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20年目のホシノ・ルリ

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戦艦の名前がタイトルに含まれている史上3番目のアニメをご存じだろうか。1番目は、撃沈された戦艦大和を改造した『宇宙戦艦ヤマト』。2番目は、地球上に墜落した謎の戦艦を改造したものである『超時空要塞マクロス』。3番目は、民間企業が火星の資源独占をもくろんで建造した『機動戦艦ナデシコ』だ。

制作はXEBEC。監督は佐藤竜雄。放映は1996年。その半年前には、庵野秀明ひきいるGAINAXが制作した『新世紀エヴァンゲリオン』が、世の10代から30代におよぶ幅広い層のオタクたちを熱狂させていた。

忘れえぬ1990年代の傑作テレビアニメ

『機動戦艦ナデシコ』では、メインヒロインである「ミスマル・ユリカ」よりも、登場キャラクターのひとりである「ホシノ・ルリ」の人気が優勢だった。青白い髪の色や物静かな外見のせいで「綾波レイのパクリ」と言われながらも、レイに匹敵する(?)ほどの人気を誇っていた。

人気の高まりを象徴するかのように、ホシノ・ルリ名義で担当声優の南央美が歌うフルアルバム(約50分)が発売されたほどだ。ナデシコといえば大天使ホシノルリを愛でるアニメだといっても過言ではない。

たかが二次元。されど二次元。世の中には『機動戦艦ナデシコ』という作品に対してルリルリがカワイイという以上の価値や意義を見出した好事家が存在する。その証拠に『世界の果てのアニメ』(八本正幸・著/青弓社・刊)というアニメ評論集がある。ナデシコを戦争論やオタク論という観点から分析しているテキストが収録されているので紹介したい。

アニメの中の戦場と感情

直接手をくださなくても、人は戦争への加担を余儀なくされている。平和で退屈な日常もまた、戦争という地盤なしには立脚し得ないものなのだ。

(『世界の果てのアニメ』から引用)

まぎれもなく『機動戦艦ナデシコ』の登場人物たちが物語のなかで置かれている状況を言いあらわしている。謎の無人兵器勢力「木星蜥蜴(もくせいとかげ)」の侵攻を受けて人類滅亡を迎えつつあった地球を救うヒントを見つけるために、火星へ月へと飛び回るナデシコ乗組員やルリルリたち。

序盤の第3話では、ある登場人物に非情な死がもたらされる。にぎやかでおちゃらけたイメージのある『ナデシコ』という娯楽アニメでさえも、戦場というものが、宇宙空間というものが、死と紙一重の場所であることをはっきりと表現している。

ルリは、メディアを司る巫女のように見える。彼女がコンタクトするナデシコのメイン・コンピュータがオモイカネ(思兼)という『古事記』にも登場する神の名前なのも意味深長だ。

(『世界の果てのアニメ』から引用)

古事記には「思金神」、日本書紀では「思兼神」と表記されているようだ。ルリと数々の戦場を共にしたナデシコ搭載のメインコンピュータ「オモイカネ」が地球連合軍によって初期化されそうになる第12話「あの『忘れ得ぬ日々』」。ルリがコンピュータと心をかよわせて、ナデシコの乗組員たちと協力しながら初期化を阻止するために奮闘するエピソードだ。

本書『世界の果てのアニメ』では、ほかにも『エヴァ』や『少女革命ウテナ』や『ガサラキ』などを論じている。
『ガサラキ』はナデシコから2年後の1998年に放映された『装甲騎兵ボトムズ』を手がけた高橋良輔が監督をつとめた「リアルロボット路線の政治アニメ」だ。助監督は谷口悟朗。世界観が壮大すぎるせいか、わたしにとっては視聴後の疲労感がいちじるしい作品だった。しかし、先に紹介した『世界の中のアニメ』に収録されている熱意あふれる評論を読んでしまったあとには、もういちど第1話から『ガサラキ』を観直したいという意欲がわいてきた。テキストに感化されたのかもしれない。

ちなみに、わたしはサンライズ制作の『ベターマン』(監督・米たにヨシトモ)を半分すら理解していないにもかかわらず好きなので、きっと同社制作である『ガサラキ』のことも好きになれる可能性を秘めていると思う。

ところで今回、当コラムを書くにあたって『機動戦艦ナデシコ』全26話をはじめから観直してみたところ、わたしの脳内における「ホシノ・ルリに関する記憶」がいつのまにか誤ったものに書き換えられていることが判明した。

