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僕は週3のペースでスターバックスに行きます

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私はライターをはじめて5年くらいだが、家で原稿を書くことが少ない。近所の喫茶店にノートパソコンを持ちこんで仕事場にしている。我が家の周りには喫茶店やファミレスがいくつもあるので、何件かハシゴして作業することも多い。

ちなみに、このフムフムの原稿はスターバックスで執筆中だ。スタバは特にお気に入りなので、週3回は訪れているはずである。お気に入りはキャラメルマキアート(アイス)のグランデだ。おそらく、読者の中にはもっとスタバを訪れている熱烈なファンもたくさんいることだろう。

悲願の全都道府県出店!

2015年5月23日、鳥取県にスタバが進出し、ついに47都道府県すべてに出店が実現したというニュースは記憶に新しい。開店前には1000人超の行列ができたそうで、日本人はとにかくスタバが好きな国民であることは間違いない。

さて、スタバは津々浦々日本各地に出店しているわけだが、どのようにして日本に根付いていったのだろうか? 気になったので、「日本スターバックス物語 はじめて明かされる個性派集団の挑戦」を読んでみた。

コーヒーの匂いに魅せられた男

もともと、スターバックスは、アメリカのシアトルにあった小さなローカルコーヒーチェーンにすぎなかった。ところが、スタバの素晴らしいコーヒーの匂いに魅せられたのが、後にスターバックスコーヒージャパンの社長になる角田雄二氏であった。角田氏は当時「アフタヌーンティー」などの喫茶店を経営していたサザビー(現:サザビーリーグ)の創業者・鈴木陸三氏の兄である。

角田氏はスタバに魅了され、社長のハワード・シュルツに手紙を書いた。1週間後、社長から電話があり、シアトルで直接対面することになったのだ。程なくして陸三氏も合流してトップ会談が行われ、3人は意気投合した。1993年のことだった。

スタバは女性に支持された

日本進出にあたって、スターバックスの名前を伏せた状態で消費者調査が行われた。

男性サラリーマンは総じて微妙な反応だったが、女性がポジティブな反応を示してくれたのだという。これは予想外の反応だった。というのも、当時、コーヒーチェーンの支持層は男性が中心で、そもそもコーヒーは男性の飲み物というイメージが強かったからだ。

女性が惹かれたポイントをまとめると、こうだ。当時は珍しかったエスプレッソ、そしてコーヒーの苦みを中和するフォームドミルクの存在、そして「アフタヌーンティー」のような店舗の雰囲気が支持された。そこに新しいライフスタイルが見いだせるなら、1杯500円以上払ってもいい、という声が6割を占めていたのだという。

こうした女性の反応を受け、「微妙で深いエキゾチックな風味を持つコーヒーを、居心地よく落ち付ける環境で飲める」店づくりをすることで、スターバックスのブランドイメージを高めようと、日本のスタッフは考えたのだ。

知名度ゼロからの出発

1996年8月2日、スタバの日本1号店は銀座4丁目交差点近く、銀座松屋の裏側の路地にオープンした。しかし、当時の日本での知名度はほぼゼロに等しく、広告宣伝を打つ予算もなかった。雑誌記者の反応も鈍かったという。

そこで、スタッフは店舗の魅力を高めることに力を注いだ。店装の魅力、コーヒーのおいしさ、従業員のカジュアルでフレンドリーな雰囲気を積極的におし出していこうというものだ。そんな今までの日本の喫茶店になかったスタイルが大きな支持を集め、1号店はあっという間に人気店となった。

ちなみに最初のオーダーの「ダブルトールラテ」だったというのは有名な話だ。

カップのサイズとドリンクの名前

その後のスタバの人気は説明するまでもないのだが、日本初進出の際にはスタバ独特の“異国の文化”に戸惑う人も多かったようだ。

まず、カップのサイズだ。大・中・小ではなく、グランデ・トール・ショートとなっている。当時の日本人にしてみれば、「それって何? わけがわからないよ」というわけだ。さらに、ドリンクの名前を見ただけでは、どんなものなのか想像ができにくい。そのため、当初はオーダーにすごく時間がかかっていたのだそうだ。なるほど。今や、多くの人がごくごく普通に頼んでいるスタバのメニューが定着するまでにも、長い時間と、多くの人の努力があったのだろう。

うちの近所のスタバは偉大な存在だ。こんなカジュアルな雰囲気でゆっくりくつろげる。原稿も書ける(汚部屋で書くより3割増しではかどる)。そんなライフスタイルを生み出したスタバに敬意を表しながら来店したいと思う。

 (文:元城健)

 

日本スターバックス物語 はじめて明かされる個性派集団の挑戦

著者:梅本龍夫
出版社:早川書房
「一緒に日本での事業展開を考えませんか」――1992年末、スターバックスCEOのハワード・シュルツに送られた一通の“ラブレター”。送り主は、アフタヌーンティーやアニエスベーなど数々のトレンドを仕掛けてきたサザビー(現サザビーリーグ)の創業者である鈴木陸三と兄の角田雄二だった。当時はまだ北米でしか展開せず、「日本進出なんて無理」と業界のプロたちに否定されていたスターバックス。その店舗から鈴木らが感じとった「成功のにおい」とは? 日米のカリスマ経営者たちが組んだ最強タッグの知られざる舞台裏を、日本でのスターバックス立ち上げプロジェクトを担った著者が綴る。

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