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宇宙遊泳中に飲料水バッグが水漏れしたらどうなるか

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宇宙飛行士は打ち上げ前の数日間、隔離生活に入る。家族と一家団欒している場合ではない。もしも家族から何がしかの感染症をもらい、そのまま宇宙に行けば、船員全員にうつってしまいかねない。私たちが「ったく、いつまで鼻水が出るんだよ」と苛立っている鼻水は、重力のない宇宙では垂れてこないから詰まったままだ。これではいつまでも風邪は快方には向かわないし、作業効率は格段に落ちる。

宇宙で風邪を引き、鼻づまり薬のCMに出た宇宙飛行士

実体験を重ねてきた宇宙飛行士ならではエピソードをふんだんに盛り込んだクリス・ハドフィールド『宇宙飛行士が教える地球の歩き方』は、更なる「鼻づまり」エピソードを教えてくれる。1967年のアポロ7号では、船長のウォーリー・シラーが風邪を引き、クルーの3人にうつしてしまう。着陸時に「圧力が高まり、鼓膜が破裂する恐れがあった」にもかかわらず、ヘルメットをつけるのを拒んだ。

「飛行機の中でよくやるように、鼻をつまんで耳抜きをし、圧力を均等化」したかったが、ヘルメットをつけたままでは無理だった。ヘルメットの着用をめぐって、クルーと管制センターは大げんかになったという。3人とも2度と宇宙に行くことはなかったが、シラーはこの経験を商売道具にして、鼻づまり薬のCMに出演したというから頼もしい。

「死のシュミレーション」を考え尽くす

本書の著者はカナダ生まれの宇宙飛行士。150日近い宇宙飛行経験を持つが、かつてカナダ人は宇宙飛行士になることすらできなかった。「NASAはアメリカ国民の応募しか受けつけていなかった」からだ。そして、宇宙飛行士になろうとも実際に宇宙に行ける飛行士はほんの一握り。打ち上げ直前まで無事に発射できるか分からないし、勿論無事に帰って来られる保証もない。先述の通り、鼻づまりすら許されない場所なのだ。

著者が宇宙で学んだのは「マイナス思考」のパワーだった。とにかくあらゆる「死のシュミレーション」を徹底的に叩き込む演習を繰り返す。例えば誰かが死亡してしまった時には「遺体の腐敗にかかる時間や、ショックを受けたクルーの精神的サポート」を考え尽くさなければいけない。こういった演習は「涙と悲しみに暮れる演習なんかじゃない。現実を見つめる演習なんだ」と著者。宇宙飛行には「準備」だけではなく「準備の準備」、「準備の準備の準備」と、何層にも準備が必要となる。そんなときに「最善に期待しつつ最悪に備えよ」だけでは、「聞こえはいいけれど、誤解を招きやすい」のだ。とにかくマイナス思考が求められる。

「視界良好から視力ゼロへと落ちてしまった」

演習につぐ演習を経て、初めての宇宙遊泳を行なったのが2001年のこと。「クリスマス・イヴの子どもみたい」に興奮した著者は、夜中に何度も目を覚ました。幾度と安全確認をしていよいよ船外活動へ。著者の感想はただ一言。「ワオゥ」。船外活動は、時速28000キロのなか、様々な工程を長時間にわたってこなさなければいけない。

その間の食事は、宇宙服についている飲料水バッグ。「ストローを噛んで一方の端にある小さな弁を開け、水を吸い出す」もの。しかし著者の飲料水バッグが水漏れしてしまう。「目の前をただよう小さな水滴」は、宇宙空間では「大粒の砂を目玉にぶっかけられた」かのよう。「ほんの数分で、僕の目は視界良好から視力ゼロへと落ちてしまった。しかも、宇宙で。ドリルを持ったまま」……。

そう簡単に「宇宙飛行士になりたい!」とは言えなくなる

本書には、宇宙飛行士が体験する、ちょっとした、だけども命を左右しかねない出来事がいくつも記されている。宇宙事業は大きな意味での成功か失敗かでしか語られないが、その中では、とっても細かい成功と失敗、そしてどこまでも反復される演習の存在がある。美談だけでは見えてこない、宇宙飛行士の姿がある。これを読めば、そう簡単に「宇宙飛行士になりたい!」とは言えなくなる。でもそこには、これまた分かりやすい美談だけでは見えてこない心象や風景が活写されている。

(文:武田砂鉄)

 

宇宙飛行士が教える地球の歩き方

著者:クリス・ハドフィールド
出版社:早川書房
カナダ人は宇宙飛行士になれない。かつてはそれが常識だった。でも、“まんがいち”道が開けたときのために準備を始めた9歳のクリス少年は、やがて夢を現実のものにする。ただ、天性の才能や身体能力があれば宇宙で仕事できるってものじゃない。宇宙に行って学んだことは、地球で生きていくうえで最も大切なことでもあった。予期せぬ事態が次々と発生するなか、唯一頼りになるものとは? 濃密な時間をともに過ごす仲間と、鉄壁のチームワークを築くには? 死と隣り合わせのミッションで、恐怖に打ち克つために必要なものは? 目標を達成することよりもはるかに大切なこととは? ニューヨーク・タイムズのベストセラーリスト入りした話題のノンフィクション。

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