ハウツーが満載のコラム
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恋人の胸に睡蓮が生えたら、あなたはどうしますか?

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「あるわけないでしょ、そんなこと」と思うような物語を読みたくて、読みたくてたまらなくなるときがある。
それも、小説で・・・。
「事実は小説より奇なり」というが、この世には、あり得ないような悲惨な事件、不思議な体験、奇跡と呼びたくなるようなエピソードが毎日のように起こる。
それらは時にドキュメンタリーとしてまとめられ、私は「うっそ~~」と叫びつつも、本当にあった話だとわかって、読んでいる。優れたドキュメンタリーは、時として、事実を越えてしまうとかんじるほどだ。
けれども、何もかもが作り事の小説世界に浸りたくなる。

うまくだまして、ずっとだましていてね

早い話、私はだまして欲しいのだ。
現実の生活に疲れたとき、体の調子が悪くだるくてたまらない夕暮れ、小説世界に飛び込んで、ぐだぐだしていたい。
現実の世界から逃げたいのかもしれない。
私が読みたいのは、「いくら小説だからといって、そんなに暴れちゃっていいわけ?」と、突っ込みたくなるようなハナシ。
だまされているのだとわかってはいるが、できることならずっとだまされていたい。
そんな風に思う夕暮れがあなたにもあるのではないだろうか。

醜いものなんか消えちまえ

うたかたの日々』(ボリス・ヴィアン・著、伊東守男・訳/早川書房・刊)は、まさにそういう小説だ。
著者ボリス・ヴィアンは自らはじめに高らかに宣言している。

それはわたしが初めから終わりまででっちあげたということだ

(『うたかたの日々』より引用)

ボリス・ヴィアンは、きれいな女の子との恋愛とニューオリンズかデューク・エリントンの音楽を大事に思っている。

その他のものはみんな消えちまえばいい。なぜって、その他のものはみんな醜いからだ

(『うたかたの日々』より引用)

こうはっきり言われては身も蓋もないような気もするが・・・。

こんなこと本当にあるわけ?

『うたかたの日々』の主人公コランは、縦横無尽に暴れ回る人物だ。
お金はたっぷり持っていて、働かなくても生きていける。
大事なのは、きれいな女の子と音楽だけ。
お風呂の栓を抜く動作一つとっても、あきれるような方法で行う。
栓を抜くのではなく、浴槽の底に小さな穴をあけ、水をぬくというのだから。
水は下の階に住む男の仕事机のすぐ上の穴に吸い込まれていく。
「あるわけないでしょ?こんなこと」と、言いたくなるでしょう?
けれども、あるのだ。
なぜってこれは小説だから。

ピアノの作るカクテルのお味は?

カクテルはバーでは飲まず、自宅でピアノ(楽器のピアノです。念のため)に作ってもらう。
曲を演奏し、ペダルを踏むと、グラスの中に、なみなみとおいしそうなカクテルを注いでくれるピアノを持っているからだ。
再び「そんな馬鹿なこと、あるわけないでしょ?」と、言いたくなるだろうが、これは小説、何でもありだ。
主人公があるといい、自分で作ったと書き、のどを鳴らしてカクテルを飲んだのだから、確かにそこには、ピアノで作ったカクテルがある。

肺の中に睡蓮が

ある日、コランは友人のパーティで、美しい娘クロエに出会い、恋に落ちる。
デートのときは、小さなバラ色の雲が一つ、空から降りて来て、二人を包んでくれる。
二人はうっとりと幸福で、離れられなくなり、結婚する。
コランは欲しいものを手にいれ、幸福の絶頂だった。
ところが・・・。
新妻であるクロエの胸に睡蓮が生えてしまう。
そういう病気になったのだ。
肺の中で育ち始めた睡蓮は、二人の生活を侵していく。

苦しみの源に水を与えるな

クロエは苦しむ。
睡蓮が巣食った胸は痛い。
おまけに水分を摂取してはならない。
まだ今は蕾だが、水を飲むと、睡蓮が育ってしまい、命を脅かすことになる。
クロエに許される水分は1日たったの2匙。
治療法として、医師から指示されたのは、花でクロエを取り囲むことだった。
周囲に花を置くと、肺の中の睡蓮が「おっかながり」、成長が遅れるのだという。

睡蓮による殺人

大量の花を買うため、コランは働きに出る。
せっかく結婚したのに、二人でいられないのだ。
生活は刻々と変化していき、何もしていないのに、部屋はどんどん狭くなる。天井が低くなって、立って歩くのも一苦労だ。
一方で、睡蓮はどんどん大きくなり、クロエは弱り、コランは疲れ果てていく。
やさしいクロエ。
美しいクロエ。
コランに熱烈に愛されたクロエ。
そんなクロエが睡蓮に殺される。
そんなめちゃくちゃな話があろうか。

映画化された『うたかたの日々』

『うたかたの日々』は、今までに何度か映画化されている。
最初は1968年。フランス映画でL'Écume des Jours(日々の泡)という題名だ。
私は学生の頃に観たのだが、クロエ役のアニー・ビュロンが美しく、禁じられた水を無邪気に飲んでしまうシーンに圧倒された。どうして、そして、どこであの映画を観たのか、覚えていないのだが、水を飲むシーンは今も脳裏に焼き付いている。
次は2001年。日本映画で『クロエ』というタイトルだ。『うたかたの日々』からインスピレーションを得て作られた作品で、ともさかりえがクロエを演じた。面白かった。
そして、2013年には再びフランスで『ムード・インディゴ うたかたの日々』が製作された。クロエの役は、『アメリ』で有名になった女優オレイド・トトゥ。原作に忠実で、映像の力がその不思議な物語を現実に近づけている。

急死したボリス・ヴィアン

どの映画にも、著者ボリス・ヴィアンが示す恋への執着と美しさへのこだわりが満ちており、異次元の世界で飛ぶ楽しさと哀しさを味わうことができた。
ボリス・ヴィアンは様々な顔を持つ人で、別のペンネームでハードボイルド作品も書き、さらにジャズ・トランペットの演奏者としても名高かった。
彼は「自分は40才までに死ぬ」と予言しており、その言葉どおり、39才で心臓発作のため、急死した。
胸に睡蓮を抱えていたのは、クロエではなく、彼だったのかもしれない。
彼は胸の中の睡蓮を吐き出したくて、もがき、苦しみ、周囲につかみかかるような激しい生き方をしたような気がしてならない。

(文・三浦暁子)

うたかたの日々

著者:ボリス・ヴィアン(著)、伊東守男(訳)
出版社:早川書房
【映画「ムード・インディゴ うたかたの日々」原作】純粋無垢、夢多き青年コランが出会った少女クロエは、肺の中に睡蓮が生長する奇病にかかっていた――パリの片隅で儚い青春の日々を送る若者たちの姿を、優しさと諧謔に満ちた笑いで描く、現代で最も悲痛な恋愛小説。39年の短い生涯を駆け抜け、様々なジャンルで活躍した天才ヴィアンの代表作

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