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1番を目指さない生きかた

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子どもにどこまでも上を目指させる親がいる。
例えば99点だったら「次は100点を取りなさい」、成績が2番だったら「次は1番を目指して頑張りなさい」と、さらなる高みを指示するのだ。すると子どもはどうなるだろう。1番にならないと見捨てられるのではという恐怖から、人の顔色をうかがう自信のない人間になってしまうという。

日本の子どもは自信がない

「子どもが自信を失う言葉66」(曽田照子・著/学研プラス・刊)によると、日本人の子どもは他国の子どもに比べて自己肯定感が低いという。確かに内閣府の「我が国と諸外国の若者の意識に関する調査」によると、「自分には長所がある」と答えた子どもは日本が最下位、対して「やる気が出ない」「ゆううつだ」という答えは1番高かった。

私が問題に感じたのは「社会を変えられるかもしれない」「親から愛されている」という質問でも日本の子どもは最下位だったことだ。自分には何もできないと矮小に感じているのだろう。親から愛されない、承認されないことが、相当な子どもの心の重みになっているのではないだろうか。

1番を狙わない理由

実は私の娘も、あと少し頑張れば学年のトップになれるのではと思われるような成績を中高の5年間ずっと取り続けている。けれど私は1番を目指しなさいとは言ったことはない。私立なのでトップになればもしかしたら特待生となり授業料が免除になるのかもしれないけれどそれは目指していない。なぜなら娘には学校の勉強よりも他にやりたいことがあるからだ。

娘は絵を描くことが好きで、家でも大きな油絵を描いたり漫画を描いたりしている。そして映画が好きでしょっちゅう映画を観ている。もし学校の成績で1番を取るために今よりも多くの時間を学習に割いたら、娘の大切な趣味の時間や心の余裕が失われてしまう。それは、とてももったいないことだ。

それぞれの1番がある

世の中、学校の成績が一番大切なことではない。勉強が得意な子も不得意な子もいるのだから、同じ物差しで競わせることに意味はないと私は思っている。「自分なりの1番」が心の中にあれば、子どもはそれで自信を持って生きていける。例えば娘の場合、このままいくと高校を卒業するまでに500本以上の映画を観ることになるだろう。そんなに観た子は学校の中で私以外にいないだろう、というのが娘のひそやかな誇りであり、私はそれでいいと思っている。

娘は数多くの映画からたくさんのことを学んでいるはずで、それはこれからの人生できっと活きることだろう。
それぞれの子どもにはそれぞれの1番があるはずだ。サッカーが得意な子、強いカブトムシを育てるのがうまい子、美味しいお菓子を焼ける子など、みんな何かの1番なのだ。
けれど成績のことばかりに目が行き、キイキイ言ってしまう親は少なくない。

子どもの今を認めよう

本書によると、子どもにさらなる高みを目指させる親は、それによって自分自身の評価をも高まることを目的としているという。確かに自分の子どもが学年でトップだったら「○○ちゃんは頭が良くて羨ましいわあ」と周囲のママから言われて鼻が高いかもしれない。けれどそんなつまらない見栄のために、子どもを無駄に頑張らせすぎるのは、あまりにも愚かだ。

私は娘には「いい調子だね」と良く言っている。トップに近い成績をずっとキープしているのだから、本当に大したものだからだ。そして「無理して学年トップを取らなくてもいいよ。やりたいことをやるための余裕を残しておいていいからね」とも言っている。娘の人生の目的は学年トップの成績を取ることではないからだ。

長い目で子どもを見たほうがいい。今の子どもの成績は、子どもなりに頑張った結果なのだ。もし成績が芳しくなかったのなら、勉強以外に何か夢中になっているのかもしれないけれど、そこにこそオリジナルの個性が隠れている気がする。その子特有の才能を見いだすことこそが、親の役目なのではないだろうか。

(文・内藤みか)

ママ、言わないで!子どもが自信を失う言葉66

著者:曽田照子
出版社:学研プラス
強い子、賢い子に成長してもらいたいけれど、思い通りに行かなくて、つい、わが子にぶつけてしまうキツイ一言…。へっちゃらなフリをしているようで、子どもはしっかりヘコんでいます。子育て奮闘中のママさんコピーライターが、「いい方法」を教えますよ!

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