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なぜ日本は巨大仏だらけなのか

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誰しも馴染みのある大仏といえば、奈良の大仏(約15m)や鎌倉の大仏(約13m)だが、それだけで大仏を語ってはいけない。日本各地に500体も存在していると言われる大仏、そのトップクラスのデカさから比べれば、これらの大仏は〝初級編〟なのだ。

ウルトラマンやゴジラを超える巨大仏

大仏ハンター・クロスケによる『巨大仏巡礼』は、400体を超える全国の巨大仏を巡礼・撮影してきた中から65体を厳選して収録した写真集だ。景観を堂々と壊すかのような巨大な仏像たちを激写し、時には背後にまわり、時には内部に潜入する。仏像だから当然なのだが、表情一つ変えない巨大仏たちを一方的に愛でるかのように舐めまわす。

「大仏」には定義がある。「身長4.82m以上、座った状態(坐像)だと半分の2.41m以上」が大仏と呼ばれ、これは「尺貫法による『一丈六尺』で、お釈迦様の身長と言われており、〝お釈迦様より大きい仏様〟」を意味している……というのはひとまず能書き。唐突にそびえ立つ巨大仏に向かう眼差しがついつい比較してしまうのは、ウルトラマン(40m)であり、ゴジラ(50m)だろう。

「デカいものを作ってみたかった」程度の動機

日本最大の牛久大仏(120m)を初めて観に行った人は、遠くからその存在を見つけた瞬間、思わず笑みがこぼれるだろう。田畑の間を行く道すがら、向こうのほうに、明らかに異様な大きさの〝誰か〟が佇んでいる。車が動いているのか、あちらが動いているのか分からなくなる。近付くにつれ、右手を軽く挙げている〝誰か〟の輪郭が見えてくる。あたかも、「やぁ」と声をかけてくるかのよう。

なぜ、こんなにデカいものを作る必要があったのかを問うてはいけない。だって、大仏によっては「ただただ、デカいものを作ってみたかった」程度の動機も少なくないから。作り主の自己顕示欲でしかない大仏もあれば、デカい大仏を作れば観光客が来てくれるんじゃないかという動機で建て、当初はうまくいったものの今ではほぼ廃墟と化し、倒壊の危険性が叫ばれている大仏もある。

仏は「浴びる」ものなのだ

実は私もこの写真集に収録されている巨大仏の3分の1ほどは訪問している巨大仏ハンターの端くれなのだが、巨大仏に通底するのは、これだけ豪快に作っておきながら醸し出されてしまうインディーズ感だと思っている。50mを超えるような巨大仏の中には歴史も伝統も無いものもある。勢い任せに作ってみたぜ、という気負いが、時間が経過するにつれ、すっかり風景から取り残され、寂しく佇む巨大仏は多い。

著者は本書に収録された、仏好きTBSアナウンサー小林悠との対談のなかで、「仏を浴びる」という形容をしている。そう、巨大仏はとりわけ浴びるものだ。そのスケール感を体に振りかけるように味わうのだ。本書のカバーは牛久大仏を下から見上げた構図になっているが、そう、こうして近付き、ただただ圧倒されてみるのだ。

粗雑な造形であっても、ルーツが曖昧でも構わない

本書に掲載されている巨大仏から個人的な好みを引っ張り出すと、市街地の中を異様な大きさ(100m)で闊歩している(ように見える)仙台大観音、6年かけて個人で18mの大仏を作った名古屋の布袋大仏、埼玉の奥地・名栗にある三体の巨大仏が並ぶ鳥居観音、新潟市の繁華街に挟まれている巨大な弘法大師像・新潟大弘法などなど、日本各地には個性の強すぎる大仏が点在している。

元も子もない言い方だが、大仏に格調を求めてはいけない。大仏は浴びるもの、圧倒されるものだ。粗雑な造形であっても、ルーツが曖昧でも、うまいこと維持できずに薄汚れていても、とにかく目の前に立って「何じゃこりゃ」と思ってみるべき。知らぬ間に大仏の魅力に取り憑かれてしまうはず。

(文:武田砂鉄)

巨大仏巡礼

著者:クロスケ
出版社:扶桑社
現代建築の英知をもって建立された「巨大仏像」の正しい“巡礼”ガイド。田園地帯や山岳地域に突然現れ、我々を魅了するどころか、大いに困惑させる“建築物”巨大仏像。全国を巡り撮影をしてきた著者がその魅力と“正しい巡礼の仕方”をガイドする。

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