やはりナデシコの話をするからにはルリルリに帰結するのは避けられない。もうすこしだけおつきあい願いたい。

ルリとレイはまったくの別物

誤解しないでほしい。わたしはレイが好きだ。火野レイではなく綾波レイのことだ。セーラームーンの美少女戦士のなかでは、わたしはセーラージュピターこと木野まことがいちばん大好きだった。

それはさておき。わたしは年齢を重ねるうちに、ホシノ・ルリのことを「無口で人間らしい感情をあまり持ち合わせないキャラクター」であると、いつのまにか自分で記憶をすり替えていた。世間にはびこる「ルリは綾波のパクリ」という心ない中傷のせいかもしれない。あらためて十数年ぶりに『ナデシコ』全話と劇場版を観直すことによって、自分の誤っていた認識を正すことができた。

ホシノ・ルリという少女は、遺伝子操作によって生みだされ、情報処理のみに特化した頭脳と肉体を作りあげるためにナノマシンを注入されるなどして、ずいぶんと非人間的な教育を受けてきた。しかしナデシコ本編を観ていると、過酷で孤独な生育環境で過ごしていたわりには、ルリが感受性豊かに育ったことがわかるのだ。

ホシノ・ルリの代名詞といえば「バカばっか」というセリフだ。まるで他人を見下したような、すべてを達観したような口ぐせとは裏腹に、青い髪をもつ「11才・身長122cm・体重ひみつ」の少女は、すぐれた頭脳で先を見通してなるべく多くの人に安穏をもたらすため、陰に日向にと機動戦艦のオペレーションを務めている。ああ見えて、じつは聖母のごとき「くめども尽きせぬ」無償のラヴと思いやりの持ち主なのだ。

テレビシリーズでいうならば、早くも第2話を鑑賞した時点において「綾波レイのパクリ」であるとか「無感情」であるとか「ツンデレ」であるという誤った認識は消えてなくなるはずだ。髪型はツインテールであるが、ホシノ・ルリはツンデレ属性ではない。けっこう素直なところもある可愛い11才の女の子だ。

大天使ルリルリ大勝利!

テレビアニメ版から約2年後に上映された劇場作品『機動戦艦ナデシコ -The prince of darkness-』において、ルリは「宇宙戦艦ナデシコB」の艦長を立派に務めあげている。

悲劇的な事件、すなわち戦友であり兄姉代わりでもあったアキトとユリカの両名を飛行機事故によって失ったにもかかわらず、威風堂々と宇宙戦艦の指揮をとり、なおかつ後進の育成にも気を配っている姿は、「あれから2年しか経ってないのにおれたちのルリルリはずいぶん成長したな~」と感激するあまりうれし涙を流さずにはいられなかった。

ひとつ言っておきたいのは、劇場版におけるルリの成長ぶりは、悲劇の飛行機事故すなわち「喪失」とはあまり関係がないということだ。ルリは大切な人を失ったから強くなったのではない。はじめから「ホシノ・ルリ」という少女は強かったのだ。

すぐれた頭脳は達観をはるかに超えて、約10万光年にも広がる銀河系さえも優しく包みこむ「無償の愛をつかさどる存在」へと、ルリという少女が到達しているからだ。まさに大天使。ルリルリの大勝利。向かうところ敵なし。

まとめ。ルリは強くて可愛いくて強い。以上のような前提を理解したうえで『機動戦艦ナデシコ』を観ていただくと、電子の妖精「ホシノ・ルリ」の魅力を余すことなく理解してもらえるはずだ。

2016年。テレビアニメ『機動戦艦ナデシコ』は、初回放送から今年で20周年をむかえる。おめでとう、ルリルリ。ありがとう、ナデシコ。

(文:忌川タツヤ)

世界の果てのアニメ

著者:八本正幸
出版社:青弓社
アニメは逃避のための物語ではない、世界と向き合うための物語だ―現実に生きているこの世界にリアルを感じられなくなっている僕たちは、世界を認識するために編み出された装置としての物語=アニメを、いまこそ正面から受け止めなくてはならない。ジャパニメーションと呼ばれ海外でも高い評価を受け、サブカルチャーのなかでもとりわけ大きな意味をもつようになった日本のアニメーションが到達した地平を、『新世紀エヴァンゲリオン』『もののけ姫』をはじめ、『機動戦艦ナデシコ』『少女革命ウテナ』『彼氏彼女の事情』『ガサラキ』『天使になるもんっ!』などの作品を精緻に読み解くことで照らし出す。いまも「世界の果て」で戦いつづけるあなたに贈るアニメ評論。

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