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スコセッシを魅了した遠藤周作の二つの顔

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ロサンゼルス時間の1月24日早朝、第89回アカデミー賞のノミネーションが発表された。

アカデミー賞の常連として名高いメリル・ストリープが、またまた『マダム・フローレンス! 夢見るふたり』で主演女優賞にノミネートされ、彼女自身が持つ最多ノミネート記録を更新したことで話題となっている。
メリル・ストリープは大好きな女優だし、共演のヒュー・グラントも魅力的なので、是非、観に行きたいと思っている。
が、しかし、私が真っ先にチェックしたしたのは、マーチン・スコセッシ監督の『沈黙―サイレンス―』だ。

長いこと完成を待ちわびていた作品だが、 撮影賞にノミネートされたようだ。

 小説『沈黙』に魅入られたマーティン・スコセッシ

マーティン・スコセッシ監督が遠藤周作の小説『沈黙』に魅了され、映画化したいと切望するようになったのは、28年も前のことだ。
監督は自身がカトリックの信徒であり、子供の頃は司祭になりたいと考えていたというから、『沈黙』の映画化はまさに悲願であっただろう。
しかし、撮影は難航した。途中、製作の遅れから、裁判沙汰にまでなったという。
それでも、彼はあきらめなかった。いや、あきらめようとしても、あきらめることなどできなかったのだろう。
原作を一文一文読みとき、必要な資料を集め続けたその情熱には脱帽しないではいられない。
その結果、主演のアンドリュー・ガーフィールドが「この映画のすごいところは、あらゆる人が間違っていて、あらゆる人が正しいところだ」という感想を漏らすまでになった。
監督の思いは周囲を巻き込み、伝染していったに違いない。

二つの映画

遠藤周作の『沈黙』が映画化されるのは初めてではない。

既に1971年、篠田正浩監督によって、『沈黙SIRENCE』という作品が製作された。遠藤周作も自ら脚本を担当し、大変な話題となった。
私も観たが、作品の重要な鍵を握るイタリア人司祭であるフェレイラを、な、なんと丹波哲郎が演じており、度肝を抜かれた。
主人公のロドリゴがまとう赤い着物が道化のようで、痛々しく、悲しくて悲しくてたまらなかった。どんなに頑張っても、理解されないまま孤立していくロドリゴの絶望を感じたからだ。

今回、アメリカが製作するもうひとつの「沈黙-サイレンスー」の完成したことによって、東西の両巨匠が作品が揃うことになったのは、本当に興味深い。
教会のステンドグラスは太陽の光を赤や青のまばゆい光に姿を変えて、私たちを照らす。
同じように、ひとつの『沈黙』を篠田正浩とマーティン・スコセッシがそれぞれの色に染め上げてくれるのだから、幸運だとしか言いようがない。

遠藤周作の二つの顔

私は義父が遠藤周作さんの友人だったため、何度か氏に会うことができた。
そして、その度に胸にしみる言葉をかけていただいた。
彼はぐうたらシリーズで知られる人気作家であり、狐狸庵先生というニックネームを持ち、ユーモアあふれる作品を生み出していた方だ。ふざけてばかりいるといった印象を持つ方も多いだろう。
けれども、私が会った実際の遠藤周作は、明るいほら吹きではなかった。 狸にも似ていなかった。むしろ、ポプラの樹のようにのびやかな長身をもてあますような風貌の方だ。

少し猫背の背中をまるめて、ぼそぼそと話しかける姿は、狸どころか、あしながおじさんのようで、私は会うたびににっこりした。
けれども、仲の良かった人の中には、悪ふざけばかりしていたとか、いたずら好きだったと評する方も多い。
どちらかが嘘で、どちらかが本物というわけではなく、どちらも本物だったのだろう。
おそらく、遠藤周作は二つの顔を持つ男だったのだ。

うるんだ眼をした鹿がいたら、それは遠藤周作なのかもしれない

笑って死にたい』(河出書房新書・刊)は遠藤周作が1974年から1990年まで発表したエッセイを集めたものだ。
数々の話題作を発表し、講演旅行などにもひっぱりだこの時代である。
テーマも様々で、夫婦げんかの仕方とか、いたずら心満載の贈り物の仕方など、ゲラゲラ笑ってしまうものもあれば、兄の死に接しての悲しみやホスピスの重要性を説くなど、結核に苦しんだ人だからこそ言える死にまつわる厳粛な話もある。
やはりここでも、二つの顔が見え隠れして、そのどちらに触れても、遠藤周作の生きることへの貪欲さや人生を楽しもうとする思いと、それでいながら、もうどうしようもなく暗い沼地にはまり込んだような絶望を感じて泣きたくなる。

結びのエッセイのタイトルは「来世は鹿になります」というものだ。
インドのベナレスで、遠藤周作は占師の家に出かけた。
裕福そうな占師によれば、遠藤周作の前世は「鳩」であり、来世は「鹿」だと言われたのだそうだ。
そして、最後にこう呼びかけている。

皆さん、いつか私が死に、そしてこの話を憶えていてくださった方が奈良の公園で一匹の鹿にあい、その鹿がうるむような眼であなたをじっと見たら、それは私の生まれ変わりだとおもって鹿センベイを余計にください

(『笑って死にたい』より抜粋)

私は子供の頃、奈良で鹿に追い掛け回されたことがあり、以来、餌をやるなんてとんでもないと敬遠してきた。
けれども、これからはうるんだ眼の鹿に出会ったら、心穏やかでいられなくなり、センベイを買って与えてしまいそうだ。
「先生?遠藤先生なの?そうなのね」と、話しかけながら・・・。
たとえ、鹿に追い掛け回されることになろうとも・・・。
もしかしたら、その鹿は二つの顔を持つ遠藤周作という名の天使なのかもしれないからだ。

(文・三浦暁子)

笑って死にたい

著者:遠藤周作
出版社:河出書房新社
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