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貧乏人の味方“鼠小僧”は江戸庶民が作ったファンタジーだった

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鼠小僧次郎吉という名前、一度は聞いたことがあるのではないか。
江戸時代に実在した大泥棒だ。

一般的には義賊として知られている。武家屋敷だけを狙い、音もなく屋根から侵入し金銭だけを盗み、決して人に手をかけない。そして、盗んだ金銭を貧乏人の家に投げ込むという、まさに庶民のヒーローだ。

鼠小僧は“義賊”ではなかった

しかし、実際の鼠小僧というのはそんな義賊ではなかったようだ。
実録 江戸の悪党』(山下昌也・著/学研プラス・刊)によると、鼠小僧次郎吉は生まれつきの博打好きで、20代後半で親に勘当される。その後泥棒を生業とし、10年以上に渡り98ヶ所の屋敷に忍び込み、盗んだ金は3000万両以上とも1万両とも言われている。

それらの金は、すべて博打と酒、女に使っていたようだ。庶民にお金を配ったというのは、当時の江戸庶民が思い描いた願望が広まった結果の伝説らしい。

10年以上、捕まることなく武家屋敷から金銭を盗んでいたということで、江戸では有名な存在だった。そのため、このような噂が広まっていったのだろう。

公私混同しない徹底ぶりは「プロの泥棒」

実際の鼠小僧は、小心者の職人風の男だったという。なかなか捕まらなかったのはその用心深さから。決して大金を盗まなかったのも、彼なりの捕まらないための作戦だった。

必要以上の大金を盗まなかったのは、捕まったときの用心で、金がなくなるまで盗みを働かなかった。不自然な大金が見つかると証拠になるからである。当然、深い付き合いもできるだけ避けて、プライバシーを守った。親しい仲間ができ、棲家が知られ、家に遊びにくるようになると棲家を変えた。女房だって四人いて、その家を転々としていたのだ。それも金で買った飲屋の女である。名前も治三郎、次兵衛などと使い分けていた。

(『実録 江戸の悪党』より引用)

こういっては変だが、鼠小僧はプロの泥棒としてかなりストイックだったようだ。
プライベートと仕事を完全に切り分け、徹底して自分の素性を隠す。大金は盗まず、お金がなくなったら次の盗みを行うことで、足がつくのを回避。鼠小僧が泥棒のプロだったのは本当だったようだ。

江戸時代に望まれた「悪のヒーロー」

鼠小僧は、天保三年(1833)8月19日に処刑される。36歳のときのことだ。鼠小僧は丸顔で小太り、薄化粧を施し立派な身なりで、市中引き回しの上に処刑された。とても落ち着いた様子だったという。

なお、貧乏人に施しはしていなかったが、芝居の世界には思い入れがあったようだ。

親父の仕事場でもあり、自分が子供時代を過ごした芝居の世界には別の思い入れがあり、困った者には施していたらしい。そのため、次郎吉が処刑された日は芝居が中止されたという。

(『実録 江戸の悪党』より引用)

鼠小僧が“義賊”だったというのは江戸庶民が作り上げたファンタジーだったが、鼠小僧という大泥棒はリアルな存在だった。言わば「悪のヒーロー」だったのだろう。そういう存在が望まれるのは、いつの時代も一緒なのかもしれない。

(文:三浦一紀)

実録 江戸の悪党

著者:山下昌也
出版社:学研プラス
世界に冠たる百万都市・江戸は高度で華やかな文化に満ち溢れていたが、悪知恵を働かせるしたたかな「悪党」たちが存在した。「悪」という切り口で見れば、義の人といわれる人物の悪の側面や悪党といわれる人物の意外な事績など江戸の真相が見えてくる!

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