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池波正太郎が読みたい、ああ、読みたいと思う夏の夜

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『鬼平犯科帳』や『剣客商売』の作品で知られる作家・池波正太郎が亡くなって、もう27年もの月日が経つ。
それなのに、その人気は衰えることを知らない。
優れた時代小説家であり、大変な美食家としても知られ、独特な視点で映画を観る評論家としても名高い方だ。
私も池波正太郎の作品を学生時代から読んできたが、今回、短編コレクションとしてまとめられた『池波正太郎短編コレクション1夜狐』(学研プラス・刊)に収められたいくつかの作品に触れ、池波正太郎がやはりただものではなかったことを改めて感じているところだ。

大金持ちのマダムのおねだり

池波正太郎には熱狂的なファンが多い。
今から30年ほど前のこと・・・。
シンガポールの知り合いの家に遊びに行くことになった私は、緊張しながらその家のマダムに電話をした。
超がつくようなお金持ちの奥様で、欲しいものはなんでも持っている。
門には門番がいて、門から玄関までは車で行くようになっている。
旦那様は中国人の企業家で、いわゆる華僑と呼ばれる方だ。
奥様は中国で育った日本人だそうだ。
「あのぅ、お土産をお持ちしたいのですが、何がよろしいですか?」
おずおずと聞いてはみたが、「何もいらないわ」という答えが返ってくるだろうと思っていた。
それなのに彼女ははっきりと「あらそうなの?頼みたいものがあるの。おねだりしてもよろしいかしら?」と、優雅に答えるではないか。
「はい、私にできることなら・・・。何でしょう?」と、尋ねると、ひとこと「オニヘイ」との答え・・・。
そう、ヒスイもダイヤもルビーも持っている(であろう)彼女のおねだりは、池波正太郎の『鬼平犯科帳』だったのだ。
読みながら眠りにつくのが至福のひとときだという。

何が人々をひきつけるのか

では一体、彼の作品の何がそうも人々をひきつけるのだろうか?
長いこと私は考えていたが、混乱して答えが出ないままだった。
「キャラクターの作り方がはっきりしているから」と、思ったこともあるし、「文章力が卓越している」からだと感じてもいた。
けれども、考えれば考えるほどわからなくなってきて、「ま、いいか。とにかく面白いのだから、それで十分」と、一人で納得し、読んできた。
けれども、『池波正太郎短編コレクション1夜狐』の中におさめられた「おみよは見た」に、ひとつの答えが隠されているような気がして、思わず唾をごくりと飲んでしまった。
タイムマシンに乗らなければいけるはずのない『鬼平犯科帳』の世界へ、いきなり連れていかれたかのようなショックを受けたからだ。

「おみよは見た」は、殺し屋を家業とする小平次が直感に従って殺人を犯すシーンから始まる。
殺されたのは、美しき囲い者・お八重だ。
殺しのプロの小平次にとって、簡単な仕事であるはずだった。
ところが・・・。
と、ここで、また唾をごくり。
時代を超えて私たちの心をわしづかみにする力が満ち溢れている。
まるで自分が殺人現場に居合わせて、陰惨な、それでいながら、どこかなまめかしい現場を目撃してしまったかのようだ。

食べ物の描写もすごみがある

前から感じていたのだが、池波正太郎の作品は、物語の展開が読めそうで読めず、推理小説さながらの謎に満ちている。
加えて合間合間にはさまれる食べ物のシーンも秀逸だ。
可愛い娘・おみよに殺人の現場を目撃され、うろたえながら、浴びるように冷酒を飲むシーン。
おみよが働く蕎麦屋で供される天ぷらそば、おみよの仲良しのおしんが好物とするそばがき、等々。
殺人のシーンが惨酷なだけに、合間に現れる食事に、胸が痛くなるのだ。
見たこともない世界でありながら、自分がそこにいるような気持になるのは、そうしたふとした日常があまりにもリアリティに満ちて、描かれているためだろう。
よくできた舞台を観ているときに感じる「作り物の本物」がそこにはある。
これは興奮しないではいられない。

古い言葉が頭にするする入っていく

時代小説だから、当然、使われている言葉も古く、私たちにはなじみのないものが多い。
登場人物も浪人や侍などで、その地位によってふるまいも異なる。
ラブシーンも浮世絵を見ているようなつややかさだ。
しかし、それら古い言葉やふるまいがするすると頭に入ってきて、情景が目に浮かぶのが不思議だ。
池波マジックと呼びたくなる。
それはきっと、ひとつひとつの文章が短く、的確で、日本刀ですっぱり切るような潔さを感じさせるからだと、私は思う。
海外で暮らす日本人マダムが、池波正太郎を渇望する理由もこのあたりにあるのかもしれない。
暑い夏、改めて池波ワールドにひたってみるのも悪くない。
心をつかまれ、眠れなくなってしまうかもしれないが・・・。

 

(文・三浦暁子)

池波正太郎短編コレクション1夜狐 暗黒時代小説集

著者:池波正太郎
出版社:学研プラス
やはり池波正太郎が面白い!究極のエンターテイメント短編を網羅したシリーズ。〈収録作品〉おみよは見た 夜狐 あほうがらす 雨の杖 つき坂 おっ母、すまねえ 白痴 梅雨の湯豆腐 顔 激情 さいころ蟲 

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