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規模は東京駅に匹敵?開業31年で消滅した幻の駅があった!

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昨年12月10日に開業100周年を迎えた東京駅。当日は、記念Suicaを買い求める行列ができ、騒動になったことも記憶に新しい。さて、かつて東京には東京駅に肩を並べるほどの、荘厳な赤レンガ駅舎があったことをご存じだろうか。『幻の東京赤煉瓦駅』に、その駅舎のことが詳しくまとめられている。

駅そのものが廃止された万世橋駅

東京駅が開業したのは大正3年(1914)だが、それに先立ち、明治45年(1912)に開業したのが万世橋駅だ。現在の秋葉原駅から徒歩で5分ほど、神田川に架かる万世橋のたもとに駅舎があった。万世橋駅は中央線の発着駅として完成したため、ターミナルに相応しく、規模も非常に大きかった。待合室も一等、二等、三等に分けられていた。エスカレーターの設置計画もあったといい、実現していれば東京で初めてのバリアフリー駅になっていたかもしれないのだという。

東京駅と同じ建築家が関わる

万世橋駅の設計には、建築界の巨匠・辰野金吾が関わった。なお、辰野は東京駅の設計者でもあり、赤レンガを基調にしたデザインに東京駅との類似点も多く見られる。宮殿のようなたたずまいの駅舎を見た人々の驚きは、いかほどのものだったろうか。ちなみに、東京駅と同じ大正3年に改築された新橋駅は、万世橋駅舎を参考に設計された赤レンガ駅舎であった。つまり、大正時代の東京には3棟もの赤レンガ駅舎が建っていたのだ。

 万世橋周辺は東京屈指の繁華街だった

さて、東京の繁華街といえば池袋や渋谷が思い浮かぶ。ところが、明治から大正時代はほとんど利用者がおらず、駅舎も簡素な造りだった。一方、万世橋駅があった神田須田町は、当時は都内屈指の繁華街だったという。それを裏付けるデータがある。大正元年に集計した東京市内の駅の1日あたりの利用者数では、上野、新橋、新宿に次ぐ、4位の乗降客数を誇っていたのである。

繁栄から衰退、廃止まで

ところが、大正12年(1923)、関東大震災で駅舎が焼失。仮駅舎として営業を再開した。そして、神田駅に中央線が乗り入れると、中途半端な位置にあった万世橋駅は次第に利用されなくなり、昭和18年(1943)には駅そのものが廃止されてしまったのだ。開業からわずか31年という短さだ。地方の赤字ローカル線ならいざ知らず、都内屈指の利用者があった駅が姿を消してしまった例は他にないだろう。

 遺構が再生された万世橋駅

万世橋駅は駅舎こそ残っていないものの、昨年には残された遺構を使って「マーチエキュート神田万世橋」という商業施設がオープン。飲食店から雑貨店までテナントが入り、活性化に成功している。また、中央線を間近に見ることができるホームや階段、高架橋などが健在で見学も可能だ。ホーム跡からは疾走する中央線の列車を間近に見ることができる。もし万世橋駅が存続していたら、我々が目にする東京の風景は大きく変わっていたに違いない。

(文:元城健)

 

幻の東京赤煉瓦駅

著者:中西隆紀
出版社:平凡社
かつて新橋駅・東京駅・万世橋駅の三駅をむすんでいた長大な赤煉瓦のアーチが今も残る。それは日本の首都としての美観と威信の象徴でもあった。人々は駅とともに、語り合い、飲み明かし、鉄路の音に耳を傾けるのであった。膨張する首都・東京の駅と鉄道は、大震災や戦争に耐え、いかなる変遷を辿ったか。

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