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妻と離婚して能面師になった男のはなし

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ワンピース歌舞伎が話題だ。有名な女性芸能人が歌舞伎役者と結婚すれば、きまってテレビでは梨園のしきたりや人間関係が取りざたされる。そんな歌舞伎にくらべて話題になることは少ないが、日本の伝統芸能といえば能楽のことも忘れてはならない。

はげしい怒りと憎しみをあらわす「般若(はんにゃ)」は、能楽でもちいる女鬼のお面のことだ。感情を読み取りにくい表情を指して「能面のような」と言いあらわす。

現代では能面そのものを見かけることはまれだが、いまでも新たに制作されているのだろうか?

馬堀海岸の能面師

能楽用のお面をつくることを「面を打つ」という。職人は能面師と呼ばれる。

当代随一の能面師・南波寿好(なんばじゅこう)は、神奈川県横須賀市の馬堀海岸に住んでいる。

横須賀は、東京湾に接する湾岸地域のひとつだ。東京湾岸の周辺としては、ほかにも浦賀や久里浜などがあり、かつて黒船来航のときに「異人(いじん)」と呼ばれて恐れられたペリー提督が日本に初上陸した場所としてよく知られている。

東京湾岸畸人伝』(山田清機・著/朝日新聞出版・刊)によれば、東京湾岸という空間には、異人のみならず「畸人(きじん)」を引き寄せる「何か」があるようだ。(畸は、奇の異体字。意味はおなじ)

一流の能面師である南波寿好も、まさに畸人と呼ばれるにふさわしい数奇な人生を歩んできた。

60年代の大学紛争に明け暮れたエリート大学生

南波寿好は、昭和20年8月に生まれて横浜の鶴見で育った。「寿好」は雅号だ。

寿好の父は、消防車の専門メーカーのサラリーマンだった。能楽や能面にゆかりのある家系ではない。しかしながら、少年時代の寿好は「木工作」が好きだったらしく、わりと本気でこけし職人を目指していたという。

結局、こけし職人にはならなかった。父親からの懇願もあって、地元の横浜国立大学に進んだ。合格したのは学芸学部(のちの教育学部)だった。

寿好が学籍をおいていた昭和40年(1965年)前後は、いわゆる60年安保闘争を経て、都内の大学における学費値上げに対する反対闘争が激化しはじめた時期に重なる。

大学卒業後、教員として在職中に逮捕される

若き日の寿好も横浜国立大学の学生として、バリケードのなかで教授たちと討論を重ねる日々を送ったという。学内では中核派が主流だったが、寿好自身はセクト活動に深入りはしなかった。

大学を卒業したのち、寿好は市内の小学校教員に採用された。当時、横浜国立大学の教育学部に属する8割の学生が運動に加わっていたので、活動歴を理由に不採用になることはなかった。教員不足を防ぐためだ。

小学校で教えるようになってからも、寿好は全共闘運動を支持し続けた。そして、全共闘の熱も冷めやらぬ1969年10月におこなわれたデモ行進に加わったとき、ついに逮捕されてしまう。

罪状は公務執行妨害。ほかの参加者に対する見せしめだった。3日間の拘留だけで済んだものの、勤務先の校長からは「このさき管理職になることは絶対にない」という通告を受ける。

挫折がまねいた家庭崩壊。不倫という罪

警察に拘留されたことをきっかけに、寿好は学生運動や安保闘争から離れていく。妻帯者であった寿好は、おなじころに家庭や我が子への関心も失ってしまう。

「君と別れるわけにはいかないが、普通の亭主の生活はしないよ」

(『東京湾岸畸人伝』から引用)

妻へ宣言したとおり、寿好は既婚者の身でありながら妻以外の女性を愛した。家庭は崩壊して、やがて離婚に至った。

生まれたばかりの長女は、妻が育てることになった。長男と次男を引き取った寿好は、小学校教員を続けながら食事や洗濯などの家事を必死にこなした。学校教師としての意地であり、我が子に対するせめてもの罪滅ぼしだった。

寿好が「能面」を作りはじめたのは、このときからだ。女性やギャンブルから目をそむけるために、自宅に閉じこもってやれる趣味を探していてたどりついた。

能面づくりに没頭してたどりついた境地とは

能面のなかでも、とくに「女面(おんなめん)」作りに熱中した。寿好は、ふたりの男の子が大きくなるまでは再婚するつもりはなかった。観客を夢幻にいざなう能楽の女面と向きあう日々は、寿好にとって官能行為の代替だったのかもしれない。

ふたりの男児を育てあげた寿好は、52歳のときに小学校を早期退職する。そのあと、横須賀の馬堀で売りに出されたリゾート住宅を買った。「寿好庵」と名づけられた建物は、住居と工房と能面教室を兼ねている。

じつは「寿好庵」は、再婚後すぐに早逝した2人目の妻が残してくれたものだ。くわしい経緯については本書を読んでもらいたいのだが、能面師・南波寿好は58歳のときに3度目の結婚をしている。相手は25歳年下の小学校教員だ。

不倫。離婚。ギャンブル。愛妻との死別。寿好本人は「自分の人生は人の不幸が土台になっている部分がある」とインタビューで答えている。東京湾岸の畸人(きじん)が打った能面は、野村万作(野村萬斎の父)といった人間国宝の能楽師や狂言師たちに、いまでも求められているそうだ。

(文:忌川タツヤ)

東京湾岸畸人伝

著者:山田清機
出版社:朝日新聞出版
馬堀海岸の能面師。久里浜のアルコール依存症病棟にいる男。義理と人情と最後の沖仲仕。木更津、證誠寺の「悪人」。築地のヒール。東京湾、最後の漁師。昨年の新潮ドキュメント賞候補の山田清機が、湾岸に生きる男の生き様を描ききる。

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