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東南アジアのお化け映画を徹底的に観ると、こうなる!?

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私の夫は映画が好きだ。仕事は一応、人類学者ということになっているが、本当になりたかったのは映画監督だったのではないかと、私はひそかに思っている。
授業も、若い頃は専門の”人類学”を講じていたが、一般教養の担当になってからは、授業はエンターテイメントであるべきだという考えにいたったらしく、教材に映画を使うようになった。膨大な量のDVDを観てから、使用する教材を決めるので、我が家はDVDだらけ。夫の部屋は足の踏み場もないほどだ。

怪奇映画好きの夫

いくらなんでもこれでは暮らしていけない思うほどDVDが増えたため、私は納戸を改造して、そこを「我が家のツタヤ」と定めた。
靴箱を重ねて、棚を作り、整頓することにしたのだ。
本当だったら、ジャンル別に並べたいのだが、その余裕はないので、洋画と邦画に分けて収納している。
そもそも彼の趣味はオカルト物に偏っていて、ジャンル別にしてもあまり意味がない。
かつてデートした遠い昔を思い出してみても、記憶に残っているのは「マニトウ」、「血を吸う薔薇」、「キャリー」、「サスペリア」など、すべてとにかくおっかない映画ばかりだ。
もしかしたら、抱きついて欲しいのかと思うほどの偏りぶりだったが、私は怖くて椅子にしがみついていたので、ロマンティックな状態には至らなかった。

怪奇映画は好きではない私

私自身は怪奇映画はそれほど好きではない。できることなら、うっとりするようなものを観たい。そう思ってきた。
ところが、好きでなかったはずの怪奇映画が心のどこかに住み着いてしまったらしく、今頃になって、ふとしたときに顔を出すようになった。
それはたとえば、急に降り出した雨を避け、古いアパートの軒先をかりて雨宿りしているとき、濡れてしまった髪の毛をつたう雨粒がなんだかおぞましい存在に思えたり、美しい薔薇に顔を寄せようとしたその瞬間、血を吸われるかもしれないと感じてぞっとするといった具合である。
それがなぜなのか。よくわからない。しかし、怪奇映画には、作り物でありながら、現実を飛び越えて心をわしづかみにする不思議な力があると思う。
歯の神経をいきなりつつかれるような恐怖がそこにはある。

怪奇映画を渉猟する人物

『怪奇映画天国 アジア』(四方田犬彦・著/白水社・刊)は、アジアの怪奇映画を追い続けてきた四万田犬彦の集大成というべき本である。アジアの怪奇映画をこれほどまでに徹底的に観て、分析した本はないと思う。
そこにあるのは、怪奇映画をB級物ととらえず、ひとつの大切なジャンルとして認める彼独特の愛である。彼もまた怪奇映画にとりつかれた人なのだろう。
2002年から2009年まで、四万田犬彦はタイ、インドネシア、マレーシアを訪問し、自分の足で歩きまわり、その目で作品を観たという。一般の劇場はもちろんのこと、路上で売られているDVD、VCDまで、くまなく観て歩いたというのだからすごい。
それだけで1本の怪奇映画になりそうな、不気味なまでの勢いだ。
題して「怪奇映画にとりつかれた学者」という風に・・。

夫に内緒にしておこう

私は四万田犬彦の映画に関する本が好きで、『電影風雲』(白水社・刊/1993年)なども繰り返し、読んできた。
彼の本は映画について語りながらも、映画評論とはひと味違う読み物になっている。上から目線を投げかけてもこない。
そこにあるのは、映画への深い思い、ただそれだけだ。
巻末には、本で取り上げられたアジアの怪奇映画がアイウエオ順に並び、カタログとしても使えるので、大変、便利だ。
「我が家のツタヤ」の整理にも役立ちそうだ。
ただし、この本の存在をまだ夫には教えていない。さらに怪奇映画に凝ることに違いないからだ。
棚はすでにもう一杯で、あまり余地がないのだ。
新しい棚ができるまで、夫には内緒にしておこう。

(文:三浦暁子)

怪奇映画天国 アジア

著者:四方田犬彦(著)
出版社:白水社
怖くなければ映画じゃない!? インドネシア、タイ、マレーシア、シンガポール、カンボジアなどの怪奇映画史、恐怖と身体の政治性、アニミズム的精霊信仰との関係を解く。渾身の書下ろし!

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