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戦後の裏社会と芸能の裏社会を渡り歩いた芸人

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「裏社会」という言葉は漠然としている。漠然としているからこそ、「芸能界は裏社会と繋がっている」といったすりこみもなかなか消えないし、検証されないまま、そのイメージが維持されていく。

東京の盛り場に漂っていた不良文化

なべおさみ『やくざと芸能と』(イースト・プレス・刊)は、通読すると自分史が大半を占めることもあり、書名ほどのインパクトはないのだが、自ら渡り歩いてきた芸能界について「己で道を切り開いて歩く芸能人ならば、多かれ少なかれ、裏社会との人間との交際はあったはず」と指摘するなど、強いインパクトを残す。

1939年生まれ、「江戸前育ち」のなべは、東京の盛り場に漂っていた不良文化を直接体感している。中学2年の時には、映画を観に出かけた日比谷で5人ぐらいの高校生にビルの谷間に連れ込まれたし、高校生になりたての頃には、不良の溜まり場となっていた有楽町駅前の喫茶店のトイレで背後から殴られる経験をしている。当時、「ロア」「トレアドル」「ダイヤモンド」という喫茶店は「不良少年達に評判の銀座三悪のヒーコヤ、つまりコーヒー屋だった」という。

右手に短刀を握るほどの窮地

トイレを出て、誰がやったのかを問うなべに対し、そこへ現れたのが本物のやくざだった。なべは彼を「蟹さん」と名付けた。なぜならば、彼が、「左右の手の指が親指と人差し指だけ残して、合計6本、すっかりなくなっていた」から。残りの4本の指で「ナイフとフォークを使い分け、ハンバーグライスを食べる様は、誠に蟹そのもの」だった。やがて、彼から喫茶店のひとつを仕切るように言われたなべは、じわじわと裏社会へと足を踏み入れていく。

そののちに、銀座を追い出されたなべは、新天地開拓のため、渋谷を目指す。現在のスクランブル交差点の角地にあった麻雀店に居候する不良達にわざわざヤジを飛ばし、喧嘩を売る。渋谷キャピタル座の裏に連れて行かれ、なべは右手に短刀を握るほどの窮地に陥る。その短刀を「それまで!」と取り上げた大男、渋谷を牛耳る安藤組の花形敬だった。肝の据わっていない行動を見抜かれ「お前等、育ちが良いんだよ。いいか、お前達、上の学校行け!」と諭される。当時の渋谷の風土が伝わるエピソードである。

引き付け合う戦後のやくざと芸能

やがて芸能界の道を選んだなべ、渡辺プロダクションに所属していた水原弘の付き人をつとめ、一日目の夜から、勝新太郎邸へ住み込むなどして、芸能の裏社会を疾走することになる。あるとき、事務所の社長夫妻に呼ばれ、「来年から、お前に役目を一つ請け負ってもらいたい」「隠密になって働いてもらいたい」と申し出を受ける。その役務とはなべ曰く、他社のタレント達から情報を得て、不満を持つ自社のタレントについて「味方しつつ、相手に悟られないように事務所側に導く事」だった……。

昭和の芸能界といわゆる裏社会とを結びつける文献はいくらでもあるが、なべおさみという1人の芸人の視界に映ってきたものだけを受け取る構成によって、やくざと芸能の接合が見えてくる。その生臭い物語には自己陶酔を感じる部分も多いのだが、戦後のやくざと芸能があちこちで引き付け合っていた事実が見えてくる1冊である。

(文:武田砂鉄)

やくざと芸能と

著者:なべおさみ
出版社:イースト・プレス
ビートたけし、絶賛。「こりゃあ凄い本だ!」日本人とは何か。水原弘、勝新太郎、石原裕次郎、三木鶏郎、野坂昭如、長谷川一夫、市川雷蔵、加賀まりこ、大原麗子、ビートたけし、石津謙介、白洲次郎、花形敬、菅谷政雄、司忍、波谷守之、安倍晋太郎、小針歴二、鈴木宗男……。芸能、やくざ、政治の世界における偉人たちとの交友を、著者が意外なエピソードとともに初公開。同時に、やくざという存在を、独自の切り口で歴史的に考察。この国が大切にしてきた日本人の心と、知られざる昭和裏面史が浮かび上がってくる、衝撃の一冊。

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