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国策スローガンは「懸賞公募」で決めればうまくいく

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たとえば「一億総活躍社会」について。安倍首相による第三次改造内閣が発足したときのスローガンだ。あまりにも平凡で、あまりにも漠然としすぎているため、すでに忘れてしまっている人も多いだろう。

感性の鋭すぎる人にとっては、かつて戦時中に叫ばれた国策標語「進め一億火の玉だ」を連想させるので、ふたたび無謀な戦争に首を突っこみかねない雰囲気を「一億総活躍」というスローガンから読み取れなくもない。当時の一部メディアにおいて騒がれていた。安倍内閣が「集団的自衛権を一部容認する閣議決定をした」という経緯もあって、一億総活躍というフレーズが「一億玉砕」や「国家総動員」を連想させるというわけだ。

制度や法律を定めるのはエリート官僚が得意とするところだが、親しみやすい標語やキャッチコピーの考案は生活実感をそなえた大衆の集合知に頼ったほうがうまくいきやすい。それは歴史が証明している。

戦争標語の真実

有名な国策標語である「贅沢(ぜいたく)は敵だ」は、昭和15年に公布された「奢侈品等製造販売制限規則(七・七禁令)」のために作られたスローガンだ。作者は、民間広告会社の編集者だと言われている。戦時には商業広告が激減したので、国策広告を受注せざるをえなかった事情によるものだ。

戦時体制下では軍への物資供給が優先されるため、配給制度によって国民は物足りない日常生活を強いられる。そのような状況を正当化するために「欲しがりません勝つまでは」という標語が生まれた。

まさしく「一億総動員」を象徴するフレーズだが、じつを言うと「欲しがりません勝つまでは」の作者は、賞金目当ての一般市民だった。真珠湾攻撃の翌年、昭和17年におこなわれた大手新聞社の懸賞金付き公募「国民決意の標語」に寄せられた32万通の中から選ばれたものだ。

「国民決意の標語」では、「欲しがりません勝つまでは」を含めた10作が入選した。

懸賞応募が自分たちの首をしめることになった

『標語誕生!』(筑紫磐井・著/角川書店・刊)には、入選作が発表された昭和17年1月27日付けの朝日新聞紙面が掲載されている。

  • さあ二年目も勝ち抜くぞ
  • たった今 笑って散った友もある
  • ここも戦場だ
  • 頑張れ! 敵も必死だ
  • すべてを戦争へ
  • その手ゆるめば戦力にぶる
  • 今日も決戦明日も決戦
  • 理屈言う間に一仕事
  • 「足らぬ足らぬ」は工夫が足らぬ
  • 欲しがりません勝つまでは

(『標語誕生!』から引用)

「笑って散った友もある」は、いかにも当時の陸軍が好みそうなフレーズだ。「『足らぬ足らぬ』は工夫が足らぬ」。これが戦時標語だったとは知らなかった。

ほかにも佳作が20点選ばれている。賞金は入選作が100円、佳作が20円。現金ではなく国債で支給されたという。100円という金額は、当時の大卒初任給にすこし届かない程度なので、現代ならば数十万円に相当する。応募総数32万通のなかには、愛国心よりも金銭欲に駆られたものがあったのかもしれない。

ちなみに「欲しがりません勝つまでは」の応募者は小学5年生の女子児童だが、じつは父親が代作したものであったことが戦後に判明している。

ヒトラーとナチスのおそるべきプロパガンダ戦略

戦時下の標語としては、ほかにも「撃ちてし止まむ」「鬼畜米英」「挙国一致」などが有名だ。じつに勇ましいかぎりだが、気合いや意気込みだけで勝てるほど戦争は甘いものではなかった。戦前のわが国はもとより、人類史上もっともプロパガンダに長けていたといわれるヒトラー率いるナチス・ドイツも結局は敗北した。

たのしいプロパガンダ』(辻田真佐憲・著/イースト・プレス・刊)によれば、ナチス・ドイツは「帝国著述院・帝国映画院・帝国音楽院・帝国演劇院・帝国新聞院・帝国ラジオ院・帝国造形芸術院」の7つの娯楽部門を統括する「宣伝省」を設立して、ゲッペルスを大臣に任命した。

