運命の分かれ道でのベストな選択方法とは

『ライフ・イズ・ビューティフル』という映画を観た。幸せに暮らしていた3人の親子が、第2次大戦中に強制収容所に入れられてしまうという物語で、シナリオが素晴らしかった。あの時にああだったから、この時にこうなったのだな、という伏線が随所に張られていて、ムダがなく、だからこそ考えさせられる。私たちもどちらを選べばいいのだろう、という運命の分岐点に出くわすことがある。そういう時、どう振る舞うのが一番いいのだろう。

 

偶然という運命の分かれ道

『夜と霧』という、強制収容所体験記がある。収容された精神科医ヴィクトール・E・フランクルによる限界場面での人々の行動や心理についての考察本だ。この本にはほんの僅かなことで明暗を分ける人々の姿が描かれている。著者は、発疹チフスに感染してもどうにか乗り越えられたから、過酷な作業が空襲警報で中止になったからなど、いくつかの偶然に恵まれ、生還することができた。そしてその逆に、僅かの差で収容所で命を落とした人も多くいたのだ。

『夜と霧』と同時に、先日読んだ『大村智ものがたり』を思い出した。ノーベル賞を受賞された大村さんは、大学を卒業し、山梨県の高校で働くつもりだった。しかし、その年に限って県内の高校教諭の募集がなかったため、いたしかたなく東京の夜間高校で働き始めた。そこで夜間高校の生徒達の熱心な勉強っぷりに感動し、自分も学び直さねばと東京理科大学大学院に入る。夜間高校の教師だったからこそ、昼間に大学院に通うことができたのだった。

目に見えない運命のようなもの

もし大村さんが、山梨の高校の先生になっていたら、もし夜間高校の先生じゃなかったら……。たくさんの偶然によってノーベル賞へと道が繋がっていく様子を、驚きながら読んだ。もちろん大村さん自身に素晴らしい素養があったのだけれど、何か目に見えない運命のようなものが、偉大な業績へと誘っていったかのように感じたのだ。世の中にはしばしばこうしたドラマティックなエピソードが起きるが、なぜ、このような偶然があるのだろう。

『ひとり悩むあなたを支える言葉』(諸富祥彦・著/すばる舎・刊)は、セラピスト達の名言集である。大勢の人の苦しみに耳を傾けてきた人が発する言葉には、困難を乗り越えるヒントが詰まっている。この本の著者は前述のフランクルに心酔しているらしく、彼の言葉が群を抜いて多く収録されている。全10章中、彼の言葉のみで占められている章が3つもあるのだ。収容所で不条理な死の数々に直面し、自らもその淵に立っていた人が発する言葉は、達観されていて、もはや哲学ともいえる深みや重みがあるからかもしれない。

その瞬間を生きること

私はフランクルの『それでも人生にイエスと言う』という本が好きだ。この本はとても突き放した書き方をしている。人生に期待してはならない、と。「私が人生になにを期待するかではなく、人生が私になにを期待しているか」ということを考え、行動することが大切なのだと説く。私利私欲の塊となり、人生に神頼みのようにすがるのではなく、人生の今この瞬間に自分が最善を尽くしているかということこそが大切だというのだ。

フランクルは、精神科医であることを収容所の中で明かし、監視員に対し、夫婦関係の悩みに助言まで行った。敵でも味方でもなく人と人の関係であろうと努めていたのだ。だからこそ彼は監視員からスープの具を少し多めに入れてもらえるなど、生き延びるきっかけをいくつも与えられた。それはその状況下での最善のことを彼ができていたからだろう。

ありのままの自分

『自分中心の生き方、幸福中心の生き方を、「人生からの呼びかけに応える生き方」、「意味と使命中心の生き方」に転換せよ』。名言集の中にあるフランクルの言葉に、はっとする人も多いだろう。フランクルは収容所の中で、伝染病が蔓延する病棟に医師として向かうか、土木作業員になるか、死の危険がある2つの作業のうち、迷わず病棟勤務を志願した。どうせ死ぬのなら医師として少しでも人の役に立ち、意味のある死にかたをしたいとの思いだった。

結果、フランクルは周囲の配慮で体調が整うまで静養を許可され、命を落とすようなことにはならなかった。偶然のように見えるけれど、フランクルは最も自分らしくある道を選んだ結果、生き延びられたのだ。人生には幾つもの選択肢がある。その時に最もベストな結果を導き出せすためには、ありのままの自分の姿で、真っ直ぐに振る舞うこと、なのかもしれない。

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