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ひとは楽しいから笑うのではない?

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問題である。以下の文章の中で、まちがっているものはどれか?

  1. 「楽しいから笑う」
  2. 「やる気を出して、やる」
  3. 「眠いから寝る」

引っかけや頓智ではない。科学的な事実に即しているものはどれか、という問いである。一見すると、どれもあたりまえで、おかしなところはないように思える。

身体が心のスイッチを入れる

ところが、われわれの脳のメカニズムからすると、これらはいずれも正確ではない。完全に誤りというわけではないが、脳と身体の本来の関係からすると方向性が逆なのだ。どういうことか? ふつう、われわれは心が主で、身体が従だと思っている。しかし、じつは人間の心と呼ばれるものは身体の運動によってスイッチが入るようにできているのである。

『脳には妙なクセがある』(池谷裕二・著/扶桑社・刊)によると、箸を横にくわえてマンガを読んだ場合と、ふつうにマンガを読んだ場合とでは、箸を横にくわえた方がマンガが面白く感じるという実験結果がある。箸を横にくわえると顔の表情筋が笑顔を作ったときと似てくる。すると、その筋肉の動きが脳の神経活動に影響を及ぼして、快楽をつかさどる神経伝達物質の働きを促進し、「面白い」と感じるのだという。

笑うから楽しい、やるからやる気が出る

冒頭の問いに戻ろう。1の「楽しいから笑う」は、身体と脳の本来の関係からすれば「笑うから楽しくなる」が正しい。「笑顔という表情の出力を通じて、その行動結果に見合った心理状態を脳が生み出す」から楽しくなるのである。

2の「やる気を出して、やる」はどうか。武道やスポーツで「気合いを入れろ!」といったり、仕事や勉強でも「やる気が出ないので、やらない」というではないか。けれども、これも方向が逆なのだ。やりはじめるから、やる気が出る。「やる」という身体運動が、「やる気」を呼び起こす。最初に身体ありきなのだ。

ちなみに英語には「やる気を出せ」「元気を出せ」という言い回しはない。「元気を出せ」にあたる Cheer up は本来「声を出せ」の意味だし、Chin up は「あごを上げろ」の意味で、元々は具体的な身体運動を促す言い方である。

3の「眠いから寝る」はまちがいではないが、実際には、眠くなくても寝る時間だから寝る方が多い。電気を消して、布団に入って、目を閉じる。すると眠くなってくる。「眠くなるから横になる」のではなく、「横になるから眠くなる」。ここでも身体運動が先である。身体運動こそが脳に強い刺激を及ぼし、心を作動させる。見たり聞いたりという感覚(入力)よりも、それに伴う身体運動(出力)こそが、脳が働くうえでは重要なのである、と池谷さんは指摘する。

理性で心をコントロールできない理由

では、どうしてそうなったのか? よく知られているように、ヒトの脳は主に生命維持や運動をつかさどる古い脳と、判断力や思考力、想像力などをつかさどる大脳新皮質からなる。古い脳は身体との結びつきが強いのに対して、新皮質は身体性との関わりは希薄である。しかし、池谷さんによると、新皮質は身体性を省略する代わりに、身体運動のシステムを心理作用に「転用した」。それが「心」なのだという。

ここはややわかりにくいので、くわしくは池谷さんの本を参照してほしい。かんたんにいうと、たとえば、なにかを食べて「苦み」を感じたときの顔の筋肉の動きを、新皮質は「嫌悪感」という感情に結びつけたり、物理的な「痛み」を感じたときの身体の反応を、心理的な「痛み」や「苦しみ」という感覚に利用したりしているのだ。それによって物理的な刺激がなくても、苦い顔をすると、それに伴う心理状態が起きるようになったというのである。身体の運動によって心にスイッチが入るのだ。そう考えると、人間が心(思考や感情など)を理性によって、なかなかコントロールできないのも納得がいく。

ロシア特殊部隊の「怒り」の鎮め方

話はややそれるが、ロシア特殊部隊の戦闘訓練において、なにより重要なのは平静を保つことであり、とりわけ「怒り」のコントロールが肝心だとされる。しかし、すでに述べたように、怒りを理性(脳)によってコントロールするのはむずかしい。では、どうすればよいのか?

特殊部隊において、怒りを鎮めるもっとも効果的な方法は「呼吸」とされているそうだ。鼻から吸って口からフーと吐く呼吸をひたすらくりかえすのだという。「えっ、そんなこと?」と思われるかもしれないが、心のあり方が身体運動に由来していることを踏まえると、これは理にかなっている。

危険に対する身体的な反応が、脳に怒りという感情を形成する。それを鎮めるには、頭でいくら「落ち着け」と言い聞かせても、身体に働きかけることはできない。だが、呼吸を整えれば緊張していないときの筋肉の状態がつくられ、その身体運動が脳に伝わって、怒りという反応が薄れていくという仕組みである。

脳を鍛えるとか、脳を活性化するという話題には事欠かないが、脳を身体より上位と見なすようになったのは近代になってからだ。脳を鍛えようとか、心を強くしようとしても、身体をともなわなければ、なかなかうまくいかないのには、こうした理由があったのである。

(文・田中真知)

脳には妙なクセがある

著者:池谷裕二
出版社:扶桑社
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