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昭和12年まで生きたお殿様がいた!

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幕末に活躍したこの3人には、意外な共通点がある。

・江戸幕府15代将軍 徳川慶喜

・新選組2番隊組長 永倉新八

・新選組3番隊組長 斎藤一

答えは、3人とも大正時代まで生きたことだ。慶喜は大正2年、永倉と斎藤にいたっては大正4年まで生きている。

ちなみに永倉は虫歯が原因で骨膜炎に罹ってしまい、死去した。新選組隊士のなかでも最強レベルの剣士として知られた永倉だが、虫歯にはついに勝てなかった。普段から歯磨きをすることは重要だ。

江戸、明治、大正、昭和を生きた浅野長勲

激動の幕末を乗り越えた彼らも相当に長生きといえるが、なんと昭和まで生きた“お殿様”がいる。広島藩第12代藩主の浅野長勲(あさの ながこと)である。
彼は広島東洋カープの球団名の由来にもなった“鯉城”、すなわち広島城で生活していた人物で、昭和12年に94歳で没した。当時としては驚くほど長寿であり、江戸、明治、大正、昭和と激動の時代を見てきた数少ない人物と言っていい。

ちなみに、近江大溝藩第12代藩主の分部光謙(わけべ みつのり)は昭和19年まで生きているが、在任期間がわずか4日で、文句なしで藩主といえる仕事ぶりをしたのは浅野が最後と言われているそうだ。そのため、浅野は「最後の藩主」「最後の大名」と呼ばれることもある。

 

新時代に合ったビジネスを始める

それでは、浅野長勲はどのような人物だったのだろうか? その生涯をまとめた『昭和まで生きた「最後のお殿様」浅野長勲』(江宮隆之・著/Panda Publishing・刊)を紐解いてみよう。本書によれば、

この人がいなかったら、明治維新もその後の廃藩置県、版籍奉還などもうまくいったかどうか

と多くの人から評価されるほどの人物だったらしい。

廃藩置県、版籍奉還で藩士の多くは仕事を失うが、浅野は彼らの生きる道筋をつけるべく力を尽くした。さらに、日本で初めて洋紙の製造業を手がけたり、第15銀行の頭取を務め、さらには『日本』と題した新聞の発行にも関わった。その活動の幅は多方面に及び、マルチな才能を発揮した人物であった。

元藩主としての強い使命

幕末が終わり、明治に入ると、五月病のような状態に陥ってしまった元藩主たちも少なくなかった。本書によると、時流の動きを把握できずに維新を迎え、わけがわからないまま藩主の座を降りてしまい、自暴自棄になって酒に溺れて過ごした藩主もいたようだ。

しかし、浅野は新時代のために何かをしなければという、強い使命感を持っていた。そう思い立ってはじめたのが洋紙製造業だった。西洋文化の流入とともに洋紙の需要が増えていたが、当時は輸入に頼りきりの状態だった。浅野は事業を興すことで、その需要に応えようとしたのだ。

最初は注文が入らなかったという。そんなときでも工場を稼動させ、将来を見据えて在庫を確保しておいたというからスゴイ。後に政府によって紙幣が発行されはじめると、洋紙の需要が高まり、注文が急増した。忍耐強さもさることながら、時代の変化を読み取る能力に長けていたのである。

お殿様は人々に慕われる偉大な存在

彼が関わった洋紙製造業、銀行の開設、新聞の発刊などのビジネスは、いずれも明治という時代のニーズを掴んだものであった。このような積極的な攻めのビジネスは、激動の時代に生きる我々にも多くのヒントを与えてくれる。

ところで、歴史に疎い私は、殿様と聞くと民衆から搾取しまくり、嫌われる存在というイメージがあった。実際はそのような殿様は例外で、江戸時代には名君といわれる藩主がたくさんいたし、明治維新後も地域の人々から愛された人物が少なくない。

浅野は公害防止のために人家から離れた場所に工場を建てるなど、現在につながる先進的な考えを持ち、常に民衆のことを考えていた。まさに、お殿様に相応しい行動力と教養を兼ね備え、多くの人から慕われた人物であったといえるだろう。

(文:元城健)

昭和まで生きた「最後のお殿様」浅野長勲

著者:江宮隆之
出版社:Panda Publishing
幕末、明治、大正、昭和までを凛と生き抜いた「最後の大名」がいた。 その安芸広島藩藩主「浅野長勲」の数奇な人生を通じて、激動の近現代史を振り返る。 長州征伐での調停から、大政奉還で建白書の提出、新聞「日本」の発行、小御所会議での活躍、第十五銀行の頭取、日本初の洋紙製造会社の創業、イタリア大使、昭和天皇の養育係と、実業・言論・政治の世界で一目置かれる存在であった。 また、徳川慶喜や孝明天皇、西郷隆盛、大久保利通、岩倉具視、坂本龍馬と親交があった。 長勲と話した慶喜は、「老中が強すぎて、俺の言うことなど聞いてくれない」と言って、ポロポロ涙を流したという。 慶喜の涙。これを見た大名が、この時代に何人いたであろうか。 また、ガチガチの攘夷論者として知られた孝明天皇が、実は「攘夷は方便である」と長勳に打ち明けている。 坂本龍馬や西郷隆盛などの幕末伝にはない、もう一つの幕末・近現代史が見えてくるだろう。

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