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時の洗礼を受けていない回答でもおもしろいものはおもしろい

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村上さんのところ」というサイトが密かに賑わっている。作家の村上春樹が、読者から寄せられた質問や相談に公開で返事を書くという期間限定サイトだ。オープンしたのは1月15日。約2週間後の1月31日までに3万通以上の質問や相談が集まった。予想を遥かに上回る数ということで、質問や相談の受け付けはすでに終了している。サイトも3月末くらいでクローズする予定だったが、返答し切れていないということで5月上旬まで延長することになった。どの数字をとっても村上春樹の人気の高さを物語っている。

ちなみに、3月末の段階で回答数はすでに2000以上。その答えがいちいち的を射ているので読んでいてためになる。しかも簡潔でおもしろい。読んでいると、まさに “小確幸” (※村上春樹がエッセイで生み出した造語。小さいけれど、確かな幸せ) が感じられる。回答の一例を紹介しよう…

簡潔で的確なのに文学的でもある回答

心の貯水池にじゅうぶん水が貯まるのに、三年くらいはかかるということです。長編小説というのはそんなにしょっちゅう書けるものではありません。じゅうぶんな蓄積がないと、長い物語を最後まで書き切ることはできませんから。生きているうちにあといくつ長編小説が書けるかなあ……というのが僕の考えていることです。あと百五十冊くらいは書けるかなあ? まず無理ですね。(以下、省略)

村上春樹拝

「村上さんのところ」より引用

“心の貯水池” という表現が印象的だ。それでいてわかりやすい。そして、作品に頻出する “井戸” を思い出した。精神分析学 の術語 “イド” との掛詞と言われていて、心的エネルギーであるリビドー (≒ 性的欲望、性衝動、本能) の一時的な貯蔵所、つまり “貯水池” とも解釈できるからだ。

物語は集中したときにしかやってきません。だから僕は集中力をなにより大事にしています。だいたいは机の前に座って文章を書いているときに姿をあらわしてきます。森の獣と同じです。こちらがじっと腰を据え、息を凝らして見守っている必要があります。走っているときや、お風呂に入っているときに、ちょっとしたアイデアが浮かぶことはたまにありますが、アイデアと物語とはまた別のものです。

村上春樹拝

「村上さんのところ」より引用

“集中力” を “森の獣” と喩えるあたりはさすが。原稿を書いたり、資料を作ったりしたことのある人なら共感できるのではないだろうか。ふと『緑の獣』という短編小説を読んだ記憶が蘇った。作中の獣も不意に現れる。

 

小説を書くことに呻吟したという覚えがありません。いつもわりに楽しく小説を書いてきたと思います。「書かねばならない」と思ったこともありません。書きたいから書くんです。もちろんあなたの小説を書いているのはあなたですから、あなたの好きなことを好きなように書く権利があるわけですが、でも少し視点を変えて「書きたいから書くんだ」と思うようにされてはいかがでしょう? 肩の力が抜けて、意外に良い感じになるかもしれませんよ。(以下、省略)

 村上春樹拝

「村上さんのところ」より引用

今回は執筆にまつわる質問だけを紹介したが、個人的な質問、日常的な疑問、くだらない話、オシャレの相談、下世話な悩みなど、内容は多岐にわたっている。“執筆” を “仕事” に置き換えれば役に立つかもしれないし、そのまま感情移入できる話もある。いずれにしても、スイスイ読めてしまう魅力のある回答ばかりだ。

村上作品との出会いとその後

今さらながら言っておくと、私も村上春樹ファンのひとりだ。“ハルキスト”とまではいかないが、小説やエッセイもいくつか読んでいる。最初に挑んだのは思春期の頃。当時、流行していた『ノルウェイの森』や『ダンス・ダンス・ダンス』を読んでみたが、自分の中でどう処理して良いのかわかりかねた。

成人した後に短篇から再チャレンジ。その後、『ねじまき鳥クロニクル』などを読破した。『風の歌を聴け』、『1973年のピンボール』、『羊をめぐる冒険』のいわゆる “青春3部作” を立て続けに読み、その続編である『ダンス・ダンス・ダンス』にも改めて挑戦し、何とか自分なりの解釈ができたように思う。

いつからか、「村上春樹が好き」という人に会うと、何がいちばんお勧めの作品なのかを聞くようになった。そんなきっかけで読んだ作品のひとつが『世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド』だ。ちなみに、自分の中での “いちばん” は今だに決めかねている(笑)。

『1Q84』は発売直後に飛びついた。また、(知人がヘアメイクで参加したということもあって) 映画『ノルウェイの森』も公開後すぐに見た。ちなみに現在、私のiPhoneの着信音はビートルズの『ノルウェイの森 (Norwegian Wood)』だ。

また、『キャッチャー・イン・ザ・ライ』を始めとする村上春樹による翻訳書も読んだ。『夢を見るために毎朝僕は目覚めるのです 〜村上春樹インタビュー集1997-2011〜』などのインタビューや、『走ることについて語るときに僕の語ること』といったエッセイにも目を通した。たまにジョギングしているのは、この影響が少なくない

