京都ぎらいが暴露。観光客に知られたくない古都のウラ事情

「ハゲ」は差別用語だ。同様に「埼玉県」の住民や出身者を称して「ださいたま」と小馬鹿にすることも、差別であり人権侵害だ。自覚のない人が多すぎる。反省したほうがいい。

差別はどこにでもある。日本有数の観光都市も例外ではない。話題の新書『京都ぎらい』(井上章一・著/朝日新聞出版・刊)は、京都で生まれそだち、何十年も暮らしてきた著者が、いまでも古都にはびこっていると噂される差別感情や選民意識を告発したものだ。くわしく紹介しよう。

京都市民は「洛中」の選民意識に迷惑している!?

『京都ぎらい』の著者いわく、都の中心地(洛中)で生まれそだった市民、すなわち「洛中人士(らくちゅうじんし)」は、都の周辺地(洛外)生まれの市民たちを「京都人」であると認識していない。しかも、洛外出身者を目の前にして、平気な顔で「あんたは京都と無関係」みたいな意味のことを口に出すという。

洛中で生まれ育ったがゆえに備わってしまう無自覚な選民意識は、ほとんど批判の対象にならず、市民のあいだでは「公然の秘密」だった。洛中人士による「奇妙な優越感」は、いままで地元マスコミもあえて活字にすることがなかった。

だが、タブーはいつか打破されるべきものだ。王様の耳はロバの耳。21世紀を迎えたある日、ついに京都の大手マスコミ紙上において「洛中人士の選民意識」に言及する者が現れた。

京都生まれなのに京都人と名乗れない!?

それはKBSホール(京都市上京区)でおこなわれた「全日本プロレス」興行における一幕だった。リング上では武藤敬司が奮闘していた。しかし『京都ぎらい』の著者である井上さんの目を引いたのは、悪役レスラーである「ブラザーヤッシー」のマイクパフォーマンスにまつわる一悶着だった。

当日、リングへ上がったヤッシーは、試合の前にマイクで場内に語りかけた。京都出身の自分が、京都へかえってきたというアピールを、こころみている。

ちょうど、その時であった。客席からブーイングと同時に、痛烈な野次があびせられたのである。

「お前なんか京都とちゃうやろ、宇治やないか」
「宇治のくせに、京都と言うな」

似たような罵声が、ほかにも二、三あったろうか。とにかく、宇治を故郷とするレスラーが京都出身を僭称するだけで、客席はいらだった。

(『京都ぎらい』から引用)

この出来事に、観戦席にいた『京都ぎらい』の著者である井上さんはひどく心を痛めたという。なぜなら、当時の井上さんは宇治に住んでいたからだ。これぞまさしく「洛外生まれや洛外住まいの者が存在を全否定される」という、京都ならではの光景だった。

タブー解禁。京都新聞の英断

たしかに宇治は、京都御所が建っている京都市上京区から20キロメートルほど離れており、地図の右下に位置する。しかしながら、宇治といえば宇治茶だ。ほかにも宇治金時など、日本全国の人々が京都を連想して余りあるほどのキラーコンテンツではないか。そんな知名度バツグンの宇治ですら、洛中人士たちは「京都」であること認めようとしない。

先に紹介した「京都以外ではありえない風景」をとりあげたプロレス観戦記は、2010年3月14日付けの京都新聞に掲載された。一部読者からは「京都に喧嘩を売っとるんちゃうか」「京都をあれこれ言う文章はぎょうさんあるけど、あんなん初めてや」など、怒りを隠しきれない意見が寄せられた。

してやったり。まさに洛外人士イノウエによる面目躍如と言ったところだろうか。

KBSホールにおける「宇治のくせに、京都と言うな」呼ばわりは、井上さんが今まで受けてきた数ある屈辱のうちの一つにすぎない。

つぎに紹介するのは、井上さんが「洛中人士の親玉」ともいえる人物と接したときの古い記憶だ。けっして忘れることができない「洛外者の烙印」を身に刻んだ日であり、屈辱の原体験と言えるのかもしれない。

名家当主から受けた屈辱の烙印

「君、どこの子や」

たずねられた私は、こたえている。

「嵯峨からきました。釈迦堂と二尊院の、ちょうどあいだあたりです」

この応答に、杉本氏はなつかしいと言う。嵯峨のどこが、どう想い出深いのか。杉本氏は、こう私につげた。

「昔、あのあたりにいるお百姓さんが、うちへよう肥をくみにきてくれたんや」

(『京都ぎらい』から引用)

引用部分における「私」というのは、若き日の井上さんだ。京都大学建築学科のゼミに所属していたので、調査のために「杉本家住宅」を訪れたのだった。1977年の出来事だ。

所有者である杉本秀太郎氏(故人)は、京都市下京区で300年以上もつづく名家の九代目当主だ。

杉本氏が何気なく発した「肥(こえ)」とは人間の糞尿のことであり、すなわち、このとき初対面にもかかわらず、井上さんは「肥えくみの子孫」「かつて糞尿を運ぶ者たちが盛んに行き来していた地域からやってきた非京都人」呼ばわりをされたのだ。当時の井上さんは「いけずを言われた」と感じてしまったという。

故・杉本秀太郎氏はフランス文学者であり、読書人の評判が高い随筆集『洛中生息』(みすず書房・刊/のち、ちくま文庫)を著している。これぞ、井上さんが言うところの「洛中人士」の由来だ。

洛外人士イノウエ~逆襲のサガ~

『洛中生息』という書物はすでに絶版(品切れ重版未定)だが、このたび入手した。ひもといてみれば、なんと一行目から洛中人士そのものであったから、わたしは驚いた。

かつては、京の町のどまんなかにある私の家からも、東山、北山が二階の窓ごしによく見えた。

(『洛中生息』から引用)

京のどまんなか! このあと全編にわたって「京都の町なか」「京都の町のまん中」「京都人」「都会のさなかで」「京都の町なかで生まれ、いまも同じ場所に」「京都の町なかに住む私が」と、春夏秋冬にわたって変わらぬ洛中人士っぷりを書きつづっている。

『京都ぎらい』の著者・井上章一さんは、「洛中的な価値観」を告発することによって雪辱を果たすことができた。さぞやスッキリしたであろうと思ったら、そうではないらしい。

京都人(洛中人士)たちに何度もおとしめられるうちに、井上さんは、生まれた嵯峨(さが)よりもさらに洛中から遠い「亀岡」や「城陽」を見くだすようになってしまった。洛中人士たちが、井上さんに不要な差別意識を植えつけてしまったのだ。京都ぎらいになるのも無理はない。

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