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須賀敦子が遺した危険で、魅惑的な読書術にはまりたい

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須賀敦子は彗星のように現れた。
ただ、少し遅れて、この世に現れた彗星だ。
私はずっとそう思っていた。
1991年に『ミラノ霧の風景』で女流文学賞を受賞したとき、彼女はすでに62歳。老人ではないが、若い女の子でもない。
しかし、彼女はそれまで貯めておいたエネルギーを一気に放出するかのように、『コルシカ書店の仲間たち』、『ユルスナールの靴』などを次々と発表する。
そして、さあ、これから円熟の境地へと、周囲の期待が高まったとき、あっけなく命を閉じてしまう。享年69。

彗星が消えた後の暗闇

あまりにも突然の死によって、今で言うところの「須賀ロス」の状態に陥った人を私はたくさん見た。
偶然かもしれないが、なぜか女性が多かった。
彼女たちはそれまで私に「いいですよ~~、須賀敦子。浸りますよ。三浦さんも読んでください」と、目に星がまたたくような顔で言っていた。
ところが、亡くなった後は、悲しみのあまりだろう。
その名を口にすることさえしなくなった。
きっと、一人きりのときに泣きながら読んでいるのだと思い、私は触れないでおいた。
彗星が消えてしまった後の空は暗くて辛い。

おそろしいまでの寂しさを抱え・・・

須賀敦子は病気で亡くなった。
それなのに、自分で自分を殺してしまったかのような、おそろしいまでの寂しさに満ちている。
自分が何をしたいのか、どうすればいいのかを探り続けた青春時代も、ようやくパリへの留学を果たしたものの、そこの水に合わず、イタリアへ向かった後も、ミラノでようやく人生の伴侶と出会った時でさえ、底なしの孤独を抱えているように見える。

須賀研究室で学び、後に脚本家となった青柳祐美子は『塩一トンの読書』(河出書房新社・刊)のあとがきの中でこう述べている。

一人の人間とそして女性として、痛みを抱え、多少疲れ、歩んできた過去に後悔と懐かしさ、将来へ不安と希望を持ち、そしてそれを隠すこともしなかった。

(『塩一トンの読書』より抜粋)

多くの顔を持つ女

須賀敦子は疲れていたのだ。この世のすべてに、疲れ果てていたのだ。
とくに、愛する人を喪った後は、生きることに意味を見いだせず、呆然としているように見える。
そんな彼女を救ったもの、それは子供の頃から耽溺していた読書だったという気がしてならない。
それにしても、須賀敦子ほど様々な顔を持っている人はいないのではないだろうか。
ミラノでは本屋の奥さんであり、イタリア文学を日本に紹介する翻訳家でもあった。
日本に帰国してからも、翻訳家としての仕事は続けていたが、加えて、大学の先生にもなり、随筆家としても優れた著作を残した。
さらに、もう1つ「書評家」という顔もあったのだ。

一トンの塩を舐めるように本を読む

『塩一トンの読書』は、須賀敦子の書評家としての活動が集約されている本だ。
結婚したばかりの頃、彼女は姑に言われた。

「ひとりの人を理解するまでには、すくなくも、一トンの塩をいっしょに舐めなければだめなのよ」と。

(『塩一トンの読書』より抜粋)

塩を一トン舐めるのは長い長い時間がかかる。それと同じで、人を理解するのにも気が遠くなるほどの時間がかかるというのである。

須賀敦子は姑の言葉を深く考えた末に、こんな風に思う。

長いことつきあっている人でも、なにかの拍子に、あっと思うようなことがあって衝撃をうけるように、古典には、目に見えない無数の襞が隠されていて、読み返すたびに、それまで見えなかった襞がふいにみえてくることがある。

(『塩一トンの読書』より抜粋)

本を読むということは、襞の中に自らを潜り込ませることだ。
たとえ危険でも、そのしびれるような快感に一旦、はまってしまうと、二度と抜け出せない。
それが読書というものだろう。

(文・三浦暁子)

塩一トンの読書

著者:須賀敦子
出版社:河出書房新社
「一トンの塩」をいっしょに舐めるうちにかけがえのない友人となった書物たち。本を読むことは生きることと同じという須賀は、また当代無比の書評家だった。好きな本と作家をめぐる極上の読書日記。

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