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編集者という職業はマラソンの伴走者のようだ

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編集者という職業があるのはわかっていた。
けれども、私には無縁な存在だと考えていた。
文章を書くことを自分の仕事にすると思っていなかったからだ。
ところが、ある日、出版社の編集者から電話がかかってきた。
懸賞に応募したエッセイが運よく優秀賞に選ばれ、活字になったのを読んだからだという。

さわやかな声

「もしもし、三浦暁子さんのお宅ですか?」
電話の向こうからさわやかな女性の声が響いてきたとき、私は何かの勧誘だろうと思った。
専業主婦の私に知らない人から電話がかかることなど、滅多になかったからだ。
「はい、そうですけど・・・」
不信感一杯の返事に気を悪くすることもなく、相手は続けた。
「原稿のご依頼をしたいので、一度、会ってはいただけないでしょうか?こちらから出向きますので」
原稿?この私に?なぜ?
そう思いはしたが、気づいたときは答えていた。
「はい、私でよければ書かせていただきます」と。

私らしくない返事

それまでの私は何でも夫に聞いてから返事をする妻だった。
牛乳を取るのでも、新しいお茶碗を買うのでも、新聞の勧誘がきたときも、答えはいつも「主人に聞いてみてから」。
私の夫が特別にワンマンだったわけではないが、家庭を一つの船だとしたら、船長は夫だった。
ひとつの船には一人の船頭、これが一番混乱がない。
そもそも何でも夫に決めてもらうのは楽だ。
まして、原稿を書くなどという重要な案件は、もちろん、ボスに意見を聞くべきだと、わかっていた。
それなのに・・・。
なぜかこの時は、迷うことなく、決めてしまった。
もしダメだと言われたら、いったい、私はどうするつもりだったのだろう。

編集者は私の先生

そのとき、私は何もわかっていなかった。
本を出すということがどういうことか。どれだけ周囲の人の力を必要とするか。
出版界にいたら、当然、わかるような専門用語も知らなかった。
「明日、ゲラが出ます」と、言われても、「ゲラ」の意味がわからない。
すると、編集者は丁寧にゲラとはゲラ刷りのことで、要するに、本になる前に試し刷りしたものだと教えてくれた。
最初のうちは、出版界の約束事がほとんどわからず、まさに手取り足取りという感じだった。
私は編集者を師と仰ぎ、わからないことはなんでも聞いた。
用語だけではない。
原稿を最初に読んでくれる人だから、編集者の意見が一番、恐かった。
それは今も変わらず、「ダメ出しされたらどうしよう」と、いつもびくびくしている。
同人誌などの経験がない私にとって、原稿は自己流で書いているので、編集者がいなかったら、こわくて活字にできない。

幸運に恵まれて

幸運なことに、私は編集者に恵まれた。
これまで嫌な編集者と仕事をしたことはない。
書き始めた頃は、「不愉快だったり、ソリが合わなかったら、遠慮なくおっしゃってください。担当を変えますから」と、言われたが、実行しようと考えたことは無い。
それどころか、雑誌連載などの担当が変わると知らされると、不安で不安でたまらなくなり、「大丈夫ですよ、私がいなくても。今度の担当も優秀ですから」と、慰められたりしていた。
それほど私は編集者に頼りながら、仕事をしてきた。
だから、担当が変わると、会いに行きたくなる。顔を見たくてたまらないのだ。

編集者と書き手の関係

今まではこういう私の態度は、依頼心が強いからだろうかと反省していたのだが、『原稿を依頼する人 される人』(高橋輝次ほか・著/燃焼社・刊)を読むと、どんなに優秀な書き手でも、売れっ子作家でも、そして、アカデミックな世界で活躍する方も、編集者との関係を大事にしていることがよくわかる。

哲学者の木田元はこう語っている。

気の合ったすぐれた編集者に出会えるかどうかは、われわれ地味な学問の研究に携わる者にとって半生の生き方を決定する重大事と思うが、その点私はひどく幸運だった。

(『原稿を依頼する人 される人』より抜粋)

他にも、実に多くの作家が編集者への感謝と感想を綴っていて、中には恋文のような内容もある。

編集者と著者は特別な恋愛関係?

私は編集者に一方的に頼る方だが、時々、意味もなく、ただひたすらに私の書いたものを好きだと言ってくれる編集者もいる。
そんなはずがないのに、「いや~~、今回のお原稿、よかったですよ。泣きましたよ」という風に・・・。
それも私が自信を失い、「もうダメだ」と、しょげているときに、ピンポイントで褒め、なんとか来週も頑張ろうかという気持ちにさせてくれるのだ。
だからこそ、細々ながら、私は今もこうして書いているのだろう。

原稿を書くのは孤独な作業だ。
好きでやっているのだから、不満はないが、理解してくれる人がいるのはやはり嬉しい。
とても嬉しい。
マラソンの伴走者のように、いつもそばにいて、助け、励まし、一緒にいてくれる。これほど暖かい関係はないと、私は思う。
編集者は原稿を依頼してくれるだけではなく、最初に私の原稿に触れ、最後まで一緒にいてくれる長い長い恋人のような関係だ。
依頼する側にいるか、される側にいるか、それは本人の希望しだいだが、お互いに恋に落ちるという点では共通する運命共同体なのだと思う。

(文・三浦暁子)

原稿を依頼する人 される人

著者:高橋輝次、 相原法則、 青木正美、 阿刀田高、 池内紀、 伊藤桂一
出版社:燃焼社
出版の原点原稿依頼? をめぐる珠玉の67篇!活躍中の錚々たる作家、評論家、学者、そして編集者が各々の出版の裏話を一挙に公開する。書き下ろしエッセイ満載。

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