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女はなぜ男を待ち続けられるのか

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「待つ女」がでてくる物語は少なくない。
彼女らは、ただひたすら何年も、愛する男の帰りを待ち続ける。周囲が「こんなに待っても来ないんだから、そいつはもう帰ってこないよ。あきらめて他の男と幸せにおなりなさい」と言っても、かたくなに待つのをやめない。
なぜ女はこんなにも男を待ち続けられるのだろうか。

困窮しても待つ

ユゴーの小説『レ・ミゼラブル』のファンティーヌは、待つ女である。

ひと夏の恋で子どもができた彼女は、シングルマザーとなりつつも、男がまた戻ってくるのを待ち続けた。自分は字が書けないので、代書屋に頼んで何度も男に手紙を送ったけれど、返事は一度も来なかった。世間はシングルマザーに冷たい。子どもを預けないとなかなか雇ってもらえないので、ついには彼女は娘のコゼットを宿屋の夫妻に預け、工場で働くこととなる。

そこからはもう男のことすら考える余裕がないくらいに貧困との戦いが始まる。子どもの養育費のために自分の歯や髪を売り、それでも払いきれずに、とうとう娼婦になってしまう。
ミュージカル版ではファンティーヌは待ち続けてきた我が身を呪うような歌『夢やぶれて』を歌い上げる。お金すら送ってこない男をなぜ待っていたのか。小説では世間に「ほらやっぱり捨てられた」と囁かれたことに対する意地もあるように描かれている。「自分の選択は間違っていない」と正当化したかったのかもしれない。

よそ見せずに待つ

プッチーニのオペラで有名な『蝶々夫人』も待つ女である。

【マンガでオペラ3】蝶々夫人』(中野京子・小林可多入・著/ヤマハミュージックメディア・刊)によると、1890年代の長崎、15歳でアメリカ海軍士官と結婚した日本人の芸者・蝶々は、アメリカに戻った夫を3年間、ひたすら海を眺めながら、今日は彼の船が着くだろうかと待ち続ける。男が帰らないのでお金もどんどんなくなり、生活は危機に瀕している。

ファンティーヌと共通しているのは、ふたりとも、彼との間に子どもが生まれているというところだ。そして子どもを育てるために困窮し、不安の中で、狂気じみていると思えるほどに、去っていった男を信じ続ける。一銭も寄越さないようなそんな男を想っても生活の足しにもなりゃしないのに、他の男に助けを求めようともしない。なぜなのか。それは「この愛こそが真実」という強い思い込みのせいなのかもしれない。
それが困窮生活の中で、ただひとつの心の支えになっているのだろう。

約束を信じて待つ

私が知っているなかで最も待つ女は、寺山修司の小説『かもめ』の少女である。

水夫に恋をした15歳の少女は、彼が「君の誕生日には戻ってくるから一緒にお祝いしようね」と言うのでそれを信じて待ち続けてしまう。しかし誕生日に彼は現れない。普通ならそこであきらめるものだけれど、彼女は待つ。5年も10年も15年も……ついには老婆になるまで! 私はこの話を舞台版(Project Nyx公演)で観たのだけれど、失われた時のあまりの大きさにしばらく呆然としてしまったほどだ。

蝶々も、夫が「必ず戻って来るよ」というので、それを信じて待っていた。自分は愛する人には決して嘘はつかない。だから自分の最愛な人がまさか嘘をつくわけがない。おそらくこうした思い込みが、女を頑張らせてしまうのだ。残念ながら愛した男はその場をごまかすために、口先だけの言葉を吐いていた。その時は本気だったかもしれない。けれど、次第に面倒になるなどして、約束を投げ出してしまったのだろう。ひどい話だ。でも、今でもあちこちで起きている話でもあると思う。

待つ女たちが物語の中でハッピーエンドを迎えることはほとんどない気がする。
戻ってこない不誠実な男を延々と待ち続ける彼女らの心の中には何があるのだろうか。オペラ『蝶々夫人』の中の『ある晴れた日に』というアリアでは、蝶々夫人が、彼がもし戻ってもすぐに姿を見せずかくれんぼしちゃうんだから、などと妄想している。そう、待っている間、女の頭を占めるのは楽しい妄想なのだ。待つという膨大な時間の間、女性たちは現実を忘れ、幸せな夢を見ることができているのかもしれない。

(文・内藤みか)

【マンガでオペラ3】蝶々夫人

著者:中野京子(著) 小林可多入(著)
出版社:ヤマハミュージックメディア
明治時代の長崎。士族の娘、蝶々さんは、周囲の反対を押し切って駐在アメリカ軍人と結婚する。愛を信じ、すべてを捧げると誓った蝶々さん。しかし夫にとって、それは束の間の愛に過ぎず……。日本の実話をもとに書かれたという世界的オペラを完全マンガ化。中野京子による解説つき。

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