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外食するとき「ながら食い」していませんか?

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飲食店にて、マンガや週刊誌を読みながら食事している人をたまに見かける。かれらは、個人経営の「喫茶店」「カレー屋」「大衆中華料理店」に生息している。本人たちに自覚はないのかもしれないが、あれは見苦しい。

マンガを読みながら食べるなんて……

べつに、かれらを不快に思ったり迷惑をこうむったことはない。むしろ「器用だなー」と思う。利き手で箸をたくみに使って、もう一方の手でパラパラとページをめくっているからだ。「神経が図太いですねー」とも思う。かれらは注文してからマンガを読みはじめ、食べ終えたあとも席から立ちあがることなくマンガを読み続けるからだ。

実際にマネをしてみると簡単にはいかない。利き手は箸やスプーンを使うので、そうでないほうの片手だけでページめくりをおこなう必要がある。難易度は高い。両手をつかって読めば食べる速度が遅くなるから、せっかくの温かい食事が冷めてしまう。

個人経営の飲食店にマンガ棚がある理由とは

なぜ大量のマンガ本を店内で提供している飲食店が存在するのだろうか。注文を受けてから手元に届けるまでの「手持ちぶたさ」をお客に感じさせないための配慮だろうか。その理屈ならば、さばいてから蒸して焼くのに30分以上を要する老舗の鰻屋にも「マンガ棚」が必要ということになるけれど……。

喫茶店に大量のマンガ本を置くことには経済的合理性があった。のちに「時間制」というビジネスモデルを導入することによって「漫画喫茶」という新しい業態が生まれたからだ。

その一方で、ラーメン屋やカレー屋や大衆中華料理店とマンガ本の組み合わせには経済的合理性が認められない。先に述べたように、お客が長居することにより回転率が下がってしまうからだ。店側にメリットがないにもかかわらず、かつて日本の飲食店には大量のマンガ本が置かれていた。不可解きわまりない現象だ。

もしかすると、飲食店におけるマンガ棚は「文化」だったのかもしれない。経済的合理性はないが、時代と人が無意識のうちに求めていた。

文化の周辺には、人を強く引きつける磁場のようなものが発生する。昭和55年生まれの男子として身に覚えがないわけでもない。わたしは、飲食店で運命的な出会いを果たしたことがあるのだ。それは個人経営のカレー店で何気なく手に取った「1冊のマンガ本」だった。

電撃的だった『赤灯えれじい』との出会い

場所は、福岡市の筑紫通り沿いにある某カレースタンド。当時、県外から福岡に引っ越してきたばかりのわたしは、自宅周辺の外食店めぐりをおこなっていた。住まいは、博多駅や天神や中洲などの繁華街からはずいぶん離れていたものの、福岡という町にはうまいものを食わせる店が各所に点在しているという前評判を耳にしていた。

あるとき、自宅の賃貸アパートから徒歩5分ほどの場所に「手づくりカレー」という看板を見つけた。チェーン店ではない、いかにも地元の個人経営店といった趣だった。看板には「満足の量と値段」と書き添えてあったので、内心では「あまり期待できない」と感じたものの、引っ越してきたばかりの高揚感もあり、思いきって店内に足を踏み入れた。

せまく細長い店内にはカウンター席のみ。福神漬けとらっきょう漬けの容器が、2席に1組の割合で置いてある。良し。のれんをくぐるとすぐに、坊主頭にねじりはちまきを巻いた強面(こわもて)の店主らしき中年男性と目が合ってしまった。客はわたしひとりだった。14インチくらいの液晶テレビが福岡ソフトバンクホークスのナイター中継を映していた。

カレーライスは、ポークカレー1種類のみ。プレーンは450円。150~200円でトッピングを選べる。200円のトンカツでカツカレーにした。注文を受けた店主は、寸胴鍋が載ったガスコンロに火を入れる。わたしのほかに客はいなかったので、カレーソースを温めなおすのだろう。

しばらく時間がかかりそうだったので、店内をぐるりと見渡す。壁一面に本棚が設置してあり、マンガ本や週刊誌をところせましと並べてあった。『島耕作シリーズ』『グラップラー刃牙』『サラリーマン金太郎』『クローズ』などをはじめ、『め組の大吾』や『家栽の人』という懐かしいタイトルも。だいたい読んだことがある……そんな中で、見慣れないマンガ本を見つけた。

『赤灯えれじい』(きらたかし・著/講談社・刊)というヤングマガジン連載の単行本だった。表紙には、若い男女がならんで描いてあった。気が強そうな金髪の女と気が弱そうな黒髪の男。どちらも路上警備員の制服を着ている。こんなカップル見たことがない。斬新だ。第1巻を読んでいくうちに「チーコ」と「サトシ」という大阪人カップルの同棲生活を描いた漫画だということを知る。

気がつけば、注文したカレーライスが供されるまで、わたしは『赤灯えれじい』の第1巻を夢中で読みふけっていた。カレーを食べに来たというのに、そのあと味わうのも適当にして、自分が食べ散らかした皿をかたわらに置いて、とうとう第1巻を読みきってしまった。

陳腐な表現だが、まさに「雷に打たれたような」読書体験だった。浪花節全開でベタベタのラブコメなのだが、元ヤンキー女子とヘタレ男子がひかれあい同棲するまでに至るストーリーは、わたしのハートを鷲づかみにした。すぐにでも第2巻を読みたかったが「もったいない」と思った。支払いを終えたわたしは、すぐにインターネットショップで『赤灯えれじい』全15巻を注文した。まさに名作であり、現在にいたるまで何度も読み返している。

ひとりぼっちでいつも本を読んでいる女の子

本が好き子さん』(なるあすく・著/太田出版・刊)は、その名のとおり「本が好きな女の子」の日常を描いたギャグ漫画だ。

ノンフィクションのエッセイコミックではなく、純然たるフィクションだ。本が好き子さんは、幼いころから本ばかり読んでいたので、極度の人見知り・恥ずかしがり屋になってしまった。クラスメイトに話しかけられるのがこわいので、どんなときも読書をして本で顔を隠している。水泳するときも本を両手で持って読みながら立泳ぎしているくらいだ。

本が好き子さんも、例によってラーメン屋でラーメンを食べながら本を読む。しかし好き子さんの場合、みずから持参した本を読んでいる。ラーメンスープのしぶきが飛び散る可能性がある場所に、自分で買った本を持ちこむ勇気はわたしにはない。たとえ店置きのマンガ本であっても、担々麺の真っ赤なスープが紙のうえに飛び散るのを見るのは、あまり気分が良いものではない。

自分の本が汚れたり破れたりするのもかまわず、あらゆる場所において活字やマンガに対する欲求を満たそうとする。こういう人物こそが、真の「本好き」といえるかもしれない。「みっともない」や「見苦しい」を通り越して、むしろ清々しさを感じる。

(文:忌川タツヤ)

本が好き子さん

著者:なるあすく
出版社:太田出版
本が好きすぎて、いついかなる時でも本を読んでしまう女の子。
彼女は本が好き子さん。
本から目が離せなくて、人の目を見て話せません。
本が好きすぎるので、どこでもついつい本を読みはじめます。
歩いてても、走ってても。雨の日も、風の日も。
電車でも、動物園でも…。
”エクストリーム読書ガール”・好き子さんの、不思議でほのぼのブックライフ!
*「メディアファクトリー文庫J公式キャラクター原案コンテスト」特別賞受賞

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