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働かざるもの結婚するべからず?

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働きたくない。でも恋人が欲しい。働きたくない。でも結婚がしたい。働きたくない。おカネが欲しい。働きたくない。幸せになりたい。働きたくない。尊敬されたい。働きたくないけれど、あれもこれも全部欲しい。神さま!

働かなければ生きていけない

タイトルに興味をひかれたので『はたらかないで、たらふく食べたい』(栗原康・著/タバブックス・刊)という本を読んだ。とても共感できる内容だった。なぜなら、わたしは日ごろから「働きたくない」という文言を、心のなかで念仏のように唱えているからだ。

わたしの「働きたくない」という願いが成就したことはない。利殖の才や、田畑を耕すような甲斐性もないので、カネを稼ぐためには時間や労力を切り売りするような働き方をせざるをえない。

著者の栗原さんも同じで、本当は働きたくないけれど、学校で教えたり本を書いたりして、不本意ながらカネを稼ぐために働いているようだ。大学の非常勤講師をしているが収入は少なく、年収は80万円ほどであり、実家暮らしをしている。

年金納付は強制労働のようなものだ

アナキズム(無政府主義)の研究者である栗原さんは、年貢(税金)になぞらえて「いま仕事をするということは、自分の身体を稲穂のように収奪させることだ」と主張する。収奪の最たるものとして「年金」を挙げている。

「年金とは、未来のリスクのために、みんなでおカネをだしあっておく制度なのです」。なんだかわかったような、わからないような説明だ。ようするに、歳をとったら肉体的にあまりはたらけなくなるかもしれないから、わかいうちにうんとはたらかせよう、未来のぶんまではたらかせてしまおうということなのだろうか。けっきょく労働じゃないか、しかも過重労働だ、強制労働だ、それができなければ借金だ。ひどすぎる。

(『はたらかないで、たらふく食べたい』から引用)

年金納付を理不尽に感じている国民は少なくない。低所得者であるほど負担が大きいからだ。世代間の給付額に大きな差があることも不公平に感じる。しかし、日本国民として生まれたからには毎月の納付を求められる。制度を維持するために強制徴収するというのだから、年金納付が強制労働であるというのは言い得て妙だ。

働きたくない人間が結婚しようとすると……

いまでこそ「働きたくない」と主張している栗原さんも、かつては勤労につとめようとした時期があった。結婚を考えていたときだ。

東日本大震災をきっかけにして、栗原さんはひとりの女性と付き合いはじめた。彼女は公務員であり、当時ほとんど無収入だった栗原さんに対しても理解を示してくれるような人だった。単なる「お付き合い」のうちは良かったのだが、しばらくして、彼女が三十歳を目前にして結婚と出産を焦っていることが明らかになり、あっというまに関係が破綻した。以下は、彼女が栗原さんに浴びせかけた暴言(正論)だ。

「もう我慢できない。おまえは家庭をもつ、子どもをもつということがどういうことなのかわかっているのか。社会人として、大人として、ちゃんとするということでしょう。正社員になって、毎日つらいとおもいながら、それをたえつづけるのが大人なんだ。やりたいことなんてやってはいけない。仕事なんていくらでもあるのに、やりたいことしかやろうとしないのは、わがままな子どもが駄々をこねているようなものだ」

(『はたらかないで、たらふく食べたい』から引用)

彼女のことが好きだった栗原さんは、アナキズムの研究を続けるために「あまり働きたくない」という方針は譲れないものの、せめて収入を増やそうと思って、学習塾のアルバイトをはじめたり、知り合いの出版社から新刊を出す約束を取り付けたりした。そのことを彼女に報告すると、思いがけない言葉が返ってくる。

結婚をあきらめてライフワークを選んだ

「まだそんなことをいっているのか。アルバイトは仕事じゃないでしょう。おしえる仕事がやりたいなら、教員採用試験をうけて高校の先生にでもなれよ」。それでは研究をつづけられないというと、「だから研究なんてやめろっていってんだろ。わたしを愛している、家庭を大事にしたいとおもうのなら、それくらいはできるはずだ」とかえされた。それはできないというと、鬼みたいな罵声がとぶ。「あまえてんじゃねえよ。だいたい、おまえみたいなのをあまやかして育てた親がわるいんだ。人間としておわっている。死ねばいいのに」。

(『はたらかないで、たらふく食べたい』から引用)

この一件によって、ふたりの関係は壊れてしまう。結婚は破談になった。傷心の栗原さんは「わたしたちは、やりたいことをやるのに、はじめから負い目をせおって生きることを強いられている。生の負債化だ」と悟った。

ちなみに、栗原さんの体験は、おどろくほど『デート 〜恋とはどんなものかしら~』に似ている。女優の杏が「リケジョ」を演じたことで話題になったフジテレビの恋愛ドラマだ。相手役の長谷川博己は「高等遊民」を自称する35歳のニートで、栗原さん自身が「なんだかひとごとではなくて、テレビにむかってもうれつに拍手をおくりながら、涙をぼろぼろとながしてしまった」というくらいシチュエーションが似通っている。

その後の栗原さんは、結婚をあきらめたものの、アナキズムの研究にますます励んでいるようだ。

(文:忌川タツヤ)

はたらかないで、たらふく食べたい

著者:栗原康(著)
出版社:タバブックス
結婚や消費で自己実現? ウソだ! 豚小屋に火を放て!
やりたいことだけをやってはいけない、かせがなければいけない、買わなければいけない――負い目を背負って生きることを強いられる「生の負債化」が進行する現代社会。今こそ新自由主義の屈折した労働倫理から解き放たれるとき!笑いながら溜飲が下がる、トンデモなさそうで腑に落ちる。気鋭の政治学者による爆笑痛快現代社会論。

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