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涙なしには歌えない、元横綱・朝青龍の二つの歌

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5月14日から両国国技館で大相撲5月場所が始まりますね。
取り組みの最中に左肩をいため、出場を危ぶまれる稀勢の里が、果たして本当に出場できるのか?
もし、出場したとしても、優勝争いに加わるまでに怪我が回復しているのか?
話題に事欠かない場所となりそうです。
それにしても、先場所は劇的な場所でしたね。
稀勢の里の怪我、その後の、痛さに顔をしかめながらの強硬出場、そして、見事な 逆転優勝・・・。
夕飯を作りながらテレビを見ていたのですが、結局、ガスを消して見入ってしまいました。

19年ぶりの日本人横綱

ここのところ、横綱の地位はモンゴル出身の力士で占められていました。
最後に日本人横綱が誕生したのは、1998年の若乃花だったはず・・・。
以来、苦節19年、ようやく日本人横綱が誕生し、そして、優勝を果たしたのです。
日本中が熱狂するのも、当然でしょう。
これまで、モンゴル出身の横綱が次々と誕生しました。
朝青龍、白鵬、日馬富士、鶴竜・・・
モンゴル相撲の伝統があるため基礎ができているのか、ハングリーなのか、とにかくモンゴル出身の力士は強い。
そして、日本語も上手で、それぞれに個性があります。

今も残念に思う突然の引退

とりわけ、モンゴル人として初めて横綱になった朝青龍は、印象的でした。
やんちゃで派手なパフォーマンスでも有名で、周囲に愛されると同時に、ぶつかりました。個性的すぎたのかもしれません。
怪我で療養中に、故郷へ帰国し、サッカーをしていたことが発覚し、非難されたりもしました。
さらに、暴行事件を起こし、連日、マスコミに追い掛け回され、大騒ぎの末に、突如、引退してしまいました。
自分から引退宣言したと報道されましたが、涙をぬぐいながらの会見を思い出すと、本当はもっと相撲を取っていたように思えてなりません。残念だったことでしょう。
その思いは『朝青龍 よく似た顔の異邦人』(木村理子・著/朝日新聞出版・刊)を読み、ますます強くなりました。
著者の木村理子さんは、モンゴル研究で知られる方で、朝青龍の家族とも親しく、横綱を身近で見つめてきました。
わかりにくいとされる朝青龍のふるまいも、文化の違いや言葉の壁などから解説されると、なるほど、そういうことだったのかと納得できます。
彼女は朝青龍を横綱としてではなく、繊細なモンゴル人として受けとめ、理解しているようです。

モンゴル人と感動のカラオケ体験をしました

だいぶ前のことですが、モンゴルから勉強に来ている学生さんたちと宴会をしたことがあります。
夫が働いている大学には、モンゴルからの留学生がたくさんいたのです。
彼らとカラオケをしたのは今でも本当に楽しい思い出ですが、なかでも、恰幅のいい男の子がアカペラで「私はモンゴル人」という歌を歌ってくれたときは、感動のあまり涙がでました。
カラオケルームをふるわすような声量で、心にしみる歌声だったのです。
モンゴルの人たちは歌を通して自分の思いを表現するのかもしれません。

朝青龍の歌があると知っていましたか?

朝青龍にも、彼をたたえた歌があります。
それも、2003年にモンゴル人として初めて横綱に昇進した時と、2010年の引退報道のすぐ後に作られたものの、2曲あるそうです。
歌詞を比べると、朝青龍がモンゴルと日本の間でもがいていたに違いないと思い、胸が苦しくなります。
まず、最初の歌「朝の青き龍 朝青龍」の一節を紹介してみましょう。作曲はD.ミャクマーで、翻訳は木村理子さんです。

朝の青き龍 朝青龍
天高く 青く広々とした空に
モンゴルの青き龍 朝青龍
太陽の国(日本)で有名に
太陽の光いっぱいのモンゴルで祝福され

(『朝青龍 よく似た顔の異邦人』より抜粋)

 

日本での活躍をたたえる明るさに満ちた曲だと思いませんか?

もう一つの歌の存在

朝青龍にはもうひとつ別の歌があります。
引退会見の直後に作られた「朝青龍」という曲ですが、そのくだりの歌詞には、1曲目の歌にはなかった厳しさがあります。

みんながついている、モンゴル人がついている
嫉妬やいじめの鋭い刃に対し
トップは、いかなることがあっても屈しなかった

外国人という差別の目に対し
いかなるときも、うつむかなかった
我々国民の期待を、いかなるときも、裏切らなかった
外国のしきたりに対し、いかなるときも、モンゴル人であるということを忘れなかった

(『朝青龍 よく似た顔の異邦人』より抜粋)

歌詞の作者として、個人の名前は挙げられておらず、「国民の言葉」となっています。
引退会見後、モンゴル人がインターネットに書き込んだコメントを集めて作られたからです。

二つの文化の間で

現在、朝青龍は、故郷へ帰り、実業家として活躍しているそうです。
日本との縁が切れてしまったわけではなく、昨年は、旭天鵬の断髪式に参加するため来日し、まげに鋏を入れる役目を果たしたそうです。
日本の国技である相撲界で、モンゴル人初の横綱となったのですから、いろいろ困難なこともあったでしょう。
けれども、二つの文化の間でもがいたからこそ、朝青龍は成長し、その魅力を増したのではないでしょうか。
それに、日本は国籍に関係なく、彼を横綱として受け入れたし、人気者でもありました。
いつの日か、モンゴル人としての彼を讃え、日本人の魂をもった彼への愛を歌う、そんな朝青龍の3つめの歌ができたらいいのにと、思います。甘っちょろいと言われようとも、そう願わないではいられないのです。

(文・三浦暁子)

朝青龍よく似た顔の異邦人

著者:木村理子
出版社:朝日新聞出版
引退会見で涙を拭ったのは、母から渡されたモンゴルのお守りだった……。言葉や文化の壁に阻まれ、誤解が誤解を生んだ元横綱の胸中を、10月3日の引退試合を機に明かす。著者は東大教養学部で教鞭をとるモンゴル語・文化の専門家。

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