村上春樹の作品の魅力について語りたい気持ちもあるが、(長くなりそうだし、) 作家論や作品論をまとめた書籍が多数あるので、そちらに譲ろう。サッと調べただけでも、『村上春樹・塔と海の彼方に』、『村上春樹はくせになる』、『村上春樹と物語の条件  「ノルウェイの森」から「ねじまき鳥クロニクル」へ 』、『村上春樹の読みかた』 、『村上春樹論  「海辺のカフカ」を精読する』などが挙がってくる。この機に何冊か読んでみたい。

世界中の作家に影響を与えている村上春樹

村上さんのところ」を読んでいると、自分が触れてきた作品から受ける印象とは異なる側面も垣間見られる。村上春樹がどんな人物なのかをもっと知りたくなってきた。そこで読んでみたのが『日本人が知らない村上春樹』。これは、『ニューズウィーク日本版』2013年5月21日号に掲載された特集から一部の記事を抜粋して電子書籍としてまとめたものだ。

日本人が知らない村上春樹』は、海外での評価に特化している点が新鮮だ。誰かひとりの論評ではなく、多くの人の意見を知ることができ、多角的に村上春樹を見ることができる。アメリカでは、村上春樹の作品を評価しつつも、部分的に否定している人が少なくないようだ。

「彼は新しいものを、この世界に存在しないものをつくり出している。それは芸術的な試みだと思う。優れた文章家かと言われれば、そうではない」

(ナサニエル・リッチ、アメリカの作家)

 

「私が彼の作品で好きなのは、人間関係を愉快に、鋭く、悲しく描いている点だ。(中略)つじつまが合わないときもある。しかし村上の失敗作は、他の作家のきちんとした作品より面白い。(中略)彼は並外れた想像力と知性の持ち主だ。そういう書き手は極端に走るという過ちを犯す」

(チャールズ・バクスター、アメリカ人作家)

〈『日本人が知らない村上春樹』より引用〉

また、スイス人小説家のエピソードも印象的だった。作品を書き始めたきっかけが村上春樹というのだ。

「村上の日本語 (あるいは文体) の最大の特徴は、その読みやすさにある。厳密に言えば、彼は作品ごとに、いや、同じ作品の中でも絶妙に文体を変えている。言葉の実験を重ねている。しかし表現のスタイルが変化しても、分かりやすい、親しみやすい、という読み手側の感触は変わらない。そして、その読みやすさ故に、読者に大きな誤解を与える。こんな文体だったら自分でも書けるんじゃないか、と思ってしまう。何を隠そう、この僕もその罠にはまった張本人だ。僕が小説家の道を歩みだしたきっかけは、村上の作品を貪り読んだことだった」

(デビット・ゾペティ、日本在住のスイス人小説家)

(『日本人が知らない村上春樹』より引用)

フランスでも村上春樹の人気は絶大で、現代文学にも影響を与えてきた。ジャンフィリップ・トゥーサンやクリスティーヌ・モンタルベッティ、エリック・ファイなどは自ら村上春樹から影響を受けたことを主張。夢と現実の間を行き来する “語り” の手法を使う作家は少なくなく、その文体は “ムラカミアン (村上的)” と呼ばれている。

そうした欧米での人気に加え、韓国や中国でもかなりの人気。日本のイメージアップに寄与してきたかは定かではないが、国籍や民族を越えて読者を感動させているのは間違いない。『日本人が知らない村上春樹』には、ほかにも興味深い事実が紹介されている。

「ノーベル文学賞」に毎年のようにノミネートされるのも納得。支持だけでなく批判も含めて世界中の人に影響を与え、グローバルな規模で愛されている。何とか時間を作って、まだ読んだことのない村上春樹の小説に挑戦したくなってきた。その一方で、そんな世界的な作家による人生への回答をこの先ずっと読んでいたい気もする。5月と言わず、「村上さんのところ」の期間をさらに延長してくれないだろうか(笑)。

ほかの作家はわからないが、村上春樹に限って言えば周辺情報を知っていた方が作品を楽しめると思う。小説、エッセイ、読者との交流を行き来することで、何気ない回答にも見えない意味を読み取ることができ、広さや深さがいっそう出てくるからだ。ただしそれでも、完璧な回答などといったものは存在しない。完璧な絶望が存在しないようにね。

 (文:平 格彦)

日本人が知らない村上春樹(ニューズウィーク日本版eー新書No.8)

著者:ニューズウィーク日本版編集部(著)
出版社:CCCメディアハウス
日本人作家ハルキ・ムラカミに、なぜ世界は熱狂するのか? アメリカ、フランス、韓国、中国を始めとする世界各国の作家、ジャーナリストが、謎に包まれた村上春樹の人物像と文学の真価を探る。
※この電子書籍は、「ニューズウィーク日本版2013年5月21日号」に掲載された特集から記事を抜粋して編集したものです。

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