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「ねずみ色のゲーム機」の思い出。私たちはピコピコ少年だった

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「春はあけぼの。やうやう白くなりゆく山際……。夏は夜。月の頃はさらなり……」と、清少納言は自分がこよなく愛したものを『枕草子』に書きのこしている。

ならば、私も言わせてもらおう。ファミコンは『ファイナルファンタジーIII』がいちばん好きだ。ゲームボーイならば『Sa・Ga2 秘宝伝説』がサイコーだと思う。PCエンジンでは『桃太郎伝説II』に没頭した。セガサターンだったら『サクラ大戦』が1粒で2度おいしい。バトルで燃えて、戦うヒロインにも萌えられるからだ。どのゲームも好きすぎて愛しすぎて、最低3回はクリアしたと思う。

何もかも、みな懐かしい。私は、ピコピコ少年だった。

ゲーム大好き少年の自伝的マンガ

ピコピコ少年』(太田出版)は、押切蓮介の自伝マンガだ。押切さんは、90年代のゲームセンターやテレビゲームを題材にした漫画『ハイスコアガール』の作者としてよく知られている。

本書は、押切蓮介こと「神崎良太」少年が、ゲームウォッチにはじまり、任天堂ファミリーコンピューターやPCエンジンに出会い、近所の駄菓子屋やゲームセンターで『ストリートファイターII』などのアーケードゲームに熱中していた少年時代を描いたものだ。

作者は1979年生まれ。私は1980年生まれなので、まるで自分のことのように読んだ。ほぼ同年代である私も、小学生の高学年から中学生にかけてストIIや餓狼伝説やサムライスピリッツに夢中だったから、おどろくほど私の青春時代の記憶とシンクロする。

プレステVSセガサターン。あなたはどちらを選んだ?

1994年を生きる少年少女たちは、二者択一の選択を迫られていた。プレイステーションを買うべきか? セガサターンを買うべきか?

高校1年生だった私も、大いに頭を悩ませた。たとえお年玉や貯金があったとしても、最新のゲーム機を2台とも買いそろえるなんてことは、大多数の家庭では「分不相応」「罰当たり」な行為と見なされていた。たとえるなら、3人家族なのに業務用冷蔵庫を2台買いそろえるようなものだ。

結論から言うと、『ピコピコ少年』の神崎良太少年は、プレステではなくセガサターンを選んだ。じつは当時の私も、おなじ道を行くことに決めたのだった。

当時(1994年)の私は、SONYという「新興ゲームメーカー」を信用していなかった。なぜなら、先に発売していたパナソニック(松下電器産業)の新ゲーム機である『3DO REAL』の尻すぼみっぷりを知っていたからだ。

天才ゲームクリエイター飯野賢治が世に問うた傑作ゲーム『Dの食卓』は、はじめ3DO REALの独占タイトルだった。近所にあった松下のショールームで試遊して面白そうだとは感じたものの、なにせゲーム機本体が5万円以上だったので手が出せなかった。ソフトも少なかったし。

私が愛してやまなかったPCエンジンの製造元であるNECも、スーパーファミコンやゲームボーイの隆盛によって撤退戦を余儀なくされていた。家庭用ゲーム機というものは、任天堂やSEGAのようなゲームメーカー以外が手を出しても、結局は尻すぼみになる。私は子供心に「餅は餅屋」だと感じていた。

セガサターンのスタードダッシュと終焉

発売してもすぐには買わず、ゲーム雑誌で情報収集をおこなったのち、1年ほどたってからセガサターンを買った。やはりメガドライブやアーケード機で実績が十分あるSEGAの新ハードを選んだほうが無難であろうという判断だった。

