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サツマイモの豆知識。いくつ知ってる?

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石焼き芋といえば冬の風物詩ですが、あれは「売り声」を楽しむものだと思っています。

移動販売の焼き芋は、気軽に買える価格ではないからです。小腹を満たすための「おやつ」にしては高すぎます。

うれしいことに、最近ではスーパーマーケットやコンビニに行けば、1本200円~300円で焼き芋が買えます。熱々で、皮ごと食べられて、甘くておいしいです。

サツマイモには2種類ある

たとえば、イオンやマックスバリュでは「安納芋」の焼き芋が買えます。ユニーグループが運営するアピタやサークルKサンクスでも「紅はるか」という品種のサツマイモを焼いて売っています。

「安納芋」と「紅はるか」。ふたつとも、びっくりするほど甘いサツマイモです。

さつまいも史話』(木村三千人・著/創風社出版・刊)によれば、おおきく分けて2種類のサツマイモが日本国内に伝来したそうです。

諸説あるのですが、この本では「サツマイモ」と「リュウキュウイモ」を区別して、その特徴や来歴が語られています。

「サツマイモ」の特徴は「甘さひかえめ」です。腐りにくく、収穫量が多いことから、主食として利用されてきました。飢饉のときの救荒作物、戦時中の代用食にあたるのが、この「サツマイモ」です。

「リュウキュウイモ」の特徴は「とても甘い」ことです。江戸時代のはじめ、日本に伝わったときからお菓子に近いような扱いをされていました。ただし、「サツマイモ」に比べて腐りやすく収穫量は少ないです。

ちなみに、伝来したときには「甘藷(かんしょ)」または「唐芋(からいも)」と呼ばれていました。

サツマイモが伝来した経緯

甘い唐芋は、琉球国王から種子島の領主に贈られました。だから「リュウキュウイモ」と呼ばれることになります。甘くて有名な「安納芋」も種子島の原産です。

主食向きの甘さひかえめな唐芋は、薩摩藩の前田利右衛門という人物が、琉球から持ち帰ったと伝えられています。「サツマイモ」の由来です。

「サツマイモ」を漢字で書くと「薩摩芋」。薩摩というのは、かつて島津氏が支配していた鹿児島地方の旧名称です。

じつは「サツマイモ」と呼ばれるようになったのは明治以降のことです。版籍奉還によって薩摩藩が解体するまでは、甘さひかえめな唐芋(後のサツマイモ)の藩外への持ち出しを禁じていたからです。

甘い唐芋(リュウキュウイモ)は長崎などを経由して全国に広まっていましたが、甘さひかえめな唐芋(サツマイモ)は薩摩藩にとって門外不出の作物でした。

シラス台地(火山地質)でも栽培できて、収穫量が多く、保存期間が長く、主食に向く「甘さひかえめな唐芋」を重要作物と位置づけていたからです。

多くの命を救ったサツマイモ

薩摩藩は秘密主義で知られていました。独占的な供給によって莫大な利益を得ていた「黒糖製造」の秘密を守るためです。

戦略作物ともいえるサツマイモを薩摩藩から持ち出した者に対して、極刑(死刑)に処したとも伝えられていますが、『さつまいも史話』の著者によれば、当時の薩摩藩にそのような法律はなかったそうです。

その証拠に、甘さひかえめな唐芋(サツマイモ)は、江戸時代に何度も薩摩藩の外部に流出しています。

もっとも有名なのは、青木昆陽です。暴れん坊将軍こと徳川吉宗に命じられて、飢饉対策として関東地方で、後にサツマイモと呼ばれる甘藷(かんしょ)を栽培しました。

江戸期の日本では、飢饉になると間引き(口減らし)がおこなわれていました。しかし、雨や肥料が乏しい状態でも収穫に至るサツマイモが登場してからは、そのような悲劇が減りました。

青木昆陽の他にも、リュウキュウイモやサツマイモを運んで、集落を飢えから救ってくれた功績者をまつりあげた「芋地蔵」や「芋菩薩」なるものが、いまでも全国各地に残っています。
知ってました?

(文:忌川タツヤ)

さつまいも史話

著者:木村三千人
出版社:創風社出版
著者が生まれ育った大三島に今も残る芋地蔵信仰。土地の人が語る「もしイモがなかったら私は生まれていなかったかも知れない」という言葉を耳にした著者は、サツマイモと自分たちとの関わりを調べる。そして、瀬戸内の農民達の思いを伝えるこの地蔵の歴史を、はるかコロンブスの時代にまで溯り検証した。芋は、どのルートを経て、この地にたどりついたか。下見吉十郎はいかにして芋を持ち帰ったか。従来の定説の誤りを正しつつ、芋地蔵のすべてを明らかにする。

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