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もしも牧場のある家に住めたら馬といっしょに暮らしてみたい

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最近、気に入ってるCMはアマゾンプライムの馬バージョンだ。
大型の馬たちのように高い障害物を越えられないポニーが、買ってもらった輪を颯爽と飛び越える姿はとてもかわいい。

馬と一緒に暮らすこと、それはわが娘の最大の夢だ。「広い庭があればミニチュア・ホースなら飼えるかも?」とは言っているが、やはり本音は大きな馬と共に生きること。そのためには、まず、馬を飼える環境に自分の身を置かなくてはならない。

アメリカのシンデレラ・ホース

有料動画配信サイトで、アメリカのドキュメンタリー映画『ハリーとスノーマン』を観た。オランダで幼い頃から馬と共に育ったハリー・デレヤーは戦後、妻と共にアメリカに移住し、無一文からのスタートをする。牧場経営と乗馬教師として家族を支えていたある日、馬を買いにオークションへ出かけたものの途中で車のタイヤがパンクしてしまい、着いたときにはオークションは終わりかけていた。

オークションで売れなかった馬たちがトラックに乗せられドッグフードにさせられるべく運ばれていく。ハリーはすでにトラックに乗せられていた1頭の白い農耕馬と目が合い「いい馬だ、下ろして見せてくれ」と頼み、わずか80ドルでこの馬を買い、家に連れ帰った。

スノーマンと名付けられたこの馬との出会いがハリーのサクセスストーリーのはじまりだった。ハリーはスノーマンを自ら調教し、騎手となってホース・ショーに出場し、障害飛越のチャンピオンに育てていく。高額で取引される血統のいい馬たちを次々と破り、スノーマンはより高く、より速く障害物を越え、勝利していく。

「たった80ドルの農耕馬がアメリカの障害飛越チャンピオンになった!」とマスコミも大騒ぎ。ハリーは相棒のスノーマンと共にアメリンドリームを叶えたのだ。

チャンピオンになってもスノーマンは家族の一員で、デレヤー夫妻の8人の子どもたちにとっては大きなペットだった。8人一緒にスノーマンの背に乗って遊ぶビデオ映像や、子どもたちを乗せて海を泳ぐ姿はとても微笑ましい。

馬と一緒に生きるのって、素敵だな、そう思わせてくれる作品だった。

馬をあげると言われても……

それは3年前のこと。娘が通っていた乗馬クラブのオーナーに「エピを引き取らないか?」ともちかけられた。エピはアイルランド産のコネマラ種で、やさしく利口な馬だった。20歳になるので競技から引退させ、幸せな余生を送らせたいのだとオーナーは言った。人と馬には相性があって、娘とエピはクラブでいちばんのベストパートナーだったのだ。

娘はもちろん引き取りたいと思ったようだが、狭いアパート暮らしでは400キロの馬を飼うなんて無理なので、泣く泣く諦めた。

もしも、ずっとずっと昔の馬が生活の中にいた時代なら、エピを連れ帰って、玄関先につなげておけたかもしれない。けれども、現代では無理な話だ。

北海道、江別市にいた馬たち

馬のいた風景』(斉藤俊彦・著中西出版・刊)は、著者が生まれ育った北海道江別市で馬と共に暮らした日々を懐かしみ、半世紀ほど前までの同市を詳細に紹介した一冊だ。当時はどこの家庭でも馬やポニーを飼っていたそうだ。馬は家族の一員であり、また家族の大事な足でもあった。

戦前から三十年代まで、冬の道は深い雪に閉ざされ、馬橇なくしては人や物の往来は困難であった。

(『馬のいた風景』から引用)

斉藤氏は14歳になった年の瀬、初めて一人で馬橇(ばそり)の手綱を握ったそうだ。街に出かけた祖母を1キロ半離れたバス停まで迎えに行くという役目。

馬は通いなれた道をスタスタと歩み始める。軽やかな鈴の音が辺りのしじまに吸い込まれるように響いては消えた。(中略)タイミングをはかり、右の手綱を引く。馬は指示通りに右に曲がった。

(『馬のいた風景』から引用)

それ以前の子どもの頃から馬は生活の中に溶け込んでいたという。小学生の頃は寝藁を切って馬房に敷いたり、春になると仔馬が生まれるのを兄弟で交代に馬小屋で待ったり、年相応に馬の世話はたくさんあったそうだ。

江別競馬のはじまり

たくさんの馬がいた土地だから、そこに暮らす人々の憩いとして競馬も行われるようになった。大正5年には江別に競馬会が誕生し、その年の江別神社秋季例大祭に第一江別回競馬が開催された。

飛鳥山の馬場は周辺に水田があったため、一周が約630m。そのため競馬は周回レースだった。

第一回江別競馬は二日間で十六レースを行い、賞金総額は四百円であった。開催案内兼出走申込書によると、初日の第一レースは古馬競争、第二レースが新馬競争、第三レースが明三歳馬競争である。出走場の登録料が一円なのに対し、賞金は一着十円、二着三円、三着二円。ちなみに番外にもわずかだが賞金はあったらしい。

『馬のいた風景』から引用)

その後、江別競馬場は軍馬資源保護法が交付され、それに伴って廃止されてしまったのだそうだ。

戦火の馬たち

戦争に送り出された馬といえばイギリスの児童文学小説『戦火の馬』が有名だ。少年が手塩にかけて育てた馬が第一次世界大戦で軍馬としてフランスへ送られてしまう。しかし馬は戦火をくぐり抜け無事に少年の元へ帰ってくるという物語で、2011年にはスピルバーグ監督により映画化もされた。

ヨーロッパのみならず、日本でも大戦中にはたくさんの馬たちも戦争に駆り出され、犠牲になった。

江別の馬たちも例外ではなかった。農家の庭先では家族同様の愛馬との悲しい別れが繰返されたそうだ。

胴腹に日の丸の旗を着け、神社で武運長久の祈願を受けて、貨車に乗って旅立つ。ただ、大勢の人に見送られ、飼い主の手を離れてゆくただならぬ気配を感じとり、なかなか乗ろうとしない馬もいた。

(『馬のいた風景』から引用)

終戦の時、戦地にいた軍馬は、そこで放馬するか、あるいは現地の人に引き渡すかし、日本に連れて帰ってくることはなかった。飼い主と涙の再会という例は皆無だったようだ。

本書には、この他にも江別市の祭りと馬、馬具職人たち仕事、獣医、乗馬クラブ、そして絵馬づくりに関してなど、馬にまつわる話がたくさん盛り込まれている。

今や日本全国、お祭りでもない限り、街を歩いていて馬を見かけることはほとんどなくなった。

けれども、時空を少しさかのぼってみるだけで、そこかしこに馬の姿とにおいがあったことを、この本が教えてくれる。

(文:沼口祐子)

馬のいた風景【HOPPAライブラリー】

著者:斉藤俊彦
出版社:中西出版
馬橇、競馬、祭り……。かつて江別にあった〈馬のいた暮らし〉を、エピソードとともに振り返る。

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