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偉人の条件。37才で世を去った「宮沢賢治」と「ゴッホ」の共通点

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宮沢賢治とゴッホが亡くなったのは、37歳のときです。
わたしも今年で37歳になりましたが、無名の凡人にすぎません。

賢治とゴッホは、約13500日(37年×365日)で偉大な業績を残しました。
おなじ時間を与えられていたはずなのに、わたしには偉業らしきものがありません。凡人確定です。

才能? 運命? 努力?
「偉人」と「凡人」の決定的な違いとは、いったい何でしょうか?

偉人とは何か?

えらい人。すごい人。やばい人。
その生涯を記録した出版物──「伝記」によって、偉人の業績をくわしく知ることができます。

10分で読める伝記 5年生』(伝記編集委員会・編/学研プラス・刊)という本は、子どもに知ってほしい偉人たちのエピソードをまとめたものです。

宮沢賢治とゴッホは、いまでは「天才芸術家」として知られていますが……。
ふたりとも、生きていたときには名声や賞賛をほとんど得られませんでした。

宮沢賢治とゴッホ。
不遇の人生、37歳で亡くなったこと、そのほかにも共通点があります。
ふたりの偉人に共通するのは、短い人生だったにもかかわらず「名声を得るのにふさわしい準備を済ませていた」ということです。

宮沢賢治(詩人・童話作家)

1896年(明治29年)に、岩手県で生まれる。
質屋・古着商の父親は、町会議員を4期務めたことがある地方の名士。母方の実家は、地元花巻では有名な資産家でした。

盛岡高等農林学校(現在の岩手大学農学部)に一番の成績で入学しました。
卒業しても、土や肥料の研究を続けます。
そして、このころから、あふれるように童話を書き始めます。

賢治は、その後、農業学校の先生になりました。
学校の先生をしながらも、童話や詩をせっせと書き続けました。

(『10分で読める伝記 5年生』から引用)

賢治はいわゆる「裕福な家の坊ちゃん」ですが、教師を辞めたあとには、農民と共に重労働をしたり、農業用石灰のセールスなどで苦労しています。恵まれた境遇を恥じていたらしく、あえて苦境へと向かっていったような印象を受けます。

『宮沢賢治』(山内修・編著/河出書房新社・刊)は、丸ごと1冊をつかった作家年譜です。37年分のくわしい履歴が収録されています。参考にしました。
学生時代には、校内報やアマチュア文芸誌に「短歌」を発表していたようです。

賢治は、25歳のときに家出上京をしています。弟の宮沢清六さんの証言によれば、そのときの賢治は「1ヶ月だけで原稿用紙三千枚の童話を書いた」と述べていたそうです。
賢治の活動年表をながめると、20代後半から37歳まで、とにかく毎日のように詩・心象スケッチ・童話を書きまくっています。欠番もありますが、賢治が割り当てていた「作品番号」は1000を超えています。

28歳のときには、心象スケッチ『春と修羅』(320ページ・初版1000部)、『注文の多い料理店』(194ページ・初版1000部)の単行本を刊行しています。ご存じのとおり、2冊ともすばらしい作品集です。
しかし、『注文の多い料理店』は売れゆきが悪かったようで、お父さんから借金をして200部を自主買取をしています。

つまり、生前に刊行することができた2冊に収録されていたほかにも、すぐれた作品を書き残していたわけです。おなじ作品に何度も手直しを加えていたことも有名な話です。それこそが、宮沢賢治が生前に済ませていた「準備」でした。

急性肺炎によって体調が悪化。1933年9月21日に永眠。享年37。

ファン・ゴッホ(画家)

正式な氏名は、フィンセント・ウィレム・ファン・ゴッホ。
1853年にオランダで生まれる。日本でいうならば黒船来航の年です。

学校になじめないゴッホは、中学を2年でやめてしまいましたが、伯父のすすめで、絵を売る会社で働くことになりました。
絵を売る仕事をしているうちに、「自分でも絵をかきたい」と思うようになり、暇さえあれば絵をかくようになりました。
(中略)
「自分が本当に好きなのは、絵をかくことだ。見たものや、感じたこと、それを絵で表現し、みんなに伝えたい。それこそが、ぼくの仕事…。」
ゴッホ、27才のときでした。

(『10分で読める伝記 5年生』から引用)

ゴッホは優秀なセールスマンでしたが、大失恋がきっかけで仕事がおろそかになります。ついにセールス職をクビになったあと、ゴッホは、ロンドン、イングランド、ベルギー、オランダのアムステルダムなどで職を転々とします。

ここからは、『ファン・ゴッホ その生涯と作品』(マイケル・ハワード・著/ガイアブックス・刊)を参考にして、ゴッホの後半生をたどってきます。

恋も仕事もうまくいかなかったゴッホは、27才のときに画家になることを決意します。
オランダ各地の美しい風景を描きながら、ゴッホは独学で腕をみがきました。32才のとき、オランダのアントウェルペン王立芸術学院に入学して、アカデミックな絵画技法を学びます。

アカデミーで学んだあと、ゴッホはパリへ移住します。わたしたちが知っているゴッホの名画は、この時代以降に描かれたものが多いです。もっとも有名な『ひまわり』は、パリから南フランス地方(アルル)にアトリエを移したあと描かれたものです。

うつ症状や断続的な発作に苦しみながらも、晩年のゴッホは絵を描き続けていました。
亡くなるまでの2ヶ月のあいだに、80枚以上の絵を仕上げたそうです。ゴッホが生前に済ませていた「準備」でした。

1890年7月27日に拳銃自殺を図り、29日深夜に息を引き取ります。享年37。

偉業の達成には、寿命は関係ない

「宮沢賢治」と「フィンセント・ファン・ゴッホ」。
生命が尽き果てるまえに、まるで死後の名声を見通すかのごとく、すべての準備を終わらせていました。

今回ご紹介した『10分で読める伝記 5年生』という本には、樋口一葉の伝記も収録されています。24歳という若さで亡くなった女性作家です。五千円紙幣の肖像としても有名です。
樋口一葉も、宮沢賢治やゴッホと同じように「与えられた時間のなかで成すべきことを成した」からこそ、若くして名を残すことができました。

偉人とは何か?
精いっぱいに生きぬいた人のことです。

(文:忌川タツヤ)

10分で読める伝記 5年生

著者:伝記編集委員会(編)
出版社:学研プラス
織田信長、アンネ・フランクなど、5年生のために書かれた12人の伝記短編集。親として子どもにも読ませたい人物のほか、子どもが身近に感じ尊敬を集めている「現代の偉人」12人を集めた。その人を代表するエピソード中心で、読みやすく朝読にも最適。

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