宣伝大臣であるゲッペルス主導のもと、プロパガンダ映画の名作『意思の勝利』やベルリン・オリンピックを記録した二部作映画『民族の祭典』『美の祭典』(通称・オリンピア)を制作。敵国民にナチス・ドイツの強大さを印象づけるため写真誌『ジグナール』を20の言語に翻訳して発行した。

ナチス・ドイツ制作の謀略ラジオ放送「こちらドイツ」では、英国出身のファシスト党員をアナウンサーとして採用して、イギリス人好みの音楽を放送していた。現代でたとえるなら、過激派組織ISIL(イスラム国)の「ジハーディ・ジョン」のような人物像だ。

彼らのやり方は巧妙だった。まず、人気ジャズの一番の歌詞を原曲そのまま吹き込む。こうしてリスナーを引きつけたところで、おもむろに替え歌された二番が始まる。

そこでは、これまでとは打って変わって、「英国はまもなく壊滅する」「チャーチルはユダヤの手先」という歌詞が紛れ込まされたのである。のちに米国が参戦すると、米国やルーズヴェルトを茶化した歌詞が組み込まれた。

こうした工夫は数字になって現れた。一九四〇年後半のBBCの調査によれば、英国人リスナーの二六・五%もの人々が恒常的に「こちらドイツ」を聴いていたという。

(『たのしいプロパガンダ』から引用)

アメリカ兵を魅了した「ラジオ・トウキョウ」

日本の国際プロパガンダ放送を担当していたのは、日本放送協会(NHK)だ。「時に二〇近い言語を駆使して日本の対外宣伝」をおこない、当時は「思想戦の尖兵」「姿なき爆弾」ともいわれる役割を期待されていた。

前年のミッドウェー海戦の大敗北による戦局挽回のため、1943年、陸軍大本営報道部が「ゼロ・アワー」というラジオ番組を企画する。連合国将兵に聴かせて戦意喪失させることを目的とするため、音楽にはジャズが多様された。ほかにも、傍受したアメリカのローカルニュースを番組内で取り上げるなど、連合国の国際ラジオ番組よりも充実した内容だったという。

「ゼロ・アワー」の出演者は、オーストラリア軍の捕虜男性や日系2世の若いアメリカ人女性たちであった。なかでも好まれたのは、連合国将兵たちのあいだで「東京ローズ」と名付けられた、エキゾチックでセクシーな声の持ち主である女性アナウンサーだった。

「東京ローズ」の名は、日米戦争のさなかに発行された『スーパーマン』の作中に登場したり、ダグラス・マッカーサー元帥が回顧録にて言及するほどで、敵国ニッポンのプロパガンダ放送のアナウンサーでありながら、連合国将兵たちの人気者であった。わが国のプロパガンダ史上における「数少ない成功例のひとつ」と言えるかもしれない。くわしい話を知りたければ『東京ローズ』(文藝春秋・刊)をオススメする。

第二次世界大戦後から2016年現在までを総括するならば、ハリウッド映画やコカ・コーラやファストフードにまさる「プロパガンダ」はない。私見を述べるならば「クールジャパン」もアメリカの先行事例を踏襲したプロパガンダの一種ではないかと思う。国策としてはいまだ発展途上だが、民間レベルにおいてはオタク文化の受容と拡散は世界各国で進行中だ。

(文:忌川タツヤ)

たのしいプロパガンダ

著者:辻田真佐憲
出版社:イースト・プレス
戦中につくられた戦意高揚のための勇ましい軍歌や映画は枚挙に暇ない。しかし、最も効果的なプロパガンダは、官製の押しつけではない、大衆がこぞって消費したくなる「娯楽」にこそあった。本書ではそれらを「楽しいプロパガンダ」と位置づけ、大日本帝国、ナチ・ドイツ、ソ連、中国、北朝鮮、イスラム国などの豊富な事例とともに検証する。さらに現代日本における「右傾エンタメ」「政策芸術」にも言及。画期的なプロパガンダ研究。

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