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官能小説はひたすら時代のエロスを吸い上げてきた

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官能小説と縁遠い人にとっては、「限られた人に向けて、同じような表現・ストーリー展開が繰り返されてきた」というイメージに違いないが、大きな間違い。活字エロスは、いつの時代も、その時代ならではのエキスを吸い上げてきた。

闇市に復活し始めたガリ版刷りのエロ小説

永田守弘『日本の官能小説』(朝日新書)が記したのは、サブタイトルに「性表現はどう深化したか」とあるように、「戦後まもなくからの世相を背景にしながら、あるときは時流に沿って、また揺り動かされながら、ときには時流と関わりない外見を装って、絶えることなく生命力を表現してきた官能小説の流れ」だ。激動の戦後日本をしぶとく生き抜いてきた官能小説が、ひとつのカテゴリとして認知されるようになったのは1950年代半ばのこと。

戦後しばらくは闇市が物流の肝となっていたが、闇市ではガリ版刷りのエロ小説がやり取りされていた。SM愛好家に人気となった『奇譚クラブ』の発行も1946年と、実は終戦からそう年月が離れていない。その5年後に月刊誌となるまで、猥褻図書として発禁処分を受けつつも、なんとか雑誌として継続させていった。戦後すぐから「エロ」は復活を遂げていたのだ。

官能小説と「第一次ベビーブーム」

戦後初めての官能小説とされるのが、純文学雑誌「群像」に掲載された田村泰次郎の「肉體の門」。終戦後まもなく、東京の有楽町あたりを縄張りにしていた娼婦たちの姿を描いた。1948年には、かの『四畳半襖の下張』が摘発される。一方で、この頃評判を高めていたのが『主婦生活』という雑誌。夫婦の性生活についてその具体例を記した雑誌は発売すぐに7万部を売り上げるヒットとなり、戦渦の暮らしから性生活を取り戻す一助となった。毎年250万人を超える子供が生まれた「第一次ベビーブーム」はちょうどこの時期にあたる。

政治的には1951年、サンフランシスコ平和条約の締結をもって、アメリカ連合国軍による日本占領が終わる。この頃から「正月などには女性の日本髪も目立ちはじめて、往年の日本のムードが感じられる」ようになったという。「もはや戦後ではない」と経済白書に記されたのが1956年、憧れの生活として「団地族」が生まれたが、たちまち団地妻ブームが……というわけではなく、「団地妻や高層アパートに住む人妻たちが官能作品によく登場するようになるのは、ずっと後年」だった。

失神派・失神作家と呼ばれた川上宗薫

1960年に入ると学生運動が激化し、「自由な気分が世間に広まって、セックスにも反映したせいか、家庭外での情事が増えていった」。官能小説の名手として真っ先に名の挙がることの多いのが、川上宗薫。彼は5回も芥川賞の候補になるほどの純文学の書き手だったが、中間小説誌にポルノ小説を書くことでブレイク、「性技を駆使して女性を悶えさせ、失神させる情景を描いたことから」、「失神派とか失神作家とかの異名」をつけられた。

川上だけではなく、団鬼六、千草忠夫といったSM小説の書き手も増えてくる。女性の一人称で展開し、擬態語・擬音語を巧妙に使う宇能鴻一郎も人気を博した。こうして多くの官能小説が世に出されるようになると、〝肉棒〟ひとつとっても、その表現にバリエーションが生まれてくる。性にまつわる描写が、その独創性を競うように広がってくる。

「活字×エロ」から戦後日本社会全体を見渡す

70年代後半には女性官能小説作家・丸茂ジュンが登場、「未婚・25歳」の書き手に、官能小説界は〝興奮〟を隠せなかった。時代の潮流に沿うように、不倫、援助交際などを題材に染み込ませたかと思えば、その後では時代官能小説も流行り出すから何とも柔軟な世界だ。

インターネットでいくらでもその手の画像や動画が閲覧できるようになった今、否応無しに活字のエロスは危機に立たされている。官能小説は、メジャーなエロといかに距離をとりながらオリジナルのエロを高められるか、に存在意義を見出してきた。このしぶとさはまだまだ通用するのか。新たな表現や設定を模索してきた「活字×エロ」、その秘史には戦後日本社会がまるごと詰まっている。

(文:武田砂鉄)

日本の官能小説

著者:永田守弘
出版社:朝日新聞出版
日本の官能小説に焦点を当て、戦後の表現のなかで官能・エロスがどう描かれてきたかを歴史的・具体的に見ていく。エロスをめぐる官憲とのせめぎ合い、そのなかで時代風潮を背景にエロス表現がいかに深化していったかなど「性」から見た戦後史!

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