、勇気をもって医療モニターになってくれる人々がいるからこそ、私たちは薬局で安心して数々の薬を買えていることも忘れてはならない。

薬ひと粒を飲むだけのバイト?

あるとき、パリに語学留学にきていた日本女性にこんな相談をされた。

「フランス人の友だちがね、すっごい簡単なバイトがあるよって言うの。聞いたら毎日たったひと粒の薬を飲むだけで50ユーロもくれるって。別に変な薬じゃないから平気みたいだけど、どう思います?」と。

私は当然、すぐに断るように彼女を説得した。医療機関が行うモニターなら万が一のときには治療もしてもらえるだろうが、個人的なものはとんでもなく危険だ。というか、個人的に頼まれる医療モニターというのはまずありえない。彼女のケースは、たぶん医療モニターで儲けたいフランス人が自分が服用するのが怖くてお金だけもらって、他人に服用させようと悪知恵を働かせたのだろう。

海外へ行くと、こんな変な誘いもあるので気をつけなければならない。

奇跡の薬、L-DOPAの物語

さて、新薬をテーマにした本といえば、『レナードの朝』(オリバー・サックス・著、春日井晶子・訳早川書房・刊)が有名だ。神経科医のサックス先生による医療ノンフィクションで、奇跡の薬と呼ばれたパーキンソン症候群の治療薬L-DOPAを、脳炎後遺症患者とパーキンソン症候群の患者20人に与えた症例が克明に描かれている。

L-DOPAは医師ジョージ・コチアス博士が開発したパーキンソン症候群の治療薬で、1967年の成功当時は世界中で「奇跡の薬」と呼ばれた。

サックス先生が勤務していたニューヨーク郊外のマウント・カーメル病院でも、19673月には新薬が話題になった。が、サックス先生はそれから2年間もこの薬の使用を躊躇し、19693月になって、やっとL-DOPAの投与を決意した。そのひとり目の患者が本のタイトルにもなっているレナードだったのだ。

奇跡の目覚め

レナードは15歳のときに右手が硬直しはじめるという脳炎後遺症の症状が現れ、障害はゆっくりと広がりパーキンソン症候群と診断された。それでもハーバード大学を優秀な成績で卒業し、もう少しで博士論文を書き終えようとしていた27歳のとき症状は深刻なものとなり日常の活動がすべて止まってしまった。3年間は自宅で過ごしたものの体が石のように硬直してしまい、30歳でマウント・カーメル病院に入院した。

レナードはわずかに動く右手で小さな文字盤を叩くことで意思表示ができたので、サックス先生は彼が輝かしい知性と教養の持ち主であることを感じていたという。

19693月、レナード49歳のときにL-DOPAの投与をはじめ、2週間を過ぎた後に突然の変化が起こった。レナードの体はまるで約30年の眠りから覚めたように、筋委縮が消え、立って歩くことも、話すこともできるようになった。

他の19人の患者も同様にL-DOPAの投与で、皆一気に回復し、重い症状も消えていった。奇跡の薬が起こした奇跡の目覚めだったのだ。

新薬が効きすぎた結果の悲劇

しかし、一定期間をすぎると患者たち全員になんらかの問題が現れ、やがて全員が制御を失っていった。サックス先生はそれは薬の副作用とはみなすことができず、変化の一部分と捉えるべきと言っている。

レナードの場合は、自分が神の息子であると考えはじめたり、また性的欲求も制御できずに問題行動を起こしたため、ついにL-DOPAの投与を中止。レナードは元の無動状態に戻った。

レナードは文字盤を叩きながらこう言ったそうだ。

「最初はL-DOPAが世界で最もすばらしい薬に思えました。(中略)何もかもが悪い方へ向かいだすと、あの薬は世界で最悪のもの、飲んだ人を地獄へ引きずりこむ毒薬ではないかと思いました。(中略)ぼくはこれからも自分自身であり続けます。だから先生はL-DOPAをしまっておいてください」

(『レナードの朝』から引用)

映画『レナードの朝』

ちなみにロバート・デ・ニーロが患者を、ロビン・ウィリアムズが医師を演じた映画『レナードの朝』は原作に基づくフィクションで、サックス先生も制作に協力したそうだ。改訂版のこの本には映画撮影のエピソードも後日談として紹介されている。役にのめりこんだロバート・デ・ニーロにパーキンソン症状が現れ、サックス先生が驚くエピソードなどはおもしろく、映画ファンにもおすすめの一冊だ。

(文:沼口祐子)

レナードの朝

著者:オリヴァー・サックス(著)春日井晶子(著)
出版社:早川書房
20世紀初頭に大流行した脳炎の後遺症で、言葉や感情、体の自由が奪われてしまった患者が、
奇跡の新薬LーDOPAの投与によって目覚める。
しかし体の機能回復に加え、人格まで変貌してしまうという怖い副作用が……。
レナードら20人の症例とそれに誠実に向き合う脳神経科医サックス博士の葛藤を、人間味あふれる筆致で描く。
1970年代の初版以降、演劇や映画化でも世界を感動させた不朽の名作の新版文庫化。

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