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異世界と現実とをつなぐ、川という存在。

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伊勢神宮の外宮から内宮に向かう際、五十鈴川に架けられた長い宇治橋を渡る。
この橋は、俗世と聖界をつなぐ橋だと言われている。
神様のいる世界に足を踏み入れる前に橋を渡ることに、一種の儀式めいたものを感じてしまう。なぜか人は、川に神秘的なものを感じてしまいがちだ。

川という境界線

そういえば、死者は三途の川を渡る。
あの世も、やはり川の向こう側にその入り口があると考えられているのだ。
一体川とはどういう存在なのだろう、水が流れて海に注がれる、ただそれだけのものであるとはとても思えない。なにか特別な位置づけがなされているような気がしてならない。

私は「罪隠しの川」という短編小説を書いたことがある。
恋人と同棲している男は、そのことを伏せて別の女ともいい仲になる。新しい女の部屋に行く時、男は電車で川を越える。恋人のところに戻る時も川を越える。川が男の罪を浄化してくれるような気がして、男はいつも何もなかったかのような顔で恋人の元に帰ることができていた。川の向こうは彼にとって別世界、いつもと違う自分が普段とは違う女と恋をしているファンタジックなエリアなのだ。

川は、現実と異世界の境界線なのかもしれない。

川の上での出会い

伊勢神宮の五十鈴川を、俗世と聖域の間に張られている結界のように私は感じた。
そしてその上に架けられている宇治橋は、境界線上の、曖昧な、混沌とした場なのではないだろうか。
東京から遠く離れた三重県のその橋の上で、私の息子は誰かに声をかけられた。振り向くと大学の先輩達だった。彼らは卒業旅行で伊勢神宮に来たそうだ。こんなところでお前に会うなんて、と彼らは爆笑していた。息子はぽかんとしつつ、不思議なご縁を感じるなあとぼやいた。残念なことに彼らは全員男だったが、これが女性だったら運命を感じる瞬間だったのかもしれない。

フランスで150万部のベストセラーとなり、映画化もされた小説『愛人 ラマン』(マルグリット・デュラス・著/河出書房新社・刊)は、15歳のフランス人少女が富豪の中国人男性の愛人になるという物語だ。
少女は愛人となる男性とメコン河の渡し船の上で出逢う。男は「この渡し船でお目にかかれるなんてまったくふしぎだ」というような言葉を繰り返す。川の上という境界線上の空間で、男は聖でも俗でもない、とても神秘的な存在と遭遇したと感じたのだ。彼はおそらく、その瞬間少女にひとめ惚れをし、運命を感じたのだろう。

川という象徴

すっかりぽうっとなった男とは違い、少女は男との出会いを「わたしの人生におけるあの事件の重大さ」そして「あの河の横断の重大さ」と振り返る。彼女はその日、男とメコン河を渡った。汚れを知らない少女が、男から金品を得る愛人へと変貌した瞬間である。
ここでも、川が異世界への入口の役割を果たしている。

『愛人 ラマン』は彼女の自伝的小説で、書かれたのは70歳の時である。親兄弟が亡くなり、ようやく真実を書くことができるようになったのがこの年齢だったのだ。彼女は文中で母親を回想しようとするが、記憶がおぼろげでなかなか思い出せず「こんなに長く、こんなに引き延ばして、母は流れゆくエクリチュールとなってしまった」と感じる。

大いなる流れ

エクリチュールとは、フランス語で「書かれたもの」という意味である。流れゆくエクリチュールとは彼女が書いてきた原稿たちという意味でもあるだろうけれど、大いなる川の流れのようなものの中に、母の存在が吸い込まれていくという意味にも感じられる。それは、いわゆる集合的無意識のような物ではないだろうか。死後の魂を「空に行った」などと表現することが多い中、デュラスは「流れゆくエクリチュールになった」と表現したのだろう。

私たち日本人も流れゆく大いなる川という感覚を、たやすく共感できるはずである。そう、美空ひばりさんが歌った名曲「川の流れのように」があるからだ。彼女は川の流れに意識や時の流れも含めて歌ったからこそ、あれほどのヒットとなったのだ。川とは私たちの人生に寄り添い、時には異世界に誘う不思議な存在なのである。

(文・内藤みか)

愛人 ラマン

著者:マルグリット・デュラス
出版社:河出書房新社
18歳でわたしは年老いた―。あの青年と出会ったのは、靄にけむる暑い光のなか、メコン河の渡し船のうえだった。すべてが、死ぬほどの欲情と悦楽の物語が、そのときからはじまった…。仏領インドシナを舞台に、15歳のときの、金持の中国人青年との最初の性愛経験を語った自伝的作品。センセーションをまきおこし、フランスで150万部のベストセラー。J・J・アノー監督による映画化。

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