ハウツーが満載のコラム
文字サイズを変更する

哲学は日常の中でこそ最大に活きる

  • このエントリーをはてなブックマークに追加
  • LINEで送る

2匹のわんこの散歩が日課になっている。時間もルートも同じなので、途中で出会う人も、ほぼ同じ顔ぶれだ。
そんな中、気になることがある。いつも袋を持ってない人がいるのだ。会釈する程度で、それほど親しくはないから「あれ?! うんち袋持ってないんすか?」みたいなカジュアルな口調で尋ねることはできない。できないとなると、悶々としてしまう。
ついこの間の話。いつもお参りに行っている神社の境内に、うんちが点々と落ちているのを見つけた。犬を連れて境内に入り、もよおしたので用を足させ、そのまま帰ってしまったのだろう。

普通に考えてひどい。よりによって境内で犬に用を足させ、そのまま立ち去ってしまうとは…。筆者は自分のわんこと一緒ではなく、何も持っていなかったので片付けることができず、神社の人も周囲にいなかったので、結局いつもの通りお参りだけして帰ってきてしまった。あそこに落ちてる犬のうんちを片付けなくてごめんなさい、と謝りはしたが。
その帰り道。何とも言えない後味の悪さが拭えなかった。落ちているうんちをそのままにしてきてしまった筆者は、それが誰であれ、そういう状態を作った人間とそんなに変わらないんじゃないだろうか。そのままにして帰って来ること以上の何かができたんじゃないか?

天知る地知る、己知る

どのシーズンだったかは忘れたが、TVドラマ『3年B組金八先生』で「天知る、地知る、己知る」という言葉について語られるシーンがあった。誰もいないところなら何をしてもわからないと思うかもしれないが、自分の行いは天と地、そして誰よりも自分が一番知ってるんだよ、という意味だ。
落ちているうんちを拾わなかったことは、おそらく悪事ではないはずだ。そもそもの原因を作ったのは筆者ではない。片付けようという気が一瞬でも芽生えたのは確かだし、神社の人に知らせようと努力もした。でも、そこで諦めてしまった。何かが足りなかった気がしてならない。

自分がすることを全員がしたら、と問え

フランスの哲学者ジャン=ポール・サルトルのこの言葉を、筆者の行動に当てはめて考えてみたい。みんながみんな見て見ぬふりをしていたら、いつまで経っても片付かない。だからこそ、誰かが片付けるだろうという気持ちは、犬のうんちをそのままの状態で放置していくメンタリティーとそう変わらないのでは、と感じてしまう。
筆者の悶々とした気持ちを解きほぐすためのヒントは、2000年のハリウッド映画、『ペイ・フォワード 可能の王国』に隠されている気がする。主人公の男子中学生が、学校の課題で〝世界を変えるための方法〟について考え、実践するように言われる。考えに考えた末思いついたのは、自分が誰かに好意を受けたら、それを3人に回していく―ペイ・フォワード―という方法だった。
サルトルの言葉をポジティブな形の行いで表すなら、ペイ・フォワードがきわめて近いと思うのだ。

哲学ブーム

数年前、ハーバード大学の哲学者マイケル・サンデル教授の『これから「正義」の話をしよう』とか、『超訳 ニーチェの言葉』とか、『ヘーゲルを総理大臣に!』といった哲学関連本の発売部数が伸び、ブームめいたものが訪れたことを思い出す。
ブームは出版界に限ったものでは決してなく、〝哲学カフェ〟と呼ばれるイベントが日本各地で展開されるようになった。好きなものを飲みながら、特定の話題について話し合い、考えていくものだ。この種のイベントの発祥地はフランスで、1992年12月にフランスの作家/哲学者マルク・ソーテがパリで創立した。テーマとして選ばれるのは、日常生活で誰もがいつでも遭遇しえるものばかりだった。

哲学が実生活と一番近い学問かもしれない

日常のひとコマで生まれる、誰もが抱く素朴な疑問。哲学の芽は、そういうところから顔を出すのだろう。哲学は、学問という枠組みだけからとらえると、日々の暮らしから一番遠いものに感じられるかもしれない。でも、あえて日常生活に落とし込んで考えると、実はかなり身近なのだ。
哲学のそういう本質をわかりやすく見せてくれるのが『深夜の赤信号は渡ってもいいか? :いま使える哲学スキル』(富増章成・著/さくら舎・刊)だ。著者の富増さんはこう語りかける。

哲学とは「生き方の学問」という思い込みをなくして、「何についても考えることができる技術(スキル)」ととらえればよいのです。

哲学は、「人生についての説教くさい話」ではないし、生き方を説く学問という性格がすべてではない。もっと身近で単純なことを自分なりに納得するためにあるものなのだ。目次を見てみる。
・深夜の赤信号は渡るべきか、待つべきか?
・タバコを吸うべきか、やめるべきか?
・運命は決まっているのか、自由はないのか?
・人は生まれつきか、育ちで変わるのか?
・どんなときもウソをついてはいけないか?
哲学という言葉を聞いて、「人間とは何か」とか、「よく生きるとはどういうことか」とか問われているように感じる人は少なくないはずだ。それはそれで、哲学の一面ではある。でも、全体では決してない。 ならば、哲学的思考を実践するための第一歩としてふさわしいのは、ものごとをひとつの側面だけから見るのではなく、俯瞰的に見渡す感覚を養うということだろう。

(文:宇佐和通)

深夜の赤信号は渡ってもいいか? : いま使える哲学スキル

著者:富増章成
出版社:さくら舎
哲学は何にでも使えるツール。日常レベルの疑問や悩みもこれでOK。――哲学は問題解決のツールとなった!人っ子一人いない深夜の赤信号を前にしたとき、「渡ってしまおうか」「いや、渡らずに待つべきか」と一瞬ためらったことがある人は多いでしょう。私たちがためらうのは、なぜでしょうか。異なる考え方のどちらを優先してよいか判断に迷うからではないでしょうか。それを考えるとき、役に立つのが哲学です。哲学とは「生き方を考えるもの」という思い込みをしていませんか。それは哲学の一部にしかすぎません。哲学は「何についても考えることができる思考の技術(スキル)」なのです。いわば思考の“万能ナイフ”で、とても便利なツールなのです。世の中何が正しくて、何が間違っているのか、どう判断したらいいのか、人の悩みは尽きません。でも、哲学を使えば、どんなときもウソはいけないか、わずらわしい人間関係をどうすればいいか、全体のため一部を犠牲にしていいかなど、身近な悩みから現代社会への疑問まで、さまざまな問題に応用して使えます。人間が過去2500年以上にわたって考え抜いてきたさまざまなものの見方・思考法を学ぶことで判断力、問題解決力もアップします!

  • このエントリーをはてなブックマークに追加
  • LINEで送る

関連記事