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たけしが談志を演じた『赤めだか』は最高のテレビドラマだ

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ビートたけしが立川談志(たてかわ・だんし)を演じるらしい。そんな情報をインターネット上で見かけたあと検索してたどりついた先が、テレビドラマ「赤めだか」だった。興味ぶかいキャスティングであり、ぜひ観たいと思った。

原作本は、落語を知らない人にこそ読んでほしい

本編が放送されたのは2015年12月28日。同名の原作本『赤めだか』(立川談春・著/扶桑社・刊)を未読だったせいもあり、ドラマ内でつぎつぎと繰り出される談志一門のお笑いエピソードに大笑いした。年末の笑い納めにふさわしい、大満足の2時間ドラマだった。

その後、2016年3月9日にDVDとBlu-rayの発売とレンタルが始まったようだ。発売前に話題にしようと思っていたが、立川談志や弟子たちに関する本を読み漁っているうちに、ふたたび『赤めだか』が旬の話題になった。応援の意味をこめて、張りきって紹介したい。

立川談志の弟子といえば?

談志一門のなかでもっとも知名度が高いのは「ためしてガッテン」の司会者である立川志の輔(しのすけ)だろう。

わたしの場合、談志については人並みの知識があったものの、弟子に関心が向くことはなかった。落語ファンではないからだ。寄席や高座と呼ばれる「話芸のライブ」を肉眼で見たことがないせいだろうか。落語家といえば、日曜夕方の「笑点」で大喜利に出演している着物を来た人、という程度のリテラシーだった。

『赤めだか』の著者は、立川談春(だんしゅん)という落語家だ。談志の愛弟子であり「独演会は即完売。今もっともチケットが取りにくい落語家」という評判で名高い。落語ファンのあいだでは、兄弟子にあたる志の輔と同格の知名度をほこる。テレビドラマでは「嵐」の二宮和也が演じた。

志の輔(1954年生まれ)と談春(1966年生まれ)は、年齢がひとまわりも離れているが、入門時期は1年半しか違わない。志の輔のほうが12才も年上なのは、29才のときにサラリーマンを辞めて談志の弟子になったからだ。

いっぽうの談春が立川流の門を叩いたのは17才のときだった。談志の弟子になるために高校2年で中退したというから筋金入りだ。のちに大成したのもうなずける。

談春のセイシュン

立川談春──本名・佐々木信行は、親の反対を押し切って噺家(はなしか)の道を志した。高校を中退して実家を飛び出したのち、朝夕の新聞配達で生活費を稼ぎながら、談志のもとで「前座」修行に励んだ。

落語界には、伝統的な出世制度がある。「見習い」「前座」「二つ目」「真打」の階級だ。「前座」は、おもに楽屋で師匠のサポートをおこなう。舞台の裏方としても働く。

前座とは落語家になるための修行中の身であって商品ではない。

(『赤めだか』から引用)

これは談志のことばだ。身分が「前座」のうちは、特別な場合や師匠の許可があるときを除いて、噺(はなし)を演じた対価として金銭を受け取ってはならない。

 

立川流では、家元(談志)あるいは師匠(真打)が認めれば、弟子は「二つ目」に昇進できる。ここでようやく落語で収入を得られるようになる。

第24回講談社エッセイ賞の受賞作である『赤めだか』には、立川談春こと佐々木信行少年が、談志のもとで耐えて、見事に「二つ目」昇進を果たすまでの4年間の泣き笑いが記録されている。

収録エピソードは興味ぶかいものばかりだが、特に目を引くのは「談志の理不尽な命令によって築地市場で1年間働いた」エピソードだ。二宮和也主演のテレビドラマ版のなかでも躍動感あるシーンとして演出されていた。魚河岸の経験は、若き日の談春における人生の転換点だった。

立川流の修行は築地市場で働くこと!?

入門してから1年ほどが過ぎたころ、談春こと信行少年は、談志の逆鱗に触れてしまう。(激怒させてしまった理由は、ぜひとも本編をご覧ください)

お前等、礼儀作法から気働きを含め、何から何までダメだ。とても俺は面倒みきれん。お前達の存在が俺にとってはマイナスだ。
(中略)
魚河岸へ行け。みっちり働いて修行してこい。

(『赤めだか』から引用)

テレビドラマ版では、二宮和也演じる談春だけが築地市場で働いている。しかし、実際には「お前等(おまえら)」と書いてあるとおり、談春を含めた弟子3人が魚河岸での労働を命じられた。

談春が勤めたのは、シューマイやおでん種を扱っている「菅商店」という練り物専門店だった。関西人だから立川関西と命名された兄弟子もおなじ店で共に働いたという。

魚河岸行きを命じた真意とは

『赤めだか』に記載はないが、おなじ門人が著した『談志が死んだ』(立川談四楼・著/新潮社・刊)によれば、もうひとりの兄弟子である立川談々は「東源正久」というに包丁専門店に派遣されたそうだ。

談春の弟弟子が著した『雨ン中の、らくだ』(立川志らく・著/新潮社・刊)によれば、ほかにも立川談生という前座が築地の食堂で働いていたという。ちなみに、志らくも同様に「築地へ行け」と談志から命じられたものの「行きたくないです。魚河岸になるために入門したのではありません。もちろん破門もイヤです」と抗弁して許されたという人物だ。

ところで、談春たちは1年のあいだ魚河岸労働のみに徹していたわけではない。築地の仕事は正午すぎに終わるので、そのあとは楽屋で「前座」の仕事をおこなっていたようだ。以前よりも気配りができるようになって評判が良かったという。談志による理不尽に思えた命令にも意味があったのだ。

「立川談志は落語の寿命を100年延ばした」と言われている。硬直化していた落語業界を活性化するきっかけを作っただけにとどまらず、著述業やタレントなどの幅広い活動によって落語ファンの人口を確実に増やしてきたからだ。

同様に、談春のような「古典落語の名手」を一から育てた功績も評価されてしかるべきだ。故・立川談志のDNAを色濃く受け継いでいる弟子たちへの興味はこれからも尽きそうにない。

(文:忌川タツヤ)

赤めだか

著者:立川談春
出版社:扶桑社
17歳で天才落語家・立川談志に入門。
両親の反対により新聞配達をしながら、「上の者が白いと云えば黒いもんでも白い」世界での落語家前座修業が始まる。
三日遅れの弟弟子は半年で廃業。なぜか築地市場で修業を命じられ、一門の新年会では兄弟子たちがトランプ博打を開帳し、談志のお供でハワイに行けばオネーサンに追いかけられる……。
様々なドタバタ、試練を乗り越え、談春は仲間とともに二ツ目昇進を目指す!
テレビドラマ『下町ロケット』(TBS系)などで俳優としても活躍、「今、最もチケットの取れない落語家」の異名を持つ立川談春のオリジンがここに!
<2008年講談社エッセイ賞受賞作品>

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