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ゴキブリはお金持ちのシンボルだった!

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部屋でゴキブリを見かけて、悲鳴を上げない人はいないだろう。

とにかく怖いし、気持ち悪い。しかもすばしっこいので、駆除しようにもなかなか難しい。様々な策を試みるも、駆除できず、アイツが布団の中に入ってきたらどうしようと、眠れない夜を過ごした人もいるのではないだろうか。

私もこの文章を書いていて背筋が震えてきた。ゴキブリは害虫の王様なのである。

ゴキブリはもともと害虫ではない?

ところが、ゴキブリが害虫として認知されるようになった歴史は意外に新しい

なんと、戦後になってからのことなのだ。稲を食い荒らすイナゴや、人の血を吸う蚊などと違い、ゴキブリが害虫とされるゆえんは、その見た目がキモイということにある。見た目を忌み嫌うようになったのは、戦後の風潮なのだ。

害虫の誕生 ―虫からみた日本史―』(瀬戸口明久・著/筑摩書房・刊)には、ゴキブリの存在自体は江戸時代から知られていたとある。食器でも食物でもなんでも噛り付く習性から、“御器(ごき)かぶり”と呼んでいた。ちなみに、明治時代に発行された図鑑で“か”が抜け落ちて誤植されたことで、“ゴキブリ”の名称が一般化したという逸話もある。当時は仮に部屋にゴキブリがいても見過ごすような存在で、相手にする人も少なかったようだ。

ゴキブリは叩いても叩いてもなかなか死なないため、不屈の生命力を持っていると思われがちだ。どこでも生息できそうだと思われるが、実はそうではない。意外にも生息できる家は限られているのだ。食物が豊富で、冬でも暖かい家でないといけない。そのため、昔ながらの茅葺き屋根や木造家屋に出没することは稀なのである。戦後、家の造りが快適になったことで、ゴキブリが住み着きやすくなったというわけだ。

ゴキブリが出る家はリッチだった!

現代社会ではゴキブリは忌み嫌われる存在だ。ところが、戦前は豊かさの象徴として、ありがた~い存在だったという。本著から具体例を紹介しよう。

群馬県高崎市ではかつてゴキブリのことを“コガネムシ”と呼んでいた。野口雨情が作詞した童謡「黄金虫」に“黄金虫は金持ちだ”という一節があるが、この黄金虫とはゴキブリを意味する言葉なのだそうだ。
この歌には“金蔵建てた蔵建てた”と、リッチさを象徴するような歌詞もあるが、ゴキブリが多く住み着く家はお金が貯まるという伝承は珍しくなく、愛知県や岡山県にも伝わっているという。さらに、秋田県ではゴキブリを駆除してはいけないという言い伝えがあった地域もあるそうである。

食べ物がたくさんあって、しかも冬も暖かい家は、当時からすると豊かさのシンボルである。伝承はゴキブリ特有の性質から生まれたというわけだ。もし、戦後の高度経済成長がなく、人々の生活が貧しいままだったら、人々はゴキブリとどうかかわっていたのだろうか。殺虫剤で駆除される対象ではなく、崇拝を集めていたかもしれない。

50年後、ゴキブリの概念が変わるかも?

美人やイケメンの概念や、ファッションの流行が時代によって変化するように、害虫の概念も時代によって変わることを示唆しているといえよう。現代人はゴキブリをキモイと恐れるが、50年後にはペットとして飼育するブームが起こる可能性だってある。

私の友人の家は本やフィギュアなどのモノに溢れていて、ゴキブリがめちゃくちゃ高頻度で出現する。
好きなものに囲まれ、充実した暮らしをしている。もちろん、戦前とは比較にならないほど豊かであることは言うまでもない。希少な生き物だったゴキブリがそれだけ目につくようになったということは、現代人が豊かなライフスタイルを謳歌していることの表れといえるのかもしれない。

(文:元城健)

害虫の誕生 ―虫からみた日本史

著者:瀬戸口明久
出版社:筑摩書房
江戸時代、虫は自然発生するものだと考えられていた。そのため害虫による農業への被害はたたりとされ、それを防ぐ方法は田圃にお札を立てるという神頼みだけだった。当時はまだ、いわゆる“害虫”は存在していなかったのだ。しかし、明治、大正、昭和と近代化の過程で、“害虫”は次第に人々の手による排除の対象となっていく。日本において“害虫”がいかにして誕生したかを、科学と社会の両面から考察し、人間と自然の関係を問いなおす手がかりとなる一冊。

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