私がはじめて買ったセガサターンのゲームソフトは『シムシティ2000』だった。徹夜してやりまくった。95年の年末商戦には、アトラスの『真・女神転生デビルサマナー』が投入された。10年後にようやくPSPで発売されたという、サターン自慢の独占タイトルだった。もちろん完成度は高く、そのグラフィック・エフェクト・サウンド・ストーリーは、世界中でセガサターンユーザーしか味わえない最先端の体験をもたらしてくれた。プレステを選んだ友人たちを尻目に、私は勝ち誇っていた。1995年、我ら「サターン陣営」は圧倒的だった。

FF7、ドリームキャスト、そして伝説へ……

一方、プレステのローンチタイトルは『リッジレーサー』頼みだった。翌95年に『鉄拳』ですこし盛り返したものの、ほとんどがスポーツ、テーブルゲームやパチンコシミュレーターばかりだった。これらのジャンルは、中古ゲーム屋でワゴンセールの常連だ。しかしながら96年には『バイオハザード』をはじめ、のちに大ヒットシリーズへと成長する『女神異聞録ペルソナ』がプレイステーション独占タイトルとして発売される。この年から両ハードの魅力と商品訴求力が拮抗しはじめる。

だが、私たちのセガサターンも負けてはいない。96年といえば『野々村病院の人々』などのいわゆるPC美少女ゲームの独占的な移植もあり、順調に快進撃を続けていた。96年9月に『サクラ大戦』が独占タイトルとして発売されたときは、サターンを選んで良かったと心底思った。

その後の発売ラインナップを眺めても、パソコンやアーケードからの移植が多かったセガサターンは豊穣だった。「プレステに完全勝利」とはいかなくても、勢力はこのまま均衡をたもつはずと思っていた……1997年1月にプレイステーション独占で『ファイナルファンタジーVII』が発売されるまでは。

まさに「歴史が動いた」瞬間だった。

翌98年に、SEGAは新ハード『ドリームキャスト』を発売する。それを受けて、ゲームメーカーがつぎつぎと撤退していき、99年に発売されたセガサターンのゲームソフトは17タイトル。同年のプレステにおいて発売されたタイトルは600本以上だ。そこには往年のファミコン全盛期をしのぐほどの豊穣な作品群が立ち現れていた。私の手元には、新しいゲームソフトがほとんど供給されない「ねずみ色の置き物」だけが残った。

真夏の夜のサムライスピリッツ

ピコピコ少年こと良太少年は、放課後に駄菓子屋の軒先にあるアーケードゲーム機で格闘対戦ゲームを楽しんでいたという。

私が住んでいたところでは、スーパーマーケットや書店の軒先に『餓狼伝説』や『サムライスピリッツ』が遊べるゲーム機が設置されていた。そういう場所にはよく通っていたものの、本場のゲームセンターに通うほどの根性はなかった。

非日常へのあこがれを満たすためには、年に1度の「夏祭り」の夜を待たなければいけなかった。お祭りの夜ならば、夜の6時以降にも出歩く口実ができる。特別に「おこづかい」も支給されるから、屋台で買い食いするのをガマンして、夜10時すぎまで書店の軒先にある『サムライスピリッツ』をプレイしまくった。

結局ラスボス戦で敗退してしまったものの、さきほどまで死闘を演じていたという興奮がさめやらぬなか、ひとりで反省会をしながら、真夏の夜の熱気を身にまといながら帰宅したものだ。

何もかも、みな懐かしい。私たちは、ピコピコ少年だった。

(文:忌川タツヤ)

ピコピコ少年

著者:押切蓮介(著)
出版社:太田出版
あの頃ゲームがなければ、死んでいたかもしれない。今だから語れる、自伝的ゲーム青春グラフィティ!●ファミコン中毒のきっかけとなった少女との淡い出会い「初恋少年」●ユートピアだったあの駄菓子屋は今?「駄菓子屋少年」●FFV発売を待つ列の先頭での恐怖の一夜「行列少年」●俺のBrand New Heartはどこに?「センチメンタルハート少年」●雨の日に最高に贅沢にプレイする方法「秘密の城少年」......みんな実話です!!

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