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「施設死」か「在宅死」か。要介護高齢者の苦悩とは

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わたしの祖母が、ちかごろ不安定だ。高齢者介護施設に入ろうか、入るまいかを悩んでいるからだ。

もうすぐ90歳のばあちゃんは、石川県能登地方に住んでいる。10年前にじいちゃんを亡くして以来、築120年を超える2階建ての木造住宅にひとりで暮らしだ。

歩行補助のために手押し車は必要だが、いまでも数百メートル先の畑の世話をしている。ときどきクール便で送られてくる野菜は、形がふぞろいだけど新鮮でおいしい。

最近のばあちゃんは、会うたびに「家を離れたくない。ここで死にたい」「やっぱり施設に行こうかと思う」という選択のあいだで大きく揺れ動いている。先祖から受け継いだ家屋と畑を守りたいという気持ちと、わたしたち家族に迷惑をかけたくないという気持ちの間で、ばあちゃんは苦しんでいる。

高齢化率日本一の地にあるユートピア

ばあちゃんは能登地方の和倉温泉ちかくに住んでいる。おなじ石川県内には、北陸新幹線開通でにぎわう金沢市がある。小松空港や温泉郷がある金沢以南には若者が多いが、金沢以北である能登地方の街道沿いで子どもの姿を見かけることは少ない。

日本の総人口に占める65歳以上人口の割合を「高齢化率」という。平成26年時点の全国平均は26%。石川県の平均は27.1%だ。ばあちゃんが住んでいる能登地方の高齢化率は30%にもうすぐ届きそうだという。

ところで、日本でいちばん高齢化率が高いのは秋田県(32.6%)だ。能登地方よりもさらに65歳以上のお年寄りが多い。きっと、わたしのばあちゃんと同じ悩みをかかえている人がいるだろうと思っていたら、『ともにくらす』(秋田魁新報社・著/秋田魁新報社・刊)という地元紙の特集記事をまとめた電子書籍を見つけた。

高齢者施設でもなく、ひとり暮らしでもない、もしかすると理想かもしれないライフスタイルを実践しているお年寄りたちの余生を、わたしは知ることができた。

「めぐみの家」とは

最期まで自立した生活を送りたいと願う高齢者が暮らすアパートがある。秋田市河辺の「めぐみの家」だ。大家で看護師の細部聖名子さん(50)は、ここで75~89歳のお年寄り11人と暮らす。

入居者たちの身の回りの世話をボランティアでこなすほか、アパート内で訪問介護事業所を経営。入居者も希望すれば介護サービスを受けられる。

高齢者が家族以外の若い世代に支えられながら生活する「共暮らし」の形態として、県内の専門家からも注目されている。

(『ともにくらす』から引用)

家賃は月3万円。間取りは洋室の1K(トイレ付き)。台所にはクッキングヒーターがあるので好きな料理も作れる。コの字で囲まれた中庭を中心として、8~10畳の部屋がひとつの廊下でつながっている。

介護施設ではないので、普通のアパートのように入居者がそれぞれ自由に部屋で寝起きすることができる。2014年の取材当時では、要介護度1~5が10人、要支援が1人が入居していた。独りの方はもちろん、ご夫婦も入居している。

語感から「グループホーム」と同一視しがちだが、日本の介護保険法上における「グループホーム」とは認知症高齢者の共同生活施設を指す。「めぐみの家」は、小規模ホスピスという形態に近いようだ。

大家の細部聖名子さんは、併設している訪問介護事業所を経営しており、「めぐみの家」はボランティア活動という位置づけだ。入居者は自由にしてもらう。だからといって放置するわけでもなく、何かないように常に注意を払っているという。

本当にそんな「要介護高齢者たちの共同生活」が成立するのだろうか。

介護を受けるお年寄りが望んでいることは?

「めぐみの家」がスタートしたのは2008年。すでに始まって6年が経過しているが、
2016年の現在も増築をしなければいけないほど盛況のようだ。

支えているのは「めぐみの家」に併設している訪問介護事業者のスタッフたちだ。経営者である細部さんを含めて看護師2人、介護福祉士5人、ヘルパー7人の体制だという。ほかにも、近所に住んでいた小学生がヘルパースタッフとして参加している。入居者のお年寄りたちとふれあっているうちにヘルパーを志して、中学卒業後には訪問介護施設のほうで職員として働くことになった。

入居者のお年寄りたちが口をそろえていうのは「干渉されずに自由に暮らしたい」というものだ。ほかの医療施設や介護施設での経験で、きゅうくつな思いをしたことによって「生きづらさ」を感じたという。そんな環境に身を置いていると、たとえ病気が治るとか退院できるとわかっていても、いまいち生きる意欲がそがれてしまう。

介護をしてもらう立場になると、「自由がほしい」「干渉されたくない」とはふつう口が裂けても言えない。「めぐみの家」の入居者にかぎらず、おなじ気持ちでいる要介護のお年寄りは少なくないと思う。

「干渉されたくない」という言葉の裏には

「めぐみの家」の入居者は、この場所を「終の棲家(ついのすみか)」と定めている人が多い。取材記事のなかには「病院ではなく、めぐみの家で死にたい」という入居者のことばが収録されている。

もちろん、家族が待っている家で愛する者たちに見送られながら……という最期を迎えるのがイヤなはずはない。「家族に迷惑をかけたくない」という気持ちが、「めぐみの家」のおじいちゃんおばあちゃんの個人主義や自立心の裏側に隠されているように思えた。

わたしは結婚歴もなければ子供を授かったこともない。だから「我が子に糞尿まみれのおむつ替えを頼めるか?」とたずねられても答えようがない。しかし「もしも」という想像で許されるならば、「自分がなさけない」「娘や息子にすまない」という気持ちがはじめに思い浮かんだ。

公的介護サービスの助けを借りながら、自由にならない足腰や指先に落胆しつつも、トイレとキッチンのある個室で、良い香りのする温かい液体を飲みながら、お気に入りの本を読みかえす。せめて最期の時くらいは、精神の自由と平穏のなかで過ごしたい。

いつか来るその日までに、「めぐみの家」のような小規模ホスピスに入居することが普通になっていればありがたい。

(文:忌川タツヤ)

ともにくらす

著者:秋田魁新報社
出版社:秋田魁新報社
現在、高齢社会を迎え、家庭内の介護力、地域の福祉力が低下する一方で、高齢者の多くは、住み慣れた場所で自分らしく生きたいと考えています。こうした中、最期まで自立した生活を送りたいと願う高齢者が暮らすアパートがあります。秋田市の「めぐみの家」。大家で看護師の細部聖名子さんは、入居者たちの身の回りの世話をボランティアでこなすほか、アパート内で訪問介護事業所も経営しています。入居者も希望すれば介護サービスを受けられます。自由気ままに暮らしたい人、病を抱えて帰る場所がない人、家族以外にも生活を支えてくれる信頼関係を築きたい人、ついのすみかを探している人など、さまざまな人が同じ屋根の下で暮らしています。

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