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江戸時代の成りあがり列伝。遊郭育ちのベストセラー請負人

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レンタルビデオ店「TSUTAYA」の社名は、創業者の祖父が「蔦屋(ツタヤ)」という屋号で商売をしていたことに由来するという。血縁関係は不明だが、江戸時代に「蔦屋重三郎」という人物がいた。反骨の人だった。

吉原遊郭の本屋さん

葛飾北斎、喜多川歌麿、東洲斎写楽。江戸中期を代表する浮世絵師だ。滝沢馬琴、山東京伝、式亭三馬、十返舎一九。おなじく江戸中期から後期を代表する戯作者だ。

蔦屋重三郎(つたや・じゅうざぶろう)は、先に挙げたすべての絵師や作家たちと浅からぬ関わりをもつ。なぜなら「蔦重」は江戸期に活躍した編集者であり、書店や出版社の経営者であるからだ。

重三郎は、1750年(寛延三年)に吉原で生まれた。遊郭地帯として有名な土地だ。23歳のときに、吉原の敷地内で本屋をはじめる。『吉原細見(よしわらさいけん)』という、当時の風俗情報ガイドブックを仕入れて販売していた。

蔦重が経営していた「耕書堂」は、はじめ小売業者にすぎなかった。ところが、創業の2年後には、版元として『吉原細見』の新刊を発売する。経営破たんした老舗出版社の原稿や所属作家を、破格の条件で、丸ごと譲り受けることによって実現したものだ。

蔦屋耕書堂の原動力

「吉原細見」は、ローリスク・ハイリターン商材だった。いわば吉原の広報誌であり、多くの遊郭から潤沢な制作費が提供されていた。つまり、版元の負担は少なくて済むので、売れば売るほど儲かった。

当時、複数の版元から異なる内容の「吉原細見」が出回っていたが、吉原に生まれて育った重三郎のコネクションや情報収集力によって制作された「耕書堂」版は、きわだって品質が高かったという。地方からやってきた観光客のおみやげとしても人気があったらしい。

吉原細見が生み出す安定的な収益は、その後、歴史的名作を世に送り出すための原資として役立った。吉原の小売業者にすぎなかった蔦屋重三郎は、江戸の一等地である日本橋に店を構えるまでになる。

江戸の出版事情がおもしろい

蔦屋』(谷津矢車/著)という時代小説は、江戸中期における出版事情を知りたい人にうってつけの1冊だ。蔦重をはじめ、有名な浮世絵師や戯作者たちの人物造型に親しみやすいアレンジを加えていながらも、史実から逸脱しすぎない仕上がりになっている。江戸時代トリビアも豊富だ。

当コラムでは、参考文献として『蔦屋重三郎―江戸芸術の演出者』(松木寛/著)と『別冊太陽 蔦屋重三郎の仕事』(平凡社/刊)も参照している。小説と合わせて読むことで、いっそう理解を深めることができた。

ところで、当時の娯楽本の作者たちは、その多くが武士階級であったのをご存じだろうか。なかには藩の重職を務める者もいた。黄表紙という娯楽本ジャンルで超売れっ子だった恋川春町朋誠堂喜三二は、それぞれが小島藩と秋田藩の江戸留守居役だった。

体制批判本がベストセラーに

江戸留守居役というのは、幕府との交渉窓口だ。役目柄、政治情勢や内部事情に通じていた。かれらほど、的確に政策批判をできる立場の者は他にいないだろう。

時は天明・寛政年間であり、松平定信が老中を務めていた。しかし「白河の清きに魚も住みかねて もとの濁りの田沼恋ひしき」という狂歌で皮肉られたように、定信がおこなった緊縮財政や風紀取締りが多くの人たちの不興を買っていた。

武家の戯作者・恋川春町は、蔦屋耕書堂から出版した黄表紙『鸚鵡返文武二道』のなかで寛政の改革を痛烈に皮肉ってみせた。この本は、当時の人口がおよそ100万人の江戸において1万5千部以上売れたという(現代ならば150万部相当といえなくもない)。だが、これが悲劇に呼び水となってしまう。

松平定信、激おこぷんぷん丸になる

偽名(ペンネーム)を使っていたにもかかわらず、激怒した定信から直接名指しで呼び出しを受けたのだ。恋川春町こと小島藩士・倉橋格は呼び出しに応じなかったものの、同年に病死している。(自害したという説も……)

このあとも、蔦重は懲りずにアブナイ本を出版しつづける。蔦重につきあって定信批判本を書いた黄表紙の作者たちは、ことごとくひどい目にあっている。もちろん重三郎自身も処罰されており、財産の半分を没収されてしまった。

その後、読者にウケがいい体制諷刺本を封じられているなかで、それまでヒット作がなかった浮世絵師・喜多川歌麿を起用したことによって、空前の美人画ブームが訪れる。世界的評価が高いウタマロの才能を開花させたのは蔦重であるとっても過言ではない。なにが幸いするのかわからないものだ。

したたかな者だけが偉業をなしとげられる

色あざやかな浮世絵や美人画をプロデュースして、出版したものはことごとく大ヒットした。蔦重には華々しいイメージがある。そのうえ、処罰も覚悟のうえで時の権力者をおちょくってやろうという反骨精神の持ち主だから、さぞや綱渡りのような人生だったろうと思いきや、経営者としては意外なくらい堅実だった。

蔦屋耕書堂の原点である『吉原細見』が高利益商品であったのは先に述べたとおり。権力者をあざ笑うような過激な出版物を発行しながら、じつは、往来物(子ども向け教科書)や稽古本(浄瑠璃の教則本)や書物(漢籍や医学書)など、景気や流行にかかわりなく売れつづける定番商品も取り扱っていた。蔦重が捨て身の経営をしたことは一度もない。

吉原生まれの吉原育ち、江戸の出版文化を大きく発展させた異色の出版プロデューサー蔦屋重三郎は、破天荒でありながら有能な経営者だった。野心を抱えながらもバランス感覚にすぐれた生き方は、これから新しいものを世に問いたいと考えている人の参考になるだろう。

(文:忌川タツヤ)

蔦屋

著者:谷津矢車(著)
出版社:学研パブリッシング
【日経新聞で紹介、人気急上昇中】今年最大の問題作と好評価! 江戸・吉原に生まれ、黄表紙や浮世絵などの版元として次々とヒットを飛ばした蔦屋重三郎。喜多川歌麿、東洲斎写楽、十返舎一九らを売り出し、アイディアと人脈で江戸の出版界に旋風を巻き起こした異色のプロデューサーの生きざまを描く!

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