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天才アラーキーの教えに従って、毎日を過ごす

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私は顔が好きだ。ただし、自分のではなく、他人の顔を見るのが好きなのだ。
イケメンでなくてもいい。美女でなくてもいい。とにかく顔を見ていたい。
よく「自分の顔に責任を持て」などと言うが、責任など持っていなくても、顔にはその人の心すべてが反映されるような気がする。
とくに初対面の方にお会いすると、ついじっと顔ばかり見つめてしまい、失礼だったなと、あとで反省する。けれども、やめられない。

何が面白いって、顔ほど面白いものはない

写真でも絵画でも、顔を描いたものにひきつけられる。
風景画や花の写真も美しいなと思うし、見ているとほっとする。けれども、やはり顔が描かれていないと、なんとなく物足りない。
写真はとくに、フレームからはみ出しそうに撮しだされた顔のアップが好きだ。
ロンドンに行くと、時間の都合で大英博物館を見学するのはあきらめても、ナショナル・ポートレートギャラリー(国立肖像画博物館)だけは何を置いても駆けつける。一日中、観ていたりするので、一緒に行った人は気の毒だ。だから、必ず一人で行く。そして、顔・顔・顔のオンパレードに酔いしれる。

天才アラーキーの礼儀

荒木経惟の写真が好きなのも、彼が人間の顔を本当に大切に思っていると、感じるからだ。
天才アラーキーの名で知られる彼は、ヌードや花の絵、そして、病気で亡くなった奥様を撮影し続けた写真で名高い。それらは『センチメンタルな旅』や『東京物語』などの写真集となって結実しているが、残酷なまでの探求心からか、時には非難を受けたりもする。
しかし、荒木経惟ほど、相手に思いやりをもって顔を撮る人はいないと、私は信じている。だからこそ、老人も、子供も、不良っぽい女子学生も、容貌が衰えてきた人妻でさえも、アラーキーのカメラの前では本当の顔をさらす。
それはおそらく、彼が礼儀をもって被写体に接するからだろう。

心をとろかす言葉の数々

『天才アラーキーの眼を磨け』(荒木経惟・著/平凡社・刊)には、私のような肖像写真が大好きな人間を痺れさせる言葉が踊っている。

人って四十過ぎてからじゃなくちゃ顔にならない。肖像にならない。写真を撮ることは、表現することじゃないんだ。相手のポートレートって、向こうが表現しているものを複写することなんだ。女は四十過ぎないと、顔が表現の顔にならない。
(『天才アラーキーの眼を磨け』より抜粋)

さらに、ポートレートに何が写る?と聞かれると

愛情かな。
写真て怖いよ。
撮る人の愛情が写るんだもの。
絶対。
生きている一瞬が映り込むからさ。
(『天才アラーキーの眼を磨け』より抜粋)

ね、痺れるでしょう?
ゾクゾクするでしょう?

毎朝、眼を磨く、これ大事

『天才アラーキーの眼を磨け』は、歯ブラシで目を磨いている自画像の写真が表紙になっている。インタビューをした友人である竹原あき子のたっての頼みだったという。
荒木経惟はこのアイディアに驚きながらも、彼女の願いを受け入れ、そして果たした。優しく、サービス精神が旺盛な人なのだろう。
私も遅ればせながら、彼の教えである「眼を磨くんだよ。毎朝、歯を磨くみたいに」の言葉に従い、最近は、朝、起きるとすぐに、ベランダに出て、景色を眺め、眼を磨くようにこころがけている。
歯を磨くのを忘れても、眼を磨くのは忘れないようにしていれば、きっと昨日は見えなかった何かが見えてくると、信じるからだ。

(文:三浦暁子)

天才アラーキーの眼を磨け

著者:荒木経惟
出版社:平凡社
アラーキーこと、写真家荒木経惟が若者たちに語る。生いたち、学生時代、映画、書物、一番大切なこと、好きなカメラ、気になる写真家ーちょっと真面目な、アラーキー的ひと